私の仏滞在の最終月に三組、お客さんが来られますが、それぞれとても大切なお客さんです。
最初のお客さんとして岐阜大学の国枝稔先生が来られました。国枝先生の後見役でもある民間のコンサルの方も一緒に来られました。結果的に極めて充実した時間を過ごすことができました。
まずは9月3日に私の家族もよく行くバスク料理の店で夕食。コンサルの方は事前に私のブログを見ておられたようで、相当に変わった元気のある人間だとは想像して来られたようですが、思った以上だったようです。。。
国枝先生は私の二つ上ですが、以前から親しくさせていただいていました。ですが、実はじっくりとコミュニケーションするのは今回が二回目で、初回は東日本大震災の仙台近辺の被害調査チームでご一緒したときでした。そのときは明確なミッションがあったので、ミッション以外の一般論を話す時間は多くは取れませんでした。今回は、非常に長い時間、濃厚なコミュニケーションを、まさに化学反応のようにすることができて、楽しかったです。
私はトルコ出張も終わった後だったので、完全にトップギアに入っており、初日の夜のディナーでは、やや国枝先生の愚痴も聞かれ、「愚痴なんか言ってる場合ではありませんよう!」と私が教育?する場面も一、二回ありました。もちろん、愚痴などはごくわずかで、哲学をぶつけ合って、それをコンサルの方も頼もしく見ておられる、という構図でした。
初日の二次会では、オープンカフェでさらにワインを飲んで、武田鉄矢の「人として」のサビの部分を二人で歌う、というシーンも見られ、かなり上機嫌でそれぞれ帰宅しました。(歌った理由ですが、実はその日の朝に、オープンカフェで座っていた目の前の歩道を、次女と「人として」を歌いながら歩き、突然泣き出した、からです。)
まあ、このディナーが、ウォーミングアップ、でしたね。
翌日、9月4日は、電車でパリ東駅からMeaux(モー)という駅まで行き、レンタカーでフレシネーのLuzancy橋とマルヌ5橋を見る、というツアーに出かけました。私にとっては三度目だったのですが、自分でもびっくりするぐらい、新たな発見がいくつもあり、やはり分かった気に簡単になってはいけない、と心底から感じました。「無知の知」を改めて肝に銘じることができました。もちろん、いろんな発見をできたのも、国枝先生らといろいろ議論しながら橋を見たから、です。橋の視察については写真も掲載したいので、別のエッセーで投稿します。また、私がフランス滞在中に実際に訪れたフレシネーの橋梁巡り(Luzancy、マルヌ5橋、プルガステル橋、ブチロン橋)を、コンクリート工学誌か何かに投稿しよう、と改めて思いました。良質の読み物に仕上げたいと思います。
橋梁巡りの最中も非常にたくさんのコミュニケーションをしました。レンタカーを返した後、17時ごろにMeaux駅から電車に乗る前に、Meauxの大聖堂の真ん前のカフェでビール二杯、フライドポテトで語り合いました。超一級のPCの原点を見た後ですから、技術論も含み、話が弾みました。
そして、パリに戻ってから、二回目のディナー。ウォーミングアップも前夜終わり、橋梁巡りも終わった後のディナーなので、開始早々から化学反応の連発で、話は異様に盛り上がりました。途中で後見役のコンサルの方はすぐそばのホテルに戻られました。「後は徹底的に若い人たちで語り合ってくれ」とのことでした。さすがです。
国枝先生も内田樹先生の本を読み込んでいることもあって、 とにかく価値観が合います。一方で、私が何かを話したときに、それに同調するだけでなく、異なる視点からのとても興味深い意見を必ず言ってくれるので、私にも刺激満点でした。
人物眼が優れており、私のことも非常によく観察されていることが分かりました。そんなにしょっちゅうお会いするわけではなく、そんなに私のことをじろじろ見ているようにも思えませんが、見ている人は見ているのですね。まあ、国枝先生にも言われましたが、私は分かりやすい人間のようですので。
藤井聡先生の「政の哲学」も国枝先生にプレゼントしました。ぜひ、国枝先生に読んで欲しい本だったからです。
結局、ワインを二本空けて、お開きとなりました。一年に一回くらいでよいと思うので、これくらいの徹底的なコミュニケーションを国枝先生とも重ねていきたいな、素敵で、すごい人だな、ととても幸せな気持ちになりました。日本だと、なかなか時間、取れないんですけどね。こういう時間が大事なんだな。
ブログの更新がすっかり滞っていました。
8月上旬に、最後の、5回目の日本出張を終えました。5回それぞれ、私にとってはとても大切な、思い出に残る出張となりましたが、今回も無事に終わりました。
日本出張中の最重要業務であった、指導学生の博士論文の最終審査も無事に終了し、私もホッとしました。博士論文はいつも死闘の様相を呈しますが、今回もまさに死闘であったと思います。4月上旬の予備審査の前からはタフな議論を重ね、Namさんもベストを尽くしたと思います。7月ごろからも何度もSkypeでのミーティングを重ね、最終審査では非常に良いプレゼンテーションであったと思います。私の指導が厳しい時もあったかと思いますが、お互いに心は通じ合っていたと思います。最後、8/9(土)の午後、彼の最終審査終了のお祝いを二人で、うなぎを食べて行った後、横浜駅で別れるときに抱き合いましたが、私は涙がこぼれました。
