打越通信

日記ふういろいろ

稲荷山古墳

2011-11-15 20:24:30 | 熊本の風景
ケイのオヤジが
「ケン、打越で一番高いところはどこか?」
と言う。
うちの団地の奥は高台になっている、そして公民館や打越菅原神社があるところなのかな、などと考えているとグッチのヤツが
「稲荷山だろう?」
などと言っている。
「あそこには古墳があったよね」
などと言っていると
「おい!見に行くぞ」
となった。
ここ打越町は東側には坪井川が流れていて、遊水公園もある。
その昔はそのたりは海だったようで津の浦や船場などその当時の地名が今でも残っている。
小高い丘が続く打越町は、その海の水が打ち越すというところからの地名らしい。
グッチの運転で県立清水が丘の駐車場をお借りした。
男3人と、クーの友達のクッキーとで出かけた。



清水が丘学園のグラウンド(町内体育祭をしたところ)の脇を歩いていると
「どこに行かれるんですか?」
と学園の方から声をかけられた。
「稲荷山の古墳を見に来ました」
と言うと
「どちら様ですか?」
と聞いてくる。
「地元打越町の住民です」
と言うとそれ以上は何も聞かれなかった。



久しぶりの稲荷山古墳なのだ。
しかし、鉄柵で囲まれていて鍵までかかっていた。
直径30m、高さ6mの円墳で、昭和22年に発掘されたものだそうだ。
出土品は豊富で、鏡・直刀・矛・鉄鏃・杏葉・雲珠・金環・轡・勾玉などがあり、6世紀後半の古墳と考えられる。
と熊本市のHPでは紹介されている。



古墳の周りには椿なのだろうかきれいな花が咲いていた。



帰り道グラウンドを歩いていると、左側の片岡演劇劇場から賑やかな音楽が聞こえてくる。



クルマに乗り込むと、クーには目いっぱいのバカがついていた。



クッキーもすごいことになっていたのだ。
植物の生命力、古墳時代もこんなんだったのか考えた。


熊本市稲荷山古墳


切符で描いた絵

2011-11-12 11:03:23 | 熊本の風景
毎日、熊本駅から北九州に向かっているのだけど、今日初めて気がついた。
熊本県内では新聞やテレビで紹介されて知ってはいたが改札口に向かってちょっと手前の右側に展示してあった。



およそ10万枚のJRの切符を重ね合わせて描いた絵だ。
熊本城と新幹線、そして阿蘇カルデラが描かれている。
熊本をアピールするには持って来いの作品だ。



新幹線口には何台もの観光バスが並んでいて、そのバスから何人もの観光客が降りて来ていた。
絶好の観光シーズン、駅でも
「熊本城に行くにはどうすればいいですか?」
などと良く聞かれる。
多くの観光客が熊本に来ていることを実感するのだ。

くまもと森都心プラザ

2011-10-02 06:46:10 | 熊本の風景
結局、昨日の土曜日は出社して仕事をしていた。
昼になり昼飯を食いに熊本駅に行き、駅内の食堂で食事をした。
帰り歩道橋を歩いていると、そう今日は「くまもと森都心プラザ」のオープンの日だった。
さっそく中に入ってみる。



2Fに入るといきなり目に入るのは市電のオブジェだった。

  

  

  

この2Fは観光・郷土情報センター、そしてカフェがある。



3,4Fは図書館になっている。
託児所やビジネス支援センターや創業支援室などもある。



そして6Fは会議場だった。



ここから熊本駅を眺める。

「知の拠点」というキャッチフレーズで開業したのだが、はたして利用者の反応はどうなのだろうか・・・。

神幸行列

2011-09-19 00:03:55 | 熊本の風景
何しろこの祭りまともを観戦したことが無い。
息子や娘が参加した時も、どこそこに遊びに行ってたっけ。
先ずは唐人町通りに出てみた。



