桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

流山七福神と石蕗の花

2010年11月09日 20時14分21秒 | のんびり散策

 風邪ひき四日目。グスグスしていた洟水が治まったようなので、朝の散策に出ました。

 


 庵を出てほんの二、三分のところ。名前を憶えたばかりの貝殻草が咲いています。朝の冷たい空気は苦手なようで、ピッチリと花を閉じています。ハハーン、貝のように開いたり閉じたりするので、貝殻草(?)。

 いまの時節、日の出は六時過ぎ。我が庵は本土寺近くの高台にあるのですが、東方には富士川を挟んで流山・前ヶ崎の高台があるので、実際に太陽が拝めるのはもう少し遅いのです。
 わりと暖かい朝、と思って外に出ましたが、さすがに朝の冷気は厳しくなっています。朝露も寒々しさをかき立てます。もう一枚何か着ないとヤバイ! と感じて一度引き返しました。

 玄関を入る前に庭を覗くと、バサッという音。
 見れば、前の家の飼い猫です。私に気づいて、ちょっとだけ逃げましたが、余裕綽々でこっちを振り返っています。「このォ~」と足を踏み鳴らして威嚇してやると、一目散に逃げて行きました。
 ときおり
コヤツが私の庭にいるのを見かけます。朝、カーテンを引く音に愕いて逃げて行くのを見るのもしばしば。そしてこの一週間ほどで、ハハーンと気づくことがありました。

 苗を植え替えようと庭の土を掘り返し、小石やドクダミの根を抜いて篩った土を入れ直しているのですが、細かい土に入れ替えたところはスポンジケーキのように、ふんわりと柔らかくなっています。そこに猫のものらしき足跡を見つけるのです。
 入ってくるだけなら、威嚇して追い払ったりはしません。なぜ追い払うのかというと、柔らかくした土を掘って、苗のための溝をつくると、やられた! ということがあるのです。なんと糞をする場所に我が庭を選んでいやがった!

 野良を見るとついミオを出してしまう私は、食べ物を与える以上、野良も糞をせねばならぬということは知っています。野良を嫌う人たちの悩みと怒りの対象の一つがそういうことだとも……。

 その飼い猫は黒と白の斑(ぶち)で、わりと身体もデカイ♂です。
 何か月か前、その斑と、どうやら野良のオイチらしい♀が我が庭で睨み合っていたことがあります。睨み合いのあと「フニャーッ」ととっくみあいが始まって、オイチは呆気なく負けてしまいました。
 そのオイチや一家の三姉妹たちの糞であれば、私はヤレヤレと思いながらも、決して追い払ったりはしないつもりです。しかし、縄張り争いに負けたオイチが我が庭にくることはないでしょう。

 だからよけいに斑が憎らしい。おまえには家があるんだろう? あるんならテメェんちでしろよ、と威嚇してやったわけであります。

 家に入ってしばらくしてから庭に出て見ると、朝は気づかなかったところがへこんでいます。「ヤロウッ」と土を掻いてみると、やっぱりだ。
 癇癪玉とパチンコを買っておいて、もしきたら一発お見舞いしてやろうと考えましたが、いまどき癇癪玉を売っているような駄菓子屋など近辺にはありません。

 そのまま戻って家に居つづけたあと、太陽が充分に高くなった昼過ぎに再出発。
 とくにどこを目指すというアテはなかったのですが、歩いているうちに、ツワブキ(石蕗)の花を捜しながら、坂川の始まりである野々下水辺公園へ行ってみようと思いました。

 今年の秋は曼珠沙華も金木犀も開花が遅れたように、石蕗も遅いのだと思っていたら、ブログ友達のブログにツワブキの写真が載せられていました。
 少なくとも松戸よりは寒い地方に住む人です。ということは、松戸でも見かけていいはずなのに、見ていない。そういえば、ときどき行く廣壽寺にある以外、周辺でツワブキの葉っぱを見た、という憶えがありません。


