桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

行徳を歩く

2010年09月22日 12時05分08秒 | 寺社散策

 昨二十一日はハローワークの認定日。九時四十五分、ハローワークに着いて、解放されたのは十一時。
 三時間後の午後二時から東京メトロ東西線の行徳駅近くで面接を控えていました。時間はあまるほどありましたが、いったん家に帰って出直すのはかったるいし、そんなことをしてヘタをすれば遅刻することにもなりかねない。そこで、そのまま行徳に向かうことにしました。



 松戸から新京成に乗り、八柱(新八柱)、西船橋と乗り換えて、行徳駅で降りました。
 行徳街道沿いにはじつにたくさんの寺社があります。
「行徳千軒寺百軒」-民家商家千軒に対して、お寺が百もあった、といわれるほどです。「行」「徳」という地名がつけられたのも、それだけ信仰心の篤い土地柄ゆえでしょう。
 ょうど一年前には一つ西船橋寄りの妙典駅で降りて、お寺巡りをしています。


 その続編という形になりました。



 行徳駅から徒歩十五分。最初に訪ねた浄土宗教信寺です。元亀元年(1570年)の開創。行徳三十三観音第十六番、十七番札所。
 二つの札所があるのは昭和二十七年に信楽寺(十六番)と教善寺(十七番)が合併して教信寺となったため。門が閉まっていて入れなかったので、塀越しにカメラに収めました。



 教信寺から次の徳蔵寺までの小径で見かけた小料理屋の電飾看板。
 どこであったのか記憶はあやふやですが、たまたま見かけた野良猫殿にこんな名前をつけた憶えがあります。しばし立ち止まって周囲に目を配ってみましたが、この店そのものは見当たりませんでした。



 教信寺から260メートル。真言宗徳蔵寺。天正三年(1575年)の開創。



 徳蔵寺から200メートル。慶長十五年(1610年)開創の浄土宗清岸寺。行徳三十三観音第二十番。
 門には柵が立ててあったので、あえて跨いで入ることはせず、本堂を遠望しました。



 おかね塚の碑。「おかね」とは江戸吉原の遊女の名です。
 行徳はかつて製塩で栄えたところです。この碑のある押切地区には港があって(いまも湊という地名が残っています)、製塩の燃料が上総の国から運ばれていました。その舟の船頭や水夫たちの中には荷下ろしをしている間、吉原まで遊びに行く者があったそうです。
 言い伝えでは、ある船頭がおかねと親しくなって、年季が明けたら夫婦になろうと契りました。呑み屋における与太話と同じ、遊び半分だったのでしょう。
 しかし、おかねは約束を信じました。年季が明けるとこの地にやってきて、船頭に会えるのを愉しみに待ったのでした。

 が、船頭は現われません。罰当たりな船頭です。船頭がくるのを待つうち、おかねは蓄えた金子も使い果たし、
悲しみのあまり憔悴して、この地で死んでしまったのです。
 この悲話を伝え聞いた吉原の遊女たち百余人がわずかばかりのお金を出し合って供養の塚を建てました。地元の人たちも花や線香を供えておかねの霊を弔ったのでした。



 おかね塚を通り、清岸寺から220メートル。浄土宗光林寺。
 今回訪れた中では一番古いお寺ですが、開創は天文年間(1532年-54年)と伝わるだけで、はっきりしません。他のお寺はすべて本堂が改築されていましたが、ここだけは昔ながらのようでした。行徳三十三観音第二十一番。



 光林寺から140メートル。押切稲荷神社境内にあった千壽銀杏。
 幹周6・5メートル、樹高20メートル。鉄柵で囲われ、市川市の保存樹木との標示がありましたが、ほかに説明は見当たらず、「千壽」とは何を意味するのかわかりませんでした。



 行徳は適当に歩いていても、家々の屋根越しに高い甍が見えて、寺社に突き当たる、と表現してもいいほど多くの寺社があります。
 寺社の門前には必ずこのような説明板が立てられ、隣接する寺社の方角と距離が記されているので、非常にわかりやすい。



 押切稲荷から130メートル。浄土宗法伝寺。天文二十二年(1553年)の開創。行徳三十三観音第二十二番。

 


 法伝寺から220メートル。浄土宗善照寺。
 寛永二年(1625年)の開創。行徳三十三観音第二十四番。下の画像は境内にある万治元年(1658年)建立の五智如来。



 行徳街道です。掲げられている提灯は来月十日香取神社で挙行される秋祭りに備えて……。



 最後に訪ねた香取神社。善照寺から350メートル。

 


 香取神社の狛犬。素朴なつくりで、非常に愛らしい。



 香取神社の公孫樹二本。左は市川市の保存樹木に指定されていて、幹周3・7メートル、樹高13メートル。



 その樹がもたれかかるのを支えているような右の樹。
 主幹は立ち枯れていますが、主幹を囲んで四本の幹が立ち上がっています。本八幡にある葛飾八幡宮の千本公孫樹には及びませんが、根元の幹周は7メートルもあるそうで、行徳では一番の巨木ということになるそうです。

 ここで面接の時間が近くなったので、寺社巡りは打ち止めにしました。
 去年訪ねたとき、十返舎一九も立ち寄ったといわれる笹屋うどん跡を捜しましたが、地図には載っておらず、明確に場所を示した資料もなかったので、見つけ得ぬままでした。この日も近くまで行っているはずなのですが、見つけられませんでした。

 昨日も30度を超す暑い日になって、かなり汗をかいてしまいました。そのまま面接に及んだので、先方が受けた私の印象は最悪だったかも……。

↓二十一日に歩いたところ。
http://chizuz.com/map/map75523.html


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