打越通信

日記ふういろいろ

阿蘇

2014-06-03 19:26:08 | 熊本の風景
翌日は家を8時に出て叔父夫婦が泊まっているホテルに向かった。
ちょうど1階の食堂で食事をしている姿がクルマの中から見えた。
はっきりとした決め事をしていなかったし、私たちが来るとは思ってもいなかったようで大変喜んでくれた。
飛行機の時間は13時30分、前日どこに行きたいか聞いていたのでさっそく阿蘇に向かった。
大津まで杉並木がある旧道を進む。
大津から国道に出て進もうか迷ったが渋滞に巻き込まれたらどうしようもないのでミルクロードに入った。
しかしこちらも結構クルマが多い。
でも流れはスムースだった。
ある程度登っていくと、一面草原が現れる。
阿蘇独特の風景だ。
叔母が感激している。
阿蘇五岳が一望できる場所で休憩だ。
大観峰まで行く時間がないし、あそこは少し歩かなくてはならない。
足の悪い叔父にとっては大変だろう。
今日は少し霞(たぶん黄砂)がかかっていて視界は良くないが、眼下に広がる阿蘇谷と阿蘇五岳が見える。
「涅槃像(ねはんぞう)に見えますか?」
と聞くとえらく感心したようだった。
ここまで約1時間、先を急いだ。
外輪山を降りて阿蘇谷、内牧温泉に降りた。
そこから阿蘇駅まで行き、防中から登山道に入る。
4人乗ったパッソ、何のことは無い快調に登っていく。



草千里の駐車場には多くのクルマが停まっていた。
阿蘇山頂のロープウェイーの駅で一休み。



近頃の噴火で火口までいけるか心配だった。
ロープウェイーは中止しているようだがクルマではいけそうだ。
火口までの料金を払って火口近くの駐車場にクルマを停め、火口口までは歩いて100mくらいだ。
大勢の観光客がいるのだが、言葉の通じない人たちだ。



叔父夫婦も阿蘇火口なんて何年ぶりなので大変感動していた。
30分くらい火口を見て南阿蘇谷の方へ降りた。



途中の森林で見たものは立ち枯れた木々だった。
噴火のガスでやられたのだろうか、すごい事になっていた。
そういえば<ミヤマキリシマ>も今年はあまり咲いていないといっていた。
南阿蘇谷を抜け外輪山を突っ切る長いトンネルを抜け、俵山、西原村と通り熊本空港まで送った。
叔父夫婦ももう80歳を超え、今度いつ熊本に来るか分からない。
良い孝行が出来たのかな。

小天温泉 那古井館

2013-12-03 20:26:54 | 熊本の風景
県道を玉名方面へ進む。



河内から天水への境目に「那古井館」がある。
山の上に道の駅のようなレストランと温泉施設がある場所があるが、「那古井館」を利用する。
始めて来たのはいつだろう、もう随分と昔だ。
たしか町内会(自治会)の研修旅行のときだった。



なんとも古めかしい(悪い意味ではない)落ち着いた佇まいのお宿だ。
紅葉したもみじにすっかりなじんだ佇まい。



玄関を入ると夏目漱石の「智に働けば角が立つ 情に竿させば流される」、草枕の代表的文句だ。
漱石ゆかりの宿なのだ。
詳しいことはよく分からないが草枕の舞台になった宿のようで、漱石もここが気に入っていた事が伺える。
熊本には阿蘇がありそして地下水が豊富ななので温泉も豊富だ。
しかしそんな山の温泉ではなく海べりの温泉も良い。
最初に来たとき温泉が私の体にあっていた感じがした。
ぬめりもほどほどで疲れを癒すのに良い感じなのだ。
温泉といっても侮れない。
下手に入ればふにゅふにゅになり堕落的になるのがいけない。
やっぱり温泉は気合を入れてきちっと入らなければいけないと思う。
気合を入れて温泉につかる。
誰もいない貸切風呂だ。



湯船は二つに仕切られていて、源泉が流れてくる熱い湯とその流れが来るぬるい湯だ。
ぬるい湯に一時間ばかり日ごろの疲れを取るために漬かる。
静かな空間で誰にも邪魔されない。
気合を入れていた気持ちも次第に官能的になる。
ふにゅふにゅの限界のところで湯船から出る。