また、出張中に土木学会のコンクリート構造物の品質確保委員会(350委員会)の準備会を開催し、その準備会の直前には、田村先生、岩城先生とともに、小澤一雅先生にアドバイスをいただきに参りましたが、すべて含めて有意義な議論ができたと思います。頭の中ではそれなりに本質が整理されたつもりですが、少しずつ吐き出し、形にしていきたいと思います。かなりミッションの大きな研究委員会になりますが、これまで着実に進めてきた取組みを体系的に強力に前進させる大きなチャンスであると思います。
日本出張を終えてパリに戻り、数時間の差で入れ替わりでロンドンに出張した奥さんの不在の間、子どもたちのお世話をしました。特に長女は研究所で長時間一緒に過ごしたりもしましたが、家族で支え合いながらの生活です。
8/14(木)に鞆中学校の毛利先生ご夫妻が我が家に遊びに来てくれました。ハネムーンの最終盤でしたが、私と子供たち二人でおもてなしをし、濃厚な楽しい時間を過ごした後、最後に少しだけロンドン出張から帰ってきた奥さんとも面会でき、良かったです。毛利先生とは我が国家の教育について、秀逸なワインを飲みながら語り合いました。今後も、海野先生とともに、仲良くしていただければと思います。
その後、家族でギリシャにバカンスに出かけました。肌寒いパリとは異なり、まさに灼熱でしたが、アテネ、村上春樹が住んでいたスペッツェス島、サントリーニ島での家族でのバカンスは楽しい時間でした。私の仏滞在は最終盤に入っていますが、日本での生活にけじめを付けて家族でフランスに移住することも大変な出来事でした。まだ様々なことが現在進行形で、今後も家族にはいろいろな環境の変化が待ち受けていますが、気が付けば家族四人水入らずでの旅行は約1年半ぶりでした。夫婦間でいろいろと意思疎通がうまく行かないこともありましたが、今回のバカンスでは家族みなでとても良いコミュニケーションができました。その意味でも非常に楽しい時間でした。
バカンス中も、もちろん仕事はそれなりにしておりましたが、本格的には今日から仕事も開始です。パリは肌寒く、日本人からするといわゆる夏の時期はほとんど無かった印象です。今日も、終日次女のお世話をしながらではありますが、次女も行儀よく一人で遊んでおり、家事、育児、仕事は並行です。
朝からシャルル・ド・ゴール空港にいます。いつも、日本に出発するのは夜が多いのですが、今回は7時半前には空港に到着しました。羽田空港に朝の6時に到着する便を利用するためです。
いよいよ最終の日本出張となりました。合計で5回目になりますが、少し感慨深いものがあります。
毎回、季節も違うし、出張の内容も違うし、出張に出かけるときの気分は異なりますが、今回もこれまでにない気分です。
まず、今回はとんでもなく荷物が多い。私自身の荷物は少ないのですが、SWAT(表面吸水試験)関連のグッズすべてを持ち帰るとしたら今回だと思い、実行しました。4つの荷物を預けたので、相当な追加料金も取られましたが仕方ありません。自宅からパリの空港と、羽田空港からホテルまでの搬送、空港で無事に預けられるかなど種々の不安がありましたが、今のところ無事に進んでいます。
朝、6時半に自宅の前にタクシーをインターネットで手配していたのですが、来ませんでした。どうやら私のミスで、携帯電話に届いた4桁の確認コードで、予約を確定すべきだったようですが、それをしていませんでした。10分ちょっと過ぎても来ないので、私のミスに気付き、とんでも無い量の荷物をガラガラと運搬して、道路でタクシーを拾いました。非常に快活な運転手さんで、日本のことが大好きなようで、いろいろとおしゃべりしながら空港に到着。英語とフランス語が混じった会話でしたが、楽しい時間でした。
さて、今回は一週間弱と、これまでで最も短い出張ですが、これまでで初めての、首都圏から出ない出張です。最大の用務は、博士論文の最終審査ですが、その他にも今後につながる大事な仕事がたくさんスケジュールされています。やはり何と言ってもホームグラウンドですから、日本への出張はいつも楽しみです。
何事にも終わりはありますが、私の仏滞在も終わりが近づいています。現在の気分としては、すでに最終盤に差し掛かった気分で、むしろ気持ちは日本での生活に向かっています。日本出張に出発する直前だから、かもしれませんが。
酷暑の日本、ということもあり、出張期間はあっという間に終わってしまうと思いますが、パリに戻った後の最後の1ヶ月半をどのように過ごすか、帰りの飛行機でじっくり考えたいと思います。
改めて、1年間という貴重な機会を与えられて、本当に良かったと現時点では思っています。総括は別の機会に取っておくとしまして、日本の現場にどっぷり浸かっている当事者にしか分からないことももちろんありますが、離れてみないと見えないことはたくさんあったように思います。また、結局振り返ればこれが一番かなと思いますが、精神的なオーバーホールを十分に行うことができたように思います。それなりに視野を広く生きてきたつもりではありますが、世の中は広い、ですね。
体験したことのない、酷暑の時期の早朝到着+そのまま業務(ホテルで一息付きますが)、なので、ワクワク感は強いですが、無理しないようにゆったり行きます。
ブルターニュ地方のBrestにあるプルガステル橋を見学することが出発前の最大の目的で、正直それほど期待していなかった出張ですが、期待をはるかに上回り大変に勉強になりました。プルガステル橋についての報告は、すでに記しましたので、そちらをご参照ください。
