桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

もう一つの醫王寺を訪ねて

2011年02月16日 20時42分32秒 | 寺社散策



 昨日の朝の我が庭です。

 所要があって柏市立高校に行ってきました。柏市内といっても北西の外れで、少し歩けば野田市です。柏駅からバスで三十分もかかります。
 地図を見ると、帰り途(といっても大きく回り道をしなければなりませんが)には、醫王寺、円通寺、吉祥院というお寺があるので、そこを巡りながら歩くことにしました。まだ雪は残っていましたが、好天に恵まれたこともあり、春の土の匂いを嗅ぎながら、のんびりと散策を愉しむことができました。
 残雪に脚をとられないようにと、トレッキングシューズを履いて行きましたが、強い陽射しに道路の雪もほとんど解けていて、そんな心配は無用でした。



 柏市立高校から最初の目的地・醫王寺目指して歩き出すつもりでいましたが、所要を済ませると、二十分に一本というバスがちょうど発車するところだったので、最寄りの船戸木戸という停留所まで乗ることにしました。
 柏駅寄りには花野居木戸という停留所もあります。
 木戸と聞くと、東京・新宿にあった四谷大木戸を思い起こしますが、柏の木戸は現在の道路の状況からして、昔は人馬の往来の激しい街道があったとは考えにくい。どういう意味か探っているところですか、いまのところは不明です。

 


 すぐそばを常磐自動車道が走っています。その常磐道に沿ってしばらく歩いたあと、路地の奥に墓石が見えたので、醫王寺にしては近過ぎると思いながら入ってみると、小規模な墓地がありました。

 地図には「薬師坊本堂」と記されていますが、集会場のような建物とその玄関という佇まいで、「本堂」というイメージではありません。無人で玄関も開かなかったので、何一つわかりませんが、この硝子戸の向こうに薬師如来が祀られているのでしょうか。

 


 船戸木戸バス停から徒歩十分で醫王寺に着きました。山門は工事中で、境内に入ることができなかったので、左側にある門からお邪魔しました。

 醫王寺という名前で私になじみ深いのは、同じ柏市内でも正反対の方角にある、辨榮(べんねい)聖者ゆかりの醫王寺なので、もう一つの醫王寺と呼ぶことにしましたが、じつは松戸の我が庵の近くにも醫王寺はあるのです。
 辨榮聖者の醫王寺は浄土宗、松戸とこの醫王寺は真言宗豊山派。



 牡丹(ボタン)で有名なお寺のようです。境内の各所に牡丹が植えられています。
 立てば芍薬(シャクヤク)、坐れば牡丹……と、昔から美人の形容に用いられる花ですが、中国の国花とみなされている、という先入観にとらわれるためか、私にはそんなに大騒ぎするほどきれいだとも思えず、いま一つ好きにはなれぬ花です。牡丹には、なんの罪もなけれど……。

 東京・新宿で暮らしていたころ、歩いて数分というところに薬王院という牡丹で名高い寺がありました。季節になると、それこそ雲霞のごとく参詣客が訪れる寺ですが、私は一度見に行っただけでした。牡丹が好きではないというより、人混みが苦手だったからかもしれません。
 


 醫王寺本堂。
 境内を見て回りましたが、寺の由来などを記したものが見当たりません。
 家に帰ったら柏市のホームページでも見てみようと思って帰ったものの、なんの手がかりも得られませんでした。このあとで訪れた吉祥院ともども柏市観光協会のホームページに紹介されていましたが、交通の便が載っているだけで、創建の年代も由来も、いまのところは何一つわかりません。

 そういえば、前に訪問した少林寺も萬福寺も、近くにある土(つち)小学校の「たんけん隊」と称する子どもたちが建ててくれたらしい説明板があって、稚拙な内容ながらも概略はわかったのですが、柏市の手になるものは何もなかったような気がします。

 醫王寺をあとにして、常磐道の下をくぐり、円通寺という寺を捜しました。
 周辺は住宅地として開発途上のようです。住宅はまだ疎らにしか建っていませんが、土地はすでに整地を終え、「通行止」と表示された真新しい道路が各所にあります。当然我が地図には載っていない。十字路を左に曲がれば、円通寺はその先の左側に……と、地図にはあるのですが、曲がった十字路の先の道はどうもカーブの具合が地図とは異なっています。