なんとも至福の一時間だった。
日ごろのストレスも和らいだのだ。

宮地

2013-07-31 20:22:52 | 熊本の風景
ここは私の生まれた所だ。
超個人的な内容になるが、なつかしくてぶらりとクルマで散歩した。
阿蘇神社では何かお祭りのようなものがあっていた。
そしてその横にある商店街では水基めぐりという企画を打ち出して観光客を集客している。
宮地駅からのウォークラリーもこれが目的では無いかと思う。



街中に入るとなんともなつかしい。
昔、ここに映画館があったよね。
公衆浴場はここだったよね、などと思い出がよみがえる。
母に手を引かれ歩いた道だ。
昔のままの姿もあれば、新しく立派な建物に変わっているものもあるが全体の雰囲気は思い出と同じだ。



途中、細い道を左に曲がるとお寺がある。
お寺は立派な建物に変わっているが、大きなイチョウの木と門構えは昔のままのようだ。
このお寺の横に住んでいた記憶がある。
父が写真が好きで自分で現像からプリントまでしていたのでその頃の写真が大量に残っている。
今度実家に帰ってアルバムをめくるとたぶん同じ写真が見つかると思う。



そのお寺の横に私が2年間だけ通った保育園がある。
建物はすでに新しくなっているが周りの風景は昔のままだ。
お寺を後に次に住んだ町営住宅に行ってみた。



6軒くらいの平屋の住宅で、今では真新しい住宅になっているが中には昔のままの住宅もあった。
ここに住んでいた頃、まだ住宅には風呂が無く、市街地の公衆浴場まで入りにいっていたっけ。
父が板を買ってきて庭に囲いを作り始めた。
何をするのかと思いきや五右衛門風呂をその中に置き、内湯が出来たのだ。
その頃、私も保育園に通える年齢になりスクールバスのようなクルマで「りんどう保育園」に通うようになった。



しかし父の転勤の関係で5歳の時にこの町を離れる事になった。

熊本城おもてなし武将隊

2013-06-03 21:08:51 | 熊本の風景
久しぶりに城彩苑へ行ってみた。
まだ梅雨前の時期だったので夏のような暑さだった。
11時半ころになると城彩苑のステージで「熊本城おもてなし武将隊」のステージが始まった。



熊本にいて初めて見るステージなのだ。
若いイケメンの3人の男達、それに可愛い女の子が一人ステージに立ちステージが始まった。



この人が熊本城城主の「加藤清正」でござる。
そして加藤家を支えた3傑の飯田覚兵衛と森本儀太夫でござった。
そして紅一点の女の子が加藤清正の娘の八十姫でござった。
熱のこもった演舞そして話術。
初めて見たがなかなかの芸達者ではないか。



ステージの周りには大勢の人たちが集まりカメラを構えている。



カメラを構え左手を振ると、なんとポーズをとってくれた。
くまモンといい熊本の宣伝もなかなかうまくなってきたもんだ。
親衛隊もできているようでステージの一番良い席には地元女子高生達のグループもあった。
妻はそんな彼女らに対抗するように、加藤清正公とのツーショットを私にお願いする。
ハイハイと言って一枚プレゼントしたのだった

芦北へ

2013-05-30 21:29:34 | 熊本の風景
今日は割とゆっくりとした時間に家を出た。
客先には11時に入れば良い。
博多通勤になって初めての熊本の客先なのだ。
いつもの時間帯と違い道も空いていた。
秋には黄色い葉っぱで幻想的な空間を作ってくれる銀杏の木も新緑の季節は緑が映える。



熊本駅には9時少し過ぎに着いた。
9時5分の列車があったが間に合いそうにない。
時刻表を見ると次は9時45分だった。
とりあえず切符を買って駅前(白川口)を散歩した。
熊本にいた頃はこちらから新幹線に乗っていたのでなんとも懐かしい風景だった。