以下が今回、レンタカーで走破したルートです。600km走りました。青く丸で囲ったところを訪れました。
振り返ってみると、今回はフランスのインフラについて体感した旅であったと思います。インフラとは実際に使ってみないと分かりません。今回は、Rennesを拠点にして、ブルターニュ地方をぐるっと車で走ることができたので、ずっとインフラのことを観察し、考えていました。
私は、2007年の夏に初めて、フランスで車を運転しました。ルーヴル美術館の地下でレンタカーをして、郊外での奥さんの友人の結婚式の場所までロングドライブしました。そのときは、奥さんがとても上手にナビをしてくれましたが、左ハンドルのマニュアル車に苦戦して何度もエンストし、最後はパリのリヨン駅のレンタカー屋に帰還するのにすごく苦労したことを覚えています。その後は、今回の渡仏期間中にレンタカーで何度か運転しており、今回が通算で5回目です。おそらく、今回の走行で、フランスでの通算走行距離が2000km近くになったと思います。
今回の走行が、Rennesを拠点としてぐるっと回ったこともあり、最も道路インフラのことをよく観察できたと思います。前回の5月は、Toulouseを拠点に、カルカッソンヌやミヨー橋なども訪問し、このときも高速道路、一般道路をたくさん走りました。それらの経験だけで、フランス全土のインフラを語る資格はないかもしれませんが、今回考えたことをまとめておきます。
まず、今回の視察の第一印象は、ブルターニュ地方の優れたインフラでした。上記の写真(地球の歩き方)では、ブルターニュ地方には高速道路が無いと見えますが、ここで示されている「一般道路」は日本で言うところの、以下のような完全な「高速道路」でした。7月14日の祝日と、翌日の平日にどちらも走りましたが、渋滞は最後のRennesの街中を除いて皆無。制限速度も110kmです。非常に快適に、効率的にブルターニュ地方を回ることができました。歴史的な経緯もあって、ブルターニュ地方は高速道路が無料、と聞きました。それで実質的な高速道路を「一般道路」と呼んでいるのでしょうか。
結論を先に述べておきます。
私は道路インフラの計画的な面について無知ですが、フランスの道路のあり方と、日本の道路のあり方は、相当に違う気がする。一言で言うと、フランスの道路は、人間の生活空間である都市や町を道路がつないでいる、という印象。日本の道路は、つなぐ機能もあるのだけど、道路沿線も人間の生活空間になってしまっている。だから混む。
乱暴な印象かもしれませんが、私はそう感じました。そして、その根本要因は、日本に可住地が少なく、かつ人口が非常に多いことであろう、と思います。やむを得なかったのでしょう。
少しデータを調べてみたところ、フランスの可住地面積の割合が72.1%で、海外領土を除く面積が55.15万平方km。日本は可住地面積の割合が33.6%で、37.79万平方km。
可住地面積は、フランス(39.8万)対 日本(12.7万)となり、圧倒的に使いにくい国土であることが分かります。そのくせ、日本の方がはるかに人口が多いのだから、一人当たりの可住地面積は、フランスと比べると極端に少なくなります。フランスは、日本と比べて、一人当たりの可住地面積は6.3倍程度です。愕然とする値です。そのような我が国土を(しかも4つの大きな島に分かれている)、どのように使いこなしていくか、これまでの先人たちも必死に考えてきたと思いますが、私たちも真剣に考えないと、先進国としてやっていけるわけがありません。(先進国でなくてよい、という批判もすぐに出ますが、先進国でなければ防災も含めたインフラへの投資などできず、伊勢湾台風のようにたった一つの大型台風で5000人もの人が亡くなるような国に逆戻りしてもよい、と本当に思えるか、です。私は嫌です。)
そして、だからこそ、「人」を運ぶ手段としては車よりはるかに効率的な鉄道に、莫大なエネルギーと資金を投入してきた我が国の先人の考えは極めて合理的だったのだと改めて敬意の念を抱きました。もともと人口が多く、しかもその後、1億3千万人まで膨れ上がったのですから、鉄道インフラが無ければどんな悲惨な状態になっていたのか、想像に難くありません。明治以降の鉄道インフラ発展の意義を、再度勉強してみたいと強く思いました。
鉄道は、人を効率的に運ぶ観点からは素晴らしいですが、物を運ぶ観点からはやはり道路にはかないません。これだけお互いに依存しあう現代社会においては、道路インフラの優劣は国力に直結します。フランスのインフラを見ると、我が国は勝負になるレベルではまだまだありません。当然に、今の不況時には適切にインフラに投資をし、不況の脱出を達成し、さらに将来の競争力のある国力、均衡な国土の発展を狙っていくことが当然なのだと思いますが、積極的なインフラ投資をしない理由がよく分かりません。
一方で、フランスは道路インフラは優れていると思いますが、鉄道インフラは日本よりも劣ると思います。しかし、道路が主役なのですね。日本のように過密にひしめき合っているわけではないので、鉄道よりも道路が有効なのでしょう。今回、線路が高速道路と並走している区間も結構あったのですが、そのときに日本における鉄道の相対的な重要性の高さについてぼーっと考えていました。しかし、フランスのような国々でも最近の鉄道ネットワークや、都市内交通への投資は目を見張るものがあります。日本もうかうかしてられないですよ!