 遠くに鳥居が見えたので、地図によれば姫宮神社のはず、と行ってみたら、まさに姫宮神社でした。
 ここも詳細は不明ながら、豊四季にある諏訪神社の兼務社になっていたので、わずかながらも由来がわかりました。祭神は姫宮大神という産土(うぶすな)神。室町後期の創建のようです。

 この神社前と私が曲がった十字路との中間に、円通寺があることになっているのですが……。
 引き返しましたが、地図では一本道が伸びているはずなのに、T字路になっています。
 



 姫宮神社の近くに御堂が見えたので、円通寺かと思って行ってみると、薬師堂でした。
 厨子が祀ってありましたが、薄暗くてよく見えません。それでも、予期せぬところで薬師如来、と思ったので、お参りした代わり、円通寺捜しはやめることにしました。



 円通寺捜しで手間取ったので、醫王寺から三十分かかりましたが、つくばエクスプレスの柏たなか駅を通過して行きます。

 駅前はまだ何もないといっていい状態です。ここから電車に乗る予定はないから構わないけれども、入口がどこにあるのかよくわからない駅です。むか~しむかしの新横浜や岐阜羽島の駅前はこんな感じでありました。



 柏たなか駅から十分強で吉祥院に着きました。
 ここも真言宗豊山派のお寺です。
 境内はさほど広いとは思えませんが、塀がないので開放感があって、おもむきのあるお寺だと感じさせます。ただし、説明が得られないので、詳細はまったく不明のままです。

 学制公布後の翌年(明治六年)には、現在の柏市域では二番目の開校という共醒学校(大室学校)が、ここを仮校舎として授業を開始したそうです。
 これは柏市の情報ではなく、ほかのブログから得た知識です。



 薬師堂がありました。



 吉祥院境内に聳える榧(カヤ)の樹です。柏市の保護樹木と記してありましたが、樹齢等は一切不明。

  

 吉祥院から大室バス停まで歩く途中、遺跡の発掘現場に出くわしました。小山台遺跡といって、千葉県教育振興財団というところが発掘している最中のようです。
 家に帰ったあと、ホームページを捜してみましたが、今月から調査にとりかかったばかりのようで、縄文時代前期から中期の竪穴式住居跡というほかに詳しい情報はありません。

 大室バス停からバスに乗りました。
 行きは気づきませんでしたが、バスは北柏駅を通ります。北柏駅近くには、我孫子・興陽寺の薬師堂にお参りした帰り、北柏まで歩いて寄ってみようと思いながら、体調がすこぶる悪かったので、行くのをとりやめにした妙蓮寺、東陽寺という二か寺があります。この際だから寄ってみようと思って、根戸十字路というバス停でバスを降りました。

 妙蓮寺はその名前から日蓮宗の寺だと想像がつき、道路沿いにないようならパスしようかと思いましたが、道路沿いだったので、寄ることにしました。



 割合長い参道の奥に本堂がありました。



 イヤにパチパチという音がすると思ったら、木の実が落ちる音でした。落ちた実を眼をこらしてよくよく見ると、なんと無患子(ムクロジ)ではないか!

 


 見上げると、まだ若そうな樹ではありますが、かなりの高木です。風もないのに実が落ちていたのは一羽の鴉メがくちばしを使って、枝を折って遊んでいたからでした。下の画像の中央に鴉が写っています。
 もう果肉はない状態で、残っている萼(がく)と皮と実はいずれも固いので、食べられるとは思えません。見ていると実を狙うのではなく、枝を嘴で挟んでペキペキとやっていました。

 真言宗以外の寺院で無患子を見たのは初めてです。記念に鴉クンが落としてくれたばかりの実を二つだけいただくことにしました。



 妙蓮寺門前からわずか200メートル足らず歩いたところに、真言宗豊山派の東陽寺。
 積雪が乱されていないところを見ると、朝から誰も参拝していなかったと見えます。私もなんとなく躊躇してしまったので、本堂を彼方に眺めただけで帰ることとしました。
 夕暮れが迫ってくる時刻になっても暖かかったので、手袋を外した手のひらで無患子の実をコロコロ転がしながら北柏駅まで歩きました。

船戸木戸バス停から北柏駅まで


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