しばらく白川口付近を散歩して、9時45分の列車に乗った。
新水俣には10時22分の到着だった。
実家まで歩いて5分くらい。
家の鍵で中に入ると独特の匂いだった。
一階の窓を開け空気を入れ替えた。
それでもすぐに戸締りをして母のクルマで仕事場に向かった。
客は博多勤務になって初めてのとろこ、いろいろと近況報告のような話になる。
仕事も終えて
「今年は空梅雨で田植えもできないようですよ」
という言葉を聞いた。



帰り道、田んぼの周りを見てみると、確かに水が引かれていない。
ゴールデンウィークの天草では既に田植えは終わっていたようだ、あそこは2期作なので早いのだ。
そんな田舎(故里)の景色を眺め、今後の生き方も考えるようになった。

キリシタンの島

2013-05-05 10:40:08 | 熊本の風景
天草はキリシタンの島だ。
下島の西海岸に行くと教会がある。



崎津の天主堂は熊本の風景絵に欠かせない。



崎津の街に行くと朝市が出ていた。
教会のまわりに数軒の出店が出ていた。
天草言葉で出迎えてくれる。
禁教令により激しいキリスト弾圧があった場所だ。



海沿いに行くと地元のおばさんが筏の上から魚釣りをしていた。
のんびりした風景にホットする。
崎津からしばらく北上すると高台に天主堂が見える。



大江の天主堂だ。



フランス人のガニエル神父。
32歳にこの地を訪れ82歳でなくなるまでこの地で暮らした。
フランスからこんな僻地へどうやってきたのだろう。
そして何もないこの地でどんな生活をしたのだろう。
天主堂は自費で建てたと書いてある。
明治の頃、若い連中がこの地を訪れている。



与謝野鉄幹、北原白秋、以下3名の文学者たちだ。
私の記憶では「五足のわらじ」だったのだが、「五足の靴」になっていた。
五足の靴の目的はガニエル神父と会うのが目的だったらしい。
明治の時代、この僻地の天草にそんな人が居る事を知っていただろうか、そしてその人に会いに行こうと夜汽車に乗って、船に乗ってはるばる訪れている。
なんともロマンチックなことではないか。
与謝野鉄幹は夫婦だと思っていたがそうでは無いようだ。
五足の靴のあと夫婦で再訪しているようだ。
かくれキリシタンの島。
弾圧に虐げられ「かくれキリシタン」と言う言葉までできた島。



天草四郎の伝説などなど、ロマンが溢れる。


熊本城下まつり

2013-04-27 19:40:46 | 熊本の風景
連休初日、いつもの如く朝5時頃には目が覚めた。
もっとゆっくりと休めば良いのだが、わくわく感からなのか分からない。
朝飯食ってあまりにも早いので部屋の掃除や衣服類の整理をした。
それから書類関係の目通しと確認だ。
やっと10時過ぎに家を出た。
銀行関係資料を届け、街中に飛び出した。
それでもまだまだ時間があったのでデパートに行きブラブラとショッピング。
12時過ぎて下通りを抜け銀座通りに出た。



そこが今回の城下祭りの会場だ。
ホコ天になっていてくまモンの巨大なオブジェにSLまで走っていた。
そして食バザーの数々、生ビールに揚げたての天ぷらにカレーや焼きそば。
十分に食って飲んでほろ酔い気分。



天気も良いし気候も良い。
ブラブラ歩いて交通センターまで来た。
こちらのもデパートがあり北海道展があっていた。



デパート出てこちらの会場を見てみると、くまモンがいた。
実は実物を見るのは初めてだ。



なんとなくオーラが出ていてビックリ。
コミカルな動きが可愛い。
しばらく、くまモンのおどけた仕草に見入てしまった。
いやいや、熊本も元気だ!
そんな熊本を満喫した一日だった。

大道芸

2013-03-18 12:32:07 | 熊本の風景
2004年から始まったと言われる「STREET ART-PLEX KUMAMOTO」。
たまたま街中を散歩していたら出会ってしまった。