いやはや、もの凄い音だ、太鼓に鐘にラッパ、そして勢子たちをリードするマイクの大音量。



子供たちが口取り(くちとり)する可愛いポニーも参加していた。



はでやかなハッピ姿の女性にカメラを向けるとポーズをとってくれた。
片手をあげてお礼のポーズをとると、あちらも片手をあげてくれる。
今年の参加団体は69団体、約16000人と云われている。



子供の参加も目立つが、女性の参加も非常に多い。
唐人町通りから、最大の見せ場「馬追い」が見れる場所だ。



もうすでに50団体くらい通りすぎて行ったのだろうか。



カメラマン達にとっては最高の場所のようだ。
そこからさらにアーケードに行ってみた。
新市街から入ってみるともの凄いことになっていた。
太鼓に鐘にラッパの音が反射して大音量なのだ。
うるさいどころではない、耳がおかしくなるほどだ。



下通りを通り町筋の方に歩いて行くと、最後の団体の行列がいた。
西部連合会、これが69番目の団体だった。
だから私もUターンして、今度は後ろから行列を追いかけてみた。



新市街を抜け、唐人町通りを抜け、新町まで来た。
しかしまだまだ続いている。



結局、この団体は最後に長い上り坂をあがり、藤崎台野球場まで来てしまった。
解散の言葉がスピーカーから流され、弁当が配られるようだ。
そして午後の部は16時から始まるようだ。

ボシタ祭りと云われた頃から、何とか団体からクレームがつけられドーカイ祭りに変ったんだけど、女性の参加も多くなり、昔みたいに荒々しさにかける、そんな気がした。
そしてまだまだ全国的な祭りではないようで、もっと知名度をあげた祭りになればいいなと思った。

当然ここに掲載できない写真が45枚ほどあります。
下記に写真を掲載していますのでご自由にお取ください。
(またはブックマークにおいておきますのでそちらからもどうぞ)
 ↓
藤崎八幡宮秋の例大祭 2011

気になる観光客

2011-09-18 12:44:29 | 熊本の風景
連休2日目に突入だ、しかし今日も仕事をしている。
捗ってはいるものの、量が半端でない、そして難解なものもあるのだ。

昼休み近くのたけした食堂でスパゲティを食っていたら隣に座っていたお爺ちゃん、ビールをうまそうに飲みながら私に話しかけてくる。
ついには焼酎に突入だった。
「お先に失礼します」
と言って店を出て、熊本駅方面に散歩に出た。
一駄橋を渡って小高いお寺の階段を上がってみた。



そうかここが新幹線開業のとき皆さんが写真を撮っていた場所なのだ。



駅のほうを見ていたら鹿児島中央行きの列車だろうか、熊本駅に吸い込まれるように入っていた。
熊本は今、藤崎宮例大祭の真っ最中、他県からの観光客は来ているのだろうか、熊本駅に行ってみた。
新幹線の駅のほうはそんなに人はいなかった。



白川口(在来線の駅)の案内所には人だかりが。



そしてこちらの案内板にも人がいた。
そして観光ガイドさんらしき人が、阿蘇や人吉などの案内をしていた。



グループの観光客達が重い荷物を持って駅前の歩道橋に向かっていた。
これはこれは、ひとえにくまモンとスザンヌさんと蒲島知事の努力の成果だろう。

仕事中

2011-09-17 13:39:28 | 熊本の風景
少し酒の残った頭でこの3連休の初日、事務所に出て仕事をしている。
昨日の雨とうって変わって晴れの天気になった。

そういえば昨日、ある人と会う約束をしていた。



事務所を午後6時過ぎに出て、白川沿いの国道を、小雨の中てくてく歩いて下通りアーケード。



祭りの期間中という事もあり、人も多かった、そしてアーケードのあちこちで祭りの囃子が鳴り響いていた。
待合場所に行きケータイで連絡をとると、近くにいるという。
直感ですぐに彼だとわかった。
ネットを通じて、そうもうかれこれ4年近くやり取りをしている。
会うのは初めてだったが、気心は知れてるってヤツだ。
居酒屋で3時間近く話し込んでしまった。
それから角打ちでハイボールを飲んで、熊本ラーメン食って別れたわけだ。