以上が結論。
優良なインフラでつながれた、フランスの地域は輝いているように見えます。地域、田舎が活き活きしてるように見えます。インフラのおかげだけではないでしょう。グローバリズムに蹂躙されないための、国家の適切な規制のおかげもあるのでしょうか。コンビニの我が国における重要な役割は認識していますが、それでも、巨大スーパー、コンビニ、各種チェーン店、外資等で埋め尽くされた我が国の街や地方を思うと、国家戦略の重要性を痛感させられます。
以下は、フランスで最も美しい村の一つに認定されている(人口2000人以下が条件だとか)、Locronanの村の小道。
15日の朝、Pont Aven(ポンタヴェン)の村の外れにある教会を訪れました。人が誰もいない。まさに中世のままのような雰囲気。ゴーギャンが愛した村だそうです。
写真ではなかなか伝わりませんが、この静けさの中で、この教会の中に一人で入ったときの感覚は、これまでに味わったことのないものでした。以下の黄色いキリスト?がゴーギャンの絵画のモデルだそうです。
こいつが、今回の私の相棒。
芸術家たちに愛されるPont Avenの中心部はこんな感じ。
Pont Avenを後にして、Aurayの村に到着しました。Aurayの港ですが、奥に見えるコンクリートの橋が、高速道路です。非常に交通量が多いです。
境界に船が吊ってありました。漁業等で船が大活躍してきた村のようです。
村の中の小道も大変に雰囲気があり、以下のお店でガレット、クレップの昼食としました。
ネコさんの毛並みも素晴らしかった。
城の跡があり、その上からの眺めは素晴らしかったです。アーチ橋が川に架かっていました。
Aurayを後にし、Carnac(カルナック)という、膨大な謎の巨石群があるところを見学して、港へ。
実質的な最後の視察場所かな、と思っていましたが、白いアーチ橋が美しく地域交通を支えており、今回は、プルガステル橋に始まり、最後までアーチ橋の旅であったと、感激しました。
さて、Rennesに戻ろう、と出発したところ、「みよし」という名の日本料理店を見かけ、車を停めました。ちょうど午後の休憩時間のようで店は閉まっていましたが、日本人のご家族の名前が玄関にあり、同邦が頑張っておられる様子を記念写真。
異国でレンタカーをする際、レンタカーを返却する場所に無事に到着できるかどうかが結構難しいです。今回も、私一人の運転で、かつ、以下の写真のように駅前が工事中だったりして、相当にハードルの高い帰還ルートでしたが、一発で行けました!経験値も相当にアップしてきています。
RennesでTGVの出発まで2時間くらいできたので、Rennes美術館に行くことにしました。Louvre美術館で何度も苦杯をなめている、ラトゥールの非常に有名な絵があるそうで、それを見に行きました。内藤廣先生の「形態デザイン講義」を読んでいなければ、また、母親にプレゼントしてもらった「怖い絵」を読んでいなければ、ラトゥールのことなど興味も持たなかったでしょうが、そういうインプットがある段階からはつながってきます。ラトゥール展をちょうどやっていたので、いくつかの素晴らしい絵画にも見とれて、旅は締めくくりとなりました。
ジョルジュ・ド・ラトゥールの随一の代表作と言われる「生誕」です。
以下は、私がルーヴルで探し続けている(おそらく、改修中の箇所にあるものと推察)、「大工聖ヨセフ」に通じるところの多い(と勝手に私が思っている)、「聖ヨセフの夢」です。
Rennes美術館には、春画もありました。さすが日本ですね。ブログに掲載できそうなものを撮影しました。その他は、掲載できません。。。
以下が、Rennes美術館。
フランスの地域、地方の魅力は、今回も肌で感じました。さすがに奥深い、底力のある国だと敬意を表します。
でも、それと同時に、日本の素晴らしさ、潜在力に何度も思いが至りました。もっともっと力を発揮できるのに、と。
どのような国を目指すかは、国民次第だと思いますが、世界最大の観光大国であるフランスに見習うべきことは多々あるように思います。日本人がレンタカーで一人で苦も無く移動できます。日本や他のアジアの国々ではなかなかそうは行かないだろうな、と推察します。
7月14日の革命の記念日に、ブルターニュ地方のBrestのプルガステル橋を見学に行ってきました。20世紀の構造工学の最大の発明であるプレストレストコンクリートの父であるEugene Freyssinet(フレシネー)が設計し、1929年に完成した鉄筋コンクリートのアーチ橋です。