新市街では「新聞女」というのをやっていたが、ただ全身を古新聞でくるんでいるだけの事だ。



こちらは「ちんどん屋」太鼓に鐘に、なかなかテンポもよく見ていて楽しい。
よく見ると皆さんまだまだ若い人のようだ。
地元テレビも取材に来ていた。



そしてフェイスペンディングをやっていた。



下通りの入口ではジャグリング、鉄製のほうきをジャグリングして曲を演奏していた。



こちらはコメディ、最後には風船が割れて大きな音で終わる。
見ている子供達も楽しそうだった。



こちらはバルーンアートなのだろうか。
今回初めて出くわした大道芸、こんな模様しがあっているとは知らなかった。

並木道

2013-03-07 05:55:26 | 熊本の風景
家を出ててくてく歩いて熊本大学付近まで来た。
さて、どこに行こうか考えたが、ジョギングで走った道を行くことにした。
阿蘇方面へ歩き出す。
小磧橋まで来た。



看板には黒髪の文字が、ここもまだ黒髪なのだ。
小磧橋をわたり少しいくと銀杏並木がある。



市の指定木でその並木全体が指定されている。
前から気になっていたので、その並木道を歩いてみた。
銀杏の季節ならきれいだろうな、と思いながら歩いていくと、大江学園の正門につきあったった。
去年の九州北部豪雨のときは白川が氾濫したが、ここは大丈夫だったのだろう。
学園も今日は休みのようで、正門は閉められ、建物も静まりかえっていた。
引き返して再び並木道を歩く。
さてさてどっちにいってみようかな。

看板

2013-01-30 08:42:23 | 熊本の風景
私の家は熊本市中心部から3kmほど北に位置している。
市内まで歩いていける距離。
ある日、散歩がてら市内まで行く。
ちょうど中間点辺りを歩いていると、閑静な住宅街に小さな公園。
「バトミントン」の禁止(お願い)の看板を発見。
はあ、と思った。
バトミントンもダメなのか、それじゃ羽子板もダメ、凧揚げもダメ、ダメダメづくしの公園だ。
確かに私が良く散歩する坪井川遊水公園、犬の散歩のノーリードはダメで、糞も飼い主が処理しなければならない。



わが家のすぐ近くの打越公園では、小学生達がドッチボールをしてはしゃいでいる。
中に一人女の子がいて、周りの男の子達がかばってあげてる、ほほえましい光景だった。
たまに草野球をやっている子ども達もいる。
誰も文句はいわない。
いわないどころか、私も参加してキャッチャをやったこともある。
子ども達の真剣なボールを受けてやったことがある。
ダメダメ公園ではなく、お互いに気を使い、相手の事を思いやる公園でなければならないはずだ。



そして、もうひとつこの看板。
今や市内のあちこちに建っている。
当て逃げや、事故を起こしてもそのまま逃げてしまう人がいかに多いかという事だろう。
そういえば新聞にもひき逃げ事件の記事が多い。
ちなみに当て逃げした事だけで犯則点数5点が加算される。
他に違反をしていれば60日の免許停止になる。
ひき逃げは23点、、即、免許取消の処分になる。
それよりも、やっぱり逃げる根性が気に入らない。

熊本城下

2013-01-18 07:30:02 | 熊本の風景
古町に引越してきて5年を過ぎようとしている。
古き良き熊本城下の残る町、私は非常に好きな町のひとつだ。
細工町、呉服町、万町や魚町など昔の町名がそのまま残っている。
そしてお昼や夕方には近くのお寺の鐘の音が良い。



仕事を終えて外に出ると、泰平橋通りは意外と交通量が多い。
流れ行くクルマのヘッドライトとテールランプ。



ガラガラと路面電車の音。
古い民家が壊され高層のマンションに変っていく。
あまり変って欲しくないこの町だけど、時代の流れには逆らえないのかも知れない。
来月の上旬にはついにこの町ともお別れだ。

年末の街中

2012-12-17 07:22:52 | 熊本の風景
あたまガンガン、二日酔い、三日酔の状態だ。
世の中が黄色く見える。
しかし、EOSは正確に切り取ってくれるだろう。
地元のデパート、鶴屋に用事が出来た。
母のお歳暮の用事だ。