後半の連休は何とか2日は休みたい。
だから今日も真剣に仕事中なのだ。

飾馬飾卸

2011-09-17 07:58:27 | 熊本の風景
祭り真っ盛り中の熊本市内。
藤崎八旛宮例大祭が9月13日から行われている。



今日(9月16日)もえらく騒がしいと思ったら、小雨の降りしきる中、飾り馬を先頭にラッパに太鼓に鐘がゾロゾロと続くのだ。



別名、馬追い祭りとも呼ばれているが、なんといっても馬追い祭りは400年の歴史(藤崎八旛宮例大祭は1000年の歴史とか)があるといわれている。



この団体もお好み焼きやの「八兵衛」で休憩のようだ。
昼、飯を食いに行って、親父と話をすると
「JRのつばめ会ですよ。毎年ここに寄ってもらいよっとです」
との事だ。
いよいよ本番の御神幸は9月18日だったけ?



久しぶりの夜の繁華街では、あっちこっちで物凄い音量のドーカイが鳴っていた。

赤とんぼ

2011-09-14 06:48:54 | 熊本の風景
白川沿いを散歩しているとやたらと赤とんぼが多い。
日差しは強いが風はカラッとして割りと過ごしやすい。



そういえばもう9月も中旬を過ぎ、中秋の名月も数日前に過ぎてしまった。
こんな赤とんぼたちを見ていると秋の訪れを感じる。



白川沿いから熊本駅前に来ると、街路樹の下に何か動物のようなものを発見。



こげ茶色をしたかわうそのような動物なのか?



良く見ると肥料の入った袋だった。
もう植樹して1年くらい経つ、すべての木に置かれているわけでもないので、枯れかかった木にだけ置いてあるようだ。
葉っぱを見てみたが枯れそうな感じには見えなかった。
ここにも赤とんぼが飛んでいた。

積乱雲

2011-09-03 08:24:38 | 熊本の風景
長い長い外輪山を貫くトンネルを抜けると、積乱雲が熊本市の上空に見える。
金峰山や雲仙普賢岳の方は日が差しているようだが、市内の上空は真っ黒だった。



これがゲリラ豪雨の環境なのだ。
今からあそこに帰らなければいけないと思うとなんだか怖いような感じなのだ。



クルマを走らせ、益城町の「ふるさと市場」によって晩御飯の食材を買った。
何しろ野菜にしろ肉にしろ激安なのだ。
テントのような建物で、商品もただ置いてあるような店内だが、中は人でいっぱいだった。



熊本空港から大津方面へ出た。



走っているといきなり大粒の雨が降ってきた。
そして雷がものすごい閃光と轟音で鳴っている。
それでも何とか暗くなる前に自宅に戻ったのだ。

高森へ

2011-09-02 12:46:58 | 熊本の風景
馬見原(まみはら)から高千穂に行くことも考えたが帰りが遅くなるのでやめにして、国道218号線から265号線で高森に行くことにした。
皆さんお腹もいっぱいになったようですやすやと寝息が聞こえる。
クーだけは助手席の妻の膝に座って私の顔を見ている。
265号線もしばらく走っていると、阿蘇独特の草原になって行く。



そして外輪山を突き抜けるトンネルを抜けると、南阿蘇谷の絶景が目に入る。
高森町まで降りて、湧水トンネル公園に行ってみた。
駐車場は満杯に近いほどになっていた。



娘にトンネル公園に入るか聞いたが。
「トンネル内は人でいっぱいじゃ?」
というのでパスして旧道を白川水源に向かった。



しかしこちらも渋滞が出るほどの人気ぶりだった。
娘を妻ももうぐったりとしているようで、ここもパスした。



しばらく走っていると赤牛たちがのんびりとしている風景だ。
なんとも南阿蘇らしい風景に出くわした。
久木野から俵山方面への道に出た。



バックミラーに虹を発見、クルマを路肩に停めてしばらく眺めていた。
外輪山を貫く長い長いトンネルを抜け、家路を急いだのだ。
もう少し、続く・・・。

蘇陽峡

2011-09-01 07:27:47 | 熊本の風景
幣立神社を後にして、馬見原町を過ぎて蘇陽峡に行くことにした。
服掛松キャンプ場を過ぎ、細い道をぐいぐいと下って行く。
車一台がやっとという道だ。
迷っていたクルマが後ろをついてきた。
舟の口水源という所だった。
もうこれから先はクルマでは行けないという所まで行って、後は歩きだ。