Rennes(レンヌ)を拠点に、レンタカーで移動しました。以下が、今回のルートです。600キロの行程でした。地球の歩き方によれば、この地域には高速道路はなく、一般道路しかないとの説明だったので、移動にはかなり時間がかかるかな、と思っていましたが、「一般道路」は日本でいうところの高速道路でした。歴史的な経緯もあり、ブルターニュ地方の高速道路は無料だそうです。
ブルターニュ地方の道路網は非常に便利で、その考察は次の記事に譲ります。この記事はプルガステル橋の紹介に専念することにします。
RennesからBrest方面への道路に乗るのに少し苦労して、Rennesの街中をぐるぐると走ってしまいましたが、9:30ごろに「高速道路」に乗り、一回休憩をしましたが、brestまでの240kmの距離を2時間ちょっとで走破できました。記念日のため休日であり、道路が空いていたことも理由かと思います。Plougastel橋には12時前に到着しました。
以下、解説は「PC構造の原点フレシネー」(Ordonez著、監訳:池田尚治、建設図書)を参考文献としています。
Plougastel橋(プルガステル橋)は、1902年に、フェリーの代わりとしての建設の最初の要求が出され、Elorn川の両岸を安全に、永久に結ぶことが必要であった。この地方は風が強く、ブレストの停泊地は潮の干満の差が大きかった。戦争の影響もあって計画は中断され、1922年になって橋の建設が進められることになる。鉄道が必要になった場合の工夫も求められる計画であった。1930年10月9日にフランスの首相であったGaston Doumergueによってプルガステル橋の開通式が行われ、鉄筋コンクリートの分野でのフレシネーの最も大きな業績となった。
杭軸間188mのスパンをもつ3つのアーチで560mにもわたる河幅の問題を解決した。鉄筋コンクリートのアーチとしては当時、世界最長スパンであった。
この巨大アーチを施工するためのセントルは、木製の構造であり、鋼線とくぎでつなげられた4cmの分厚い板で出来ており、何百もの引張鋼線であらゆる方向から制御されていた。そして、同じセントルが3つのすべてのアーチの打込みのために使用された。以下は、アーチの施工後にセントルを移動している様子である。
第二次大戦でアーチのいくつかが損傷を受けるが、全く同じ施工方法で修復した。これ以上合理的な施工方法がなかったことを示している。
以下フレシネーの言葉である。
「ブチロン橋に関しては、悪い思い出しかない。ル・ヴァートル橋とともに、『力業』であり、少し際立ち過ぎていた。・・・・・・ 結局のところ、この2つの橋を造ったことにより、『力業』は避けなければならないことを学んだ。・・・・・・ ヴィルネヴ シェルロット橋も、プルガステル橋も『力業』ではなく、それゆえ、これらの橋は以降、模倣され、同じ形式の橋が今度は規模が大きくなって再び建造されたのである。」
プルガステル橋はフレシネーに世界的な名声を与えた。広く世界的に流通している技術誌に掲載された。その橋には、それまで不可能であるとして使用されていなかったコンクリート部材が用いられ、賞賛されるほど大胆な技術を用いて最小限のコストで建設された。
現在は、1994年に建設された斜張橋(こちらも桁はコンクリート)が主交通を担っており、プルガステル橋は以下のように歩道橋として供用されている。散歩の人や観光客でにぎわっていた。
85年、塩害環境で供用されることの厳しさは、構造物の各所で見られました。丸鋼が使われていました。かぶりの部分の質量が構造体全体に占める割合は、構造物が大きくなるほど小さくなります。従って、耐久性を確保することは構造物が大きいほど容易である、とのフレシネーのコメントが参考文献中にも見られましたが、塩害はやはりフレシネーの想像も超えてシビアな問題であった、と解釈できるでしょうか。
アーチの雄大な姿は、85年の時間を経て、貫録を増していると思われ、しばし見とれてしまいました。アーチの部分も、実は3室の箱型構造になっており、軽量化がなされています。もちろん、鉄筋コンクリート構造なので、アーチの表面には腐食した鉄筋が露出している部分も見られました。
私が一番好きな写真です。
重力に打ち克つための人類の工夫であるアーチ橋で、フレシネーをして『力業』ではない、と言わしめたプルガステル橋が85年前。その65年後に1994年に完成した斜張橋はいとも簡単に河を超えていきます。プルガステル橋の後、フレシネーが心血を注ぐプレストレストコンクリートの技術が、この斜張橋にももちろん使われています。この二つの橋を並べてみることにより、人類の挑戦と時間の重みを感じることができました。
以下は、プルガステル橋の近くにあった説明です。