 前は富士川と坂川に沿って歩いたので、今日は違う道を、と思って富士川べりには下りず、本土寺裏の道を直進。



 前回野々下水辺公園へ行ったときに渡った御體橋(おたいばし)の一つ下流・八木乃橋(やぎのはし)で坂川を越えました。ここから先は流山市。なおも直進。



 ツワブキの花はどこにもありません。野々下水辺公園へ行くためには、そろそろ右折するころかと思った交差点でこんな標識を見かけたので、どんなお寺か、行ってみることにしました。

 


 標識の建っていた場所から八分もかかりました。我が庵からだと三十五分。
 春山寺は曹洞宗のお寺で、創建は天文年間(1532年-55年)。当初は天台宗寺院。江戸時代初期に曹洞宗に改宗。
 まったく知らずにきましたが、流山七福神の一つ・布袋尊が祀られていました。

 松戸七福神巡りをしたとき、当初は七福神巡りをしようと考えたわけではありませんでした。お寺巡りをしているうち、徐々に七福神を巡ることになり、確か四つほど巡ったころに、どうせなら、ということで目的にしようと考えて、一応結願(けちがん)したという次第でありました。

 流山七福神の場合も、流山の中心街近くにある流山寺、長流寺がそれぞれ大黒天、恵比寿神を祀っていましたが、あと五つを捜して巡ろうとは考えませんでした。
 たまさかいまの住居に引っ越して、廣壽寺に行ったついでに参詣した清瀧院に寿老人が祀ってあったのを知っても、残り四つだとは考えませんでした。しかし、偶然四つ目に出会ってみると、むむ、という気にはなります。
 ただし、庵に帰ったあとで調べてみると、残り三つは我が庵から非常に遠いのです。

 中でも一番遠い福性寺(毘沙門天)は柏まで行って東武線に乗り換え、江戸川台という駅まで行かなければなりません。とても歩いて行けるところではありません。
 が、このお寺にはムクロジ(無患子)の樹があるということですから、いつか行かなければならないということになりました。



 ブラブラ歩いているうちに、浄蓮寺という日蓮宗の寺院の前にきました。寛永八年(1631年)の創建。眼病平癒の霊験あらたか、と知られているそうです。



 浄蓮寺門前からは博物館か美術館を思わせる建物と一面の緑が見えました。行ってみると流山総合運動公園でした。博物館かと思った建物は体育館でした。
 我が庵を出てからすでに四十分。知らず知らず随分遠いところまできてしまいました。



 公園内には日曜画家ならぬ火曜画家が到るところでキャンバスに向かっていました。
 歩き詰めに歩いてきた私はここで初めてベンチに腰を下ろして休憩。自分で握ってきた明太子と梅のお握りをパクリパクリ、ペットボトルに詰めてきた伊右衛門をゴクリゴクリ。



 公園隣にある日蓮宗本妙寺のエノキ(榎)です。正中元年(1324年)の創建と伝えられていますが、詳細は不明。



 本土寺近くまで戻ってきて、行き止まりかもしれぬが……と細い径に入ったら、ツワブキが咲いていました。葉叢は数か所ありましたが、花が咲いていたのは二つだけ。
 この花を捜す散策だったはずなのに、歩いているうちにすっかり目的を忘れておりました。



 この画像はかつての勤務先があった市川大野で去年見たツワブキです。これだけ立派な花にはなかなかお目にかかれない。
 勤めを辞めたあと、市川大野へは二度と行くことはないだろうと思っていましたが、ツワブキが咲いているはずの場所は駅からさほど遠くないし、オフグ一家にも会えるかもしれないので、ちょっと行ってみるか、という気にもなりかけています。



 本土寺裏の坂でドングリ(団栗)拾いをしていた子どもたち。



 風の強い一日でした。しかし、強風は落ち葉を吹き散らすことなく、まるで掃除をしているように上手に集めて行きます。本土寺横で。

 

 帰り途、貝殻草を見ると、充分な陽光を浴びて、パカッと開いていました。



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