行き先には休憩所のようなところでマスなどの料理もいただけるようだ。



まわりは一面水源のようでコンコンと水が湧いていた。



娘がのどが渇いたと言って水源の水をおいしそうに飲んでいた。



クーの奴ものどが渇いていたのだろうおいしそうに飲んでいる。



お店を通り、どこまでいけるかを確認したら展望所まで徒歩60分とあった。



もう正午も過ぎ腹も減ってきたので水源で少し休憩して、クルマに戻った。
再び細くてクネクネした上り坂を、四駆にして登り切った。
長崎展望所と看板が出ていたので行ってみた。



実はこの蘇陽峡、今日が2回目なのだ。
前回来た時はクルマで蘇陽峡の近くまで行ったのだが、その道は通行禁止の看板が出ていた。



展望所からの眺めだ。
深い渓谷が永遠と続いている。



そして阿蘇の方を見ると、五岳が涅槃像のように見てるではないか。
そう、ちょうど大観峰から見る涅槃像の全く反対なのだ。
暑い夏も渓谷から吹く風で気持が良い。
さてさて、お腹も減ったことだし、渓谷を出て、食事処を探さねば。
続く・・・。




幣立神社

2011-08-31 12:24:08 | 熊本の風景
通潤橋を後にして国道218号線を旧清和村を抜けてさらに進む。
この国道も昔は旧清和村から蘇陽町までの間はもの凄い道だった。



川沿いの道だったが、離合するにも大変で、おまけにバスや大型のトラックなどと離合しようものなら数十mバックなど当たり前だった。
それが今では立派な道路になっている。
旧矢部町から井牟田高原を抜けて高森に出る道もあるのだが、今日の一押しパワースポットと妻が云う場所へ向かう。
もう馬見原との境にある「幣立神社」なのだ。
妻が言うには
「九州のど真ん中、日本列島の中央構造線の真上にある神社」
だそうで知る人が知るパワースポットなのだそうだ。
218号線を走っていると看板が見えたのでクルマを道端に停め、後ろを確認してバックして駐車場まで行った。



鳥居をくぐると長い階段を一歩ずつ登っていく。


うっそうとした森の中に蝉時雨がうるさいくらいだ。



「高天原」や「日の神」などのききなれない言葉がある。



「高天原」とは神々が生まれる場所という意味だそうだ。
そして「日の神」とは世の中の神々の親神様(祖神)という意味のようだ。
なるほど、なかなかのパワースポットなのだ。
境内には何組かの人々がいて、こじんまりとした神前では巫女さんが何か供養をしていた。



天神木の「高千穂」の木だ。
台風で倒れ今の姿になったようで「どうか拝んでください」と書かれていた。



そして天神木の「首ッ玉」、一万五千年の樹齢の世界一の巨桧。



初めて参拝したけどこの218号線にはまだまだ隠れたスポットがあるようだ。
続く・・・。



通潤橋放水

2011-08-30 07:03:40 | 熊本の風景
そのおじさんが言うには、今から放水が始まるというのだ。
なんとラッキーな事ではないか。



橋の中央の放水場所に立って待っていると、別のおじさんがやって来て、先ず道の駅側の栓を抜いた、その瞬間橋の上で見守っていた人たちから、歓声が上がった。



そしてその反対側の栓も抜かれ、ふたたび道の駅のほうの2段目の栓が抜かれたのだった。



人の良いおじさんが言うには、橋の両側にある貯水タンクの水が無くなるまで放水が続くそうだ。



約15分。
両親が住んでいた3年間、私は学生でたまに帰省するだけだったが、放水をこんな身近で見たことは初めてだった。



この橋が作られたのが、嘉永7年(1854年)と云うから160年も前の事だ。
布田保之助が著名な石工を集めて作らせた、今では国の重要文化財に指定されている。
全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43mの巨大な用水用の水路橋である。