ブルターニュ地方全体で、アジサイがとてもきれいでした。
以上、今後も加筆をすると思いますが、第一報としてブログに掲載しておきます。
フランスに来てから、最も天気の悪い日々が続いております。雨がよく降りますが、突然に非常に強い雨が降ったり、と思えばときにカラッと晴れたりとよく分からない天気です。今日は朝からずっと雨ですね。
1年住んだからといって、パリの天候を完全に認識できるわけでは決してないと思います。年によっても違うでしょうし。でも、旅行でちょっと来るのに比べると、もちろんですが体感的に天候のことも把握することができます。
不思議な天候です。私の記憶では、12月が非常に寒かった。1月、2月はそれに比べると拍子抜けするような温かさで、3月は暑いくらいのときもありました。その後、どんどん暑くなるのかなと思ったら全くそうではなく、5月は肌寒いなと感じたことがしばしば。このころから非常に日が長くなりましたが、朝は肌寒くても、夕方の西日の強い時に非常に暑かったりと、衣類の調整も難しかったです。
6月は少し暑いなと思いましたが、7月へ来てこの悪天候。昨日、夕食に出かけたときは皮のジャケットを久しぶりに出してきました。まさにつかみどころの無い天候ですが、9月末まで観察を続けたいと思います。私のパリの家には冷房がありませんが、確かに、これでは冷房はいらんですわ。
さて、加藤周一著の「日本文化における時間と空間」を読み進めています。内藤廣先生の「形態デザイン講義」で紹介されていた本で、非常に勉強になっています。
世界の様々な文化と比較して、日本文化の時間、空間に対する考え方を深く考察、分析していく内容です。日本人、日本社会の特徴はいろいろあり、欧米や中国などと異なる場合が多いですが、その源泉はどこにあるのか、ということを認識しておくことは、社会の課題を解決していく際にとても重要なことであると感じながら読んでいます。
日本人、日本社会に染みついていることも多々あり、それらは容易に変えることはできないと思います。また、変える必要のないことも多々あると思います。
ですが、これだけInternationalな世界になってくると(Globalではないですよ!)、違う考え方の方々と交流していくときに、自分たちの原点をよく見つめておく必要はあるでしょう。また、自分たちの社会の問題を解決したり、状況を改善していくときには、日本のことをよく知っておくことは作法の問題かと思います。私や、私の周囲の方々は、ある意味では典型的な日本人では無い面を多々持っているように感じています。だからこそ、典型的な日本人、日本社会について理解を深めておくことが重要である、と考えています。
もうすぐ読了しますので、その後に、考えたことをまとめておきます。
以前、雨のパリの土曜日の記事を書きました。その日のことは克明に覚えていますが、そんなに前のことではないと思っていました。5月12日の土曜日なので、2ヶ月近くも前のことでした。月日の過ぎるのは早いですね。
今日は5/12ほどではないですが、パリの天候がよくなく、私以外の家族+義理の母は、パリのディズニーランドに行く予定を変更して、美女と野獣のミュージカルを見に行くそうです(母以外は二回目)。
昨日は、ワールドカップの準々決勝で、フランスが登場し、ドイツと対戦でした。夕方6時からだったので、フランス全土で大変な応援だったかと思いますが、我が家でもシャンパンや赤ワインも用意して、家族全員で観戦でした。日本以外の国に、これだけ愛着を持って応援できるというのも不思議な感覚でしたが、自然に家族四人はフランスを応援していました。残念ながら負けちゃいましたけど。
今日は、私は以下のようなスケジュールで行動予定。
朝食後、長期海外出張等でストップしていたコンクリートの耐久性の勉強(NevilleのProperties of Concrete)を再開。やはり何と比べても、勉強はいいものです。
家族が日用品の買出しに出かけた後、7枚のシャツ等のアイロンがけ。予定通りであれば、1週間後にナイジェリアの出張にでかけるので、そのためのシャツも含んでます。音楽を聴きながらのアイロンがけは楽しい。いろいろ考えごともできます。ほんの少し、赤ワインも飲みながらの楽しいアイロンがけでした。アイロンがけを終えて、このブログを書いています(一部、夕方に加筆)。
「伊藤博文 近代日本を創った男」を読みかけで渡仏しましたが、今朝、読みたくなりました。 読みかけの本はたくさんありますが、この本も今日の雨の土曜日を彩る一つになりそうです。
今日と明日で、現在の最優先事項の業務を推進する予定なので、昼食をまたいで努力します。ナイジェリアに出張に出る前に仕上げる!