久しぶりの街中、すべてが新鮮に見える。
熊本城も、あったあったと、どかんと構えていた。
お歳暮も何にするか一応見て回った。




皆さん年寄りなので、ヘビーなモノはいけないだろう。
固形のスープがあった、お湯をかけるとそのまま飲める。
試飲をすると、なかなかなな味だった。
ハムの詰め合わせ、数の子の贈り物、サラダ油の贈り物、いろいろあるが、フカヒレスープなど、これが良いだろう。
それでこの固形スープ(5250円)にした。
久しぶりの街中は、年の瀬の賑わいを見せていた。
そのデパートの地下で、たこ焼きを買った。
塩味を10個、ソース味を15個買った。
母と三人の生活、こんな昼飯も良いだろう。
楽器屋の前でサックスの演奏会をしていた。



イーグルスの名曲を演奏していた。
三日酔の頭に、新鮮に聞こえた。
演奏が終わると思いっ切って拍手を送った。
優しい熊本の街、三日酔の頭には優しい街だ。



家に帰ると、垂れ桜がしれっと紅葉していたのだ。

イルミネーション電車

2012-12-15 06:44:50 | 熊本の風景
熊本市内には市が運営する路面電車が走っている。
この頃の冷え込みでバス通勤が億劫になってしまった。
バスを待つ間の冷たい風より、暖房が効いたクルマのほうが快適に通勤できる。
会社帰りに電車通りを走っていると・・・。



遠めに見つけました「イルミネーション電車」だ。
しばらく電車通りを併走するのでどこかで追いつくだろう。



平成24年11月22日から平成25年1月14日まで毎日運行される。
レトロ調電車(101号)にLEDライトを羽織った電車。
だが一台しかないため何処を運行しているかはわからない。
熊本市内を電飾のおもてなしで盛り上げてくれる。
もう熊本の冬の風物詩になってるね。

細工町界隈

2012-12-07 07:44:14 | 熊本の風景
いつも食事をする「たけした食堂」。
カレー、そば、ナポリタン、焼き飯、玉子丼などの単品は470円。
作り置きの日替わりはカウンターにおいてあり、自分でとって食う。
こちらは数量限定でご飯と味噌汁が付く。
これで520円だから安い。
そのほかには週毎にその週のメニューが書かれたサービスランチもある。
こちらは580円。
安いし旨いし、気に入っている食堂だ。
親子夫婦4人でされている。



その「たけした食堂」のすぐ横には白梅天満宮の細い路地。
そして目の前にはバナナ専門のお店がある。
しばらく歩くと、町の名前にもなっている「阿弥陀寺」。



その境内に2本の大きな銀杏の木が立っている。



あいにくの雨だが紅葉がピークになっている。
この古町地区には何しろお寺が多い。
昼や夕方5時過ぎにはあちらこちらから鐘の音色が聞こえてくる。
少し明十橋のほうに歩いてみる。



古ぼけた小屋には消防車が見える。
熊本市消防団第37分団の消防小屋だ。



この通りから横道に入ると、町屋を改造した雑貨屋さん、居酒屋?



お寺の横には旅館まである。



そして古びた洋館がある。
近代化産業遺産になっている建物だ。
細工町から魚町にかけての散歩だった。



くまモン通帳

2012-11-14 20:10:40 | 熊本の風景
小遣い用の銀行口座だ。
いつもカードで入出金をするので、ほとんど通帳記帳をしない。
入金はほとんどしないので、引き出し用というのが正確なのだ。
この口座からETC、クレジットなど落ちるようになっている。
それでたまには記帳しないと明細が分からない。
たまたま、ATMで通帳記帳をしていたら、ページが無くなり
「通帳の繰越手続きお願いします」
と通帳を吐き出して来た。
しかたなく窓口に行って繰越の手続きをしようと若い女性の行員さん
「現在、通帳が2種類ありまして、今までの通帳と、くまモン柄の通帳がありますが、どちらにしましょうか?」
と聞かれた。
この年になってくまモンは無いよなと思ったが、笑顔で
「じゃあ、くまモンにしてください」
と言ってしまった。



しばらく待っていると、くまモン通帳が出来上がった。
くまモングッズで溢れているのに、お堅い銀行までもがくまモンなのだ。
マイナス残高にならないように頑張るんだモン!