妻も娘も大喜びだ、しかしクーだけはビックリしているようで、抱いていた娘が
「クーが骨抜きになっている」
とはしゃいでいた。
15分もあるので、橋のあちこちに行って写真を撮った。



残念だけどここに掲載するのは数枚だけだ。

 

橋の上では娘と妻がおバカな事をしていた。
ミステリーツアー的なドライブだけど、初っ端から何ともラッキーな場面に遭遇したのだった。

続く・・・。


山都町

2011-08-29 10:02:20 | 熊本の風景
帰省中の娘がどこかパワースポットに連れて行けという。
妻は妻でネットで調べていて
「あった!あった!ここに行きたい」
という、私としては海(天草)に行きたいのだが、しかたない家を出て3号線から通称浜線バイパスを進む。



この道は私が運転免許をとり、初めて運転した道でもあり、その後も何度も通った道でもある。
クネクネした道だが流れは速い、180度のヘヤピンカーブもあったのだが改良されて今では真直ぐな道になっていた。
小一時間ばかりで山都町、旧矢部町に入った。



浜町商店街だ、何とも懐かしい、もう数十年前、両親がこの町に3年住んでいた。
その官舎も今は取り壊されて無くなっていた。
そして私にとってはじめての犬だった、ジョンが亡くなった町だ。
その死骸はこの町の高校の桜の木の下に眠っている。



そんな思いで街中をブラブラして、通潤橋に行ってみた。



駐車場はほぼ満杯で観光バスもたくさん並んでいた。
道の駅で休憩だ。



皆さんソフトクリームを食べていたのでひとつ買った。
クーにあげると美味しそうにペロペロしていた。



道の駅から国民宿舎の方に向かって五老ヶ滝(ごろうがたき)の駐車場にクルマを停めて滝を見に行った。



しかし下へ降りる道は通行止めになっていた。



ふたたび通潤橋の戻り、橋の上に立ってみた。
何年ぶりだろう、橋の上から街並みを眺めた。
橋を離れ、駐車場に戻って歩いていると、地元のおじさんから声をかけられたのだ。
続く・・・。

大津町地蔵祭

2011-08-25 14:09:47 | 熊本の風景
<江戸時代から続く行事。昔狩りで捕獲した動物の供養と水死や餓死した子どもの供養のため安置された地蔵を祭ったのが始まりとされている。現在は、各町内のお地蔵を祭の2日間は小屋を造り、新しい前掛けに付け直して、子どもたちが祭っている。夜には、近隣から大勢の人々が六地蔵にお参りにやって来て、夜店などが賑わっている。同じ江戸時代から続く「梅の造花」(伝統工芸品)も展示される。>
大津町のホームページにはそんな紹介がされていた。




何度かこの地蔵祭りに遭遇したが、道端で子供たちが地蔵の後ろに座って
「お参りしていってください!」
と元気な声を出していた事を思い出す。



この大津町も熊本市内からわずか20km、豊肥本線も通りこの大津から熊本方面には電化され通勤には良いし、企業誘致でホンダの熊本工場や数々の企業が進出し人口も多くなり、町と言うより市に近い街なのだ。



そんな地蔵祭りも、色々な企業が参加した祭りになっているようだ。
提灯飾りには九電関係の企業が参加していた。



生ビールの販売はこちらのクルマが参加だ。
そして青年部や婦人部、PTA関係などなど。



お化け屋敷にはさすがに驚いた。



そして舞台では子供たちの踊りの練習だ。
PAの素晴らしい音響が響いていた。
街並みが変わっていく中でも、江戸時代から続く伝統の祭りを継承してほしい。