午後2時ごろからは、香川高専の林さんとスカイプで研究のミーティングをする予定。
=> 予定通りミーティングをし、40分話しました。学生とのミーティングももちろん重要ですが、連携して研究しているプロの研究者同士の直接コミュニケーションはやはり非常に重要だと思いました。休日にたった40分話し合うだけで、今後の展開は大きく異なると思います。コミュニケーションこそが重要ですね。
夏になり、家族も一人増えていることもあり、ミネラルウォーター等、食材の消費も多いです。ミネラルウォーターの買出しは私の役目ですが、今日、1.5リットル×12本、調達してきます。一週間前にも調達したので、 1週間で18リットル消費してますね。。。
=> ミネラルウォーター12本と、果汁100%のジュースを4本、調達しました。
スカイプミーティング終了後は、時間があれば、気分転換にルーヴル美術館にぶらっと行ってみようかなと思っています。目当ての絵があるので、それを探しながら、ブラブラしたいと思います。
=> ルーヴル美術館にも行き、お目当ての絵は見つけられませんでしたが、ミロのヴィーナスを初めて見ることができ、見失っていたドラクロワの「民衆を導く自由の女神」も見つけることができ、満足。2時間の散歩で、1時間、ルーヴルの中をうろちょろできることが分かったので、今後も活用しようと思います。
美女と野獣のミュージカルを見る家族と合流してディナーになるかもしれないし、そうでなければ、自宅でアルゼンチンのサッカー観戦をしようと思います。
=> 私以外の家族は外で夕食を食べることになったので、一人でサッカー観戦することになりました。もうすぐアルゼンチン戦、始まります。何事でも、一流のものをみることが大切。全くのサッカーオンチですが、メッシのプレーが楽しみです。
今日は日常の水曜日です。
フランス語の個人レッスンが午前にありました。本来は定期的に勉強すべきなのですが、どうしてもレッスンが近づいてから宿題をやったり、勉強をしたり、となってしまいます。宿題はあまりに早くやってしまうと隔週のレッスンだと内容を忘れてしまうので、直前でもいいかな、とは思っていますが。
スピードラーニングの第9回目の教材が、フランスのプロヴァンスでのバカンスに関するもので、とても面白く、活用しています。一昨日辺りから音楽を聞くのを減らして、スピードラーニングばかり聞いています。
今日も、個人レッスンに向けて、起床後はフランス語勉強に集中。10時からレッスンです。
私は待ち合わせの時間には遅れない性格なので、 フランス語のレッスンのときも早めに家を出ます。最寄りは、メトロではOperaとか、Madeleineなどですが、いろいろあって、Madeleine駅を利用しています。すぐ近くに、マドレーヌ寺院があり、レッスンの開始よりもかなり早く駅に着くので、マドレーヌ寺院に入って静かな空間をゆっくりと歩く、というのが私のルーティンになっています。心が落ち着いて、楽しくレッスンを受けることができます。
いつも、マドレーヌ寺院から少し離れたところに、St.Augustine教会が見えるのですが、次女のお迎えなどがあり忙しく、行くことができませんでした。
次女はいつものスクールがもう夏休みに入ったので、別のスクールに通っています。というわけで、次女とのルーティンであった水曜日散歩も一旦終了。今日は、水曜日の午後も次女の面倒を見る必要がありません。レッスンが終わったらSt.Augustine教会に行こうと思いながらレッスンに向かいました。
レッスンはいつも通りとても楽しく、雑談もたくさんするし、私の家族の夏休みのバカンスの計画も今朝作文したフランス語で説明していろいろ会話するし、フランス語の演習もやらされるし、あっという間の90分でした。つくづく良い先生に出会ったと思います。
そして、レッスン後、いつもは行けない、St.Augustine教会に散歩することにしました。
パリの夏は気持ちよいです。
マドレーヌ寺院は中が真っ暗ですが、厳かな雰囲気が私は好きです。上の写真は、初めて入ったSt.Augustine教会(建物外部も、ドーム内側天井も補修中)の中ですが、建築装飾が華麗な第一印象を受けました。次回のレッスンの後にも来て、もっと観察したいと思います。
St.Augustine教会の建築を見学(これも仕事!)した後、一人で昼食。魚料理をおいしくいただきました。その後、自宅近くのマルシェで魚、ソーセージ、野菜を購入して帰宅。自宅で仕事です。
最近、長女がバスケットボールに多大な興味を持っており、学校でもみんなとやっているし、私とも休日に練習したりしているし、放課後に公共の遊び場で同級生たちとバスケットボールで遊んだりしています。放課後の練習にも、我が家のバスケットボールを持参しています。私が長女のお迎えに行くときに、時間のあるときは、私も仲間に入ってバスケットボールの基礎を教えてやったりしています。
長女の友達たちが、私がいたほうがバスケットボール遊びが充実するらしく、今日は長女経由で、来るように要請を受けました。
小学校4年生の女の子たちと放課後に、パリの高層ビル群の2階歩行者空間で、バスケットです。日本では考えられない。。。
今日から7月です。日本であれば暑さに参っている状況かと思いますが、パリの7月は快適です。
私の仏滞在も残り4分の1に入りました。これまでの4分の3には満足しておりますが、最終盤ですのでもう一度巻き直し、後で後悔しないように過ごしたいと思います。
