桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2021年十月の薬師詣で・取手市

2021年10月08日 22時18分14秒 | 薬師詣で

 前夜(七日)、非常に大きな地震がありました。
 一夜明けた今朝、テレビを点けてみると、鉄道の運行がかなり乱れているという報道です。直前まで、今月の薬師詣では千葉市の花見川という川に沿って歩こうと考えていたのですが、この行程では、最後は鉄道の駅から遠く離れてしまうので、バスに乗る必要がありました。鉄道が乱れているのなら、バスはなおさらであろう。そう思ったので、急遽、近場で、バスに乗る必要のない候補地を調べました。
 一つはわずかながらも県境を越える取手、もう一つは軽井沢 ― といっても、あの著名な避暑地ではなく、隣町・鎌ヶ谷の軽井沢です ― ぐらいしかありません。
 この軽井沢 ― まだ行ったことはありませんが、薬師堂がある場所は私が通っている二つの病院のうちの一つに近く、歩いて二十分足らずで行けるので、いずれ通院する日と薬師詣での日が重なることもあるであろう。

 というわけで、取手へ行くことにしましたが、最初に参拝して行く地元の慶林寺を除くと、詣でるのは二つの御堂で、お寺ではありません。途中に観音堂などがあるので、ついでに詣でて行こうと思いますが、最後に参拝するつもりの長禅寺を除くと、いずれも御堂ばかりで、寺院は一つもありません。



 いつものように出かける前、地元の慶林寺にお参りして行きます。
 上空は雲一つない快晴ではありましたが、帰ってくるころにはへばってしまうほど暑くなるとは思いませんでした。



 先月の薬師詣での日はまだ工事中だった北小金駅のホームドアが完成していました。



 我孫子で取手行の快速電車に乗り換え、取手駅東口に出ました。



 取手駅をあとにするとすぐ長い上りのダラダラ坂。上り切ったところで県道219号線を横断。すると今度は長~い下りのダラダラ坂。木陰のない道がつづいていて、スマートフォンの地図がよく見えません。なかばテキトーに歩きながら、下り切ったところで常磐線のガードをくぐると、また上り坂です。



 取手駅から二十分、この日最初に訪れた城山観音堂です。
 小さな御堂がポツンとあるだけだろうと思っていたので、集会所を兼ねたような建物があったので、ちょっと愕きました。左から裏手にかけて、地域の共同墓地になっています。
 このあと訪ねて行く御堂七か所はすべて共同墓地の中。最後に訪れる長禅寺以外、途中にお寺が一つもなかった、というのはそういうわけでした。
 向かい合わせに弘法大師と子育観音を一緒に祀る祠がありました。江戸時代中期、観覚光音という僧侶が定めた新相馬四国八十八か所参りの第八番です。


 城山観音堂から五分、井野台観音堂(右)。左は大師堂です。新相馬四国八十八か所第三十二番。



 井野台観音堂から七分で井野台薬師堂。
 ここは十年前の2011年二月、取手駅周辺の雛飾りを見にきたときに足を延ばしてきています。
 2011年という年は、私が薬師詣でを始めた年です。そのときは近いうちに薬師詣でにくるだろうから下見のつもり、と思ったのですが、十年後になろうとは思ってもみませんでした。今回も、もし前夜の地震がなければ、千葉市へ行っていたはずですから、もっとあとになっていたか、寄る年波で歩くのが不自由になって、くることなく終わった、ということになったかもしれません。そう考えると、わずかながらも感慨深いものがあります。
 画像の左下・黒い影が写っているのが大師堂の屋根で、新相馬四国八十八か所第二十三番です。

 


 井野台薬師堂から七分、虚空蔵堂があったので足を延ばしました。虚空蔵堂の左手前、屋根と柱の写っているのが大師堂。新相馬四国八十八か所第十二番です。

 


 虚空蔵堂から十四分。
 グーグルマップには阿弥陀堂四国四十六番とあり、手前にこの画像の御堂、奥に画像上の御堂がありました。奥の御堂には弘法大師と思える僧形の坐像が安置されていたので、新相馬四国八十八か所の第四十六番大師堂です。阿弥陀堂は画像下のこの御堂だろうと思われますが、花瓶が置いてあっただけで、仏像はありません。



 今度は踏切で常磐線を越えます。



 二十分以上かけて歩いたところにこの不動院がありました。入口にはチェーンがかけられていて、入ることはできませんでした。



 不動堂から胸を突くような急坂を上ったところに旧台宿村の観音堂がありました。新四国八十八か所相馬霊場第十番。中は覗けませんが、左に建てられた石板は昭和五十三年三月竣工の観音堂新築記念寄付者の芳名録です。



 台宿村の観音堂から八分。取手二高の前を通ります。
 2009年の六月、これから行く薬師堂を捜して、こことは別の校門前を通りかかったことがあります。毎月の薬師詣でを始めたのはそれから一年半後の2011年一月のことですが、当時はスマートフォンなどなく、プリントした地図を持っているだけだったので、薬師堂に辿り着くことできませんでした。薬師詣でが目的できていたわけでもなかったので、薬師如来を拝むことは諦めて帰りましたが……。



 取手二高の校門先に台宿薬師堂がありました。
 御堂の右手前に新相馬四国八十八か所を定めた観覚光音禅師を祀る御堂と大師堂があり、新相馬四国八十八か所の第六番。管理が非常によく行き届いているように見受けられました。



 午後二時過ぎ、一番暑いと思われるころ、今日の予定を終えました。日陰に入ってもこの温度でした。

 


 取手駅へ向かう途中でもあるので、長禅寺に参拝して行きます。
 いつもとは違う入口から入ったので、最初に向かうことになるのは三世堂です。平將門の守り本尊とされている十一面観音が祀られていますが、観音様の縁日ではないので、扉は閉ざされていました。
 新相馬
四国八十八か所を定めた観覚光音禅師はこの長禅寺の僧で、この三世堂を改装するのにも功績のあった人物です。

 


 霊山堂(画像上)と御堂前に飾られている小さな宝船と大黒天のフィギュア(?)。



 山門前の石段。
 去年から体重が9キロ近く減って、身体が軽くなったのに連れて、(ちょっとだけ)高所恐怖症が減退したみたいですが、さすがにこの急な石段を下るのは臆してしまいます。
 この時点で知らず知らずのうちに一万歩以上も歩いていました。



 これまで何度となく訪れているので、境内は勝手知ったる他人の家 ― という感じです。帰りはこの緩い石段を踏みしめて帰ります。



 スマートフォンに入れている厚労省の新型コロナウイルスアプリ。今日一日の結果はこういうことになりました。
 今日一日、面と向かって向き合った人は一人もなく、言葉を交わした人もむろんありませんが、行きと帰りの電車では、マスクこそしていたものの、ペラペラと喋り、ゲラゲラと笑い合う、二人組のうつけ者ども一組ずつと乗り合わせました。

この日、歩いたところ

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