滞在中のまず第一のミッションと考えていた論文等の執筆ですが、もう一頑張り、二頑張りが必要です。優先順位を付けて、努力したいと思います。
申請は済ませましたが、うまくVisaが取得できれば、来週の7/12からナイジェリアに出張してきます。もちろん初めてです。これまでのアフリカ出張も、私の視野を広げることには大きく寄与してきましたが、今回もナイジェリア出張が実現すれば、いろんなことを学べると期待しています。
8月もいろいろと動きそうで、最終の日本出張、ギリシャ、トルコを訪問することになりそうで、ギリシャもトルコも初めてなので、とても楽しみにしています。
9月28日に日本に帰国することにしました。さっそく、9月29日と30日は、復興道路の現場に行くことになりそうです。私の講義は、10月2日スタートですね。いよいよ地獄の日本への戦線復帰が近づいて参りましたが、もうしばらく自身の時間を満喫(?)させていただきます。。。皆様に感謝申し上げます。
パリのメトロ6号線での通勤時間がとても大事な時間であることは、すでに書きました。参考までに、ウィキの6号線の説明はこちら。
地上区間が結構多いことも、私が6番線を好きな理由の一つですが、どれくらい地上区間があるのかを、今朝、乗車中に確認しました。
・Etoile (ターミナル、凱旋門のある駅) ~ Trocadero まで、4駅は地下
・Passy,Bir Hakeim(最寄駅)、Dupleix、~ Sevres Lecourbe まで、6駅が地上,その間にセーヌ川を渡る
・Pasteur から Denfert Rochereau まで5駅が地下
・Saint Jacques から Corvisart まで3駅が地上
・Place d'Italie のみ地下
・Nationale から Quai de la Gare まで3駅が地上,セーヌ川を渡る
・Bercy から Daumencil まで3駅が地下
・Bel-Air のみ地上
・Picpus と Nation (ターミナル)が地下
こうしてみると、本当に地下と地上を行ったり来たりです。パリの地形に合わせてそうなっているようですし、地上区間では二ヶ所でセーヌ川を跨ぎます。
これだけ景色の変化も激しいので、リズミカルで、私も心地よく感じるのだと思います。もしかすると、これまでに私が乗った電車の時空間で、最も好きなものになるかもしれません。
セーヌ川を跨ぐときはよく分かるのですが、 Bel-Airのようにどうしてその駅だけ地上にあるのか、すぐには理解できない部分もあるので、もう少し観察、調査してみようと思います。パリの地形図があれば購入してみよう。
土木チャンネルでの藤井聡先生と浜崎洋介先生の対談で、馴染むこと、待つことの重要性が語られていました。
私は、パリでの通勤では、メトロとRERのA線を乗り継いでいますが、特にメトロの中の時間を気に入っています。それが、「馴染む」ということととても深く関連していることに気付いたのでまとめておきます。
メトロの6号線で、おそらく車両はメトロの中でも最も古いと思います。ドアの開閉は、手でレバーを回転させる必要があるし、座席もオンボロ、おそらく扇風機以外の冷房もありません。 乗り心地も異常に悪く、PCでの仕事は絶対にできません。ですが、このメトロの中での朝の時間が、私にとっては思考のためには最適の時間なのです。なぜなのか、今朝の通勤でじっくり考えていました。
まず、乗っている時間が長い。始発は凱旋門のあるEtoile駅ですが、5駅目のBir Hakeimから乗車します。長女を通学バスに送った場合は、隣駅のDupleixから乗車します。そして、終点のNationまで乗ります。Bir Hakeimからだと22駅。乗車時間にすると30分程度だと思いますが、長い。もちろん座れる。狭いですがボックス席で窓側に座るのが好きです。これが第一点。
そして、メトロなのですが、この区間は地上区間が多い。景色が次々と入れ替わり、朝の人の生活の営みも見える。 駅間が非常に短いので、テンポが良い。リズムは大事です。ずっと高速で走り続ける列車よりも、頻繁にテンポよく止まる列車の方が、長く乗る場合には思考には適しているようです。さらに、終点まで行くので乗り過ごすなどの余計な心配をしなくてよい。どっぷりと思考に浸れる。もちろん、ほとんどの場合、好きな音楽を聴いています。
写真1 私の好きなオンボロのメトロ6号線のボックス席。窓の外に、高架橋の鋼アーチ橋も見えています。
写真2 Bercy駅に到着する直前のセーヌ川。斬新なデザインの歩道橋も見えます。
それから、列車や線路システムがボロいこと。メトロの6号線の構造物(鋼アーチ等)はしょっちゅうメインテナンスをしています。しかも、6月末からは何と2ヶ月間も、私の最寄駅を含むある区間が運行停止になり、集中メインテナンスをするそうです。このように、古いシステムを手をかけながら使いこなしている状況をいろんな角度から知っています。だから、オンボロの列車で乗り心地は悪いのですが、何か落ち着くのです。
そして、もちろんメトロの中は様々な人種がいる空間ですが、私自身がすでにパリの都会での生活に馴染んでいることももちろん大きいです。
最後に、朝のそれなりに慌ただしい家庭の準備を終えて(これはこれでクリエイティブな仕事)、メトロに乗って一息付いている、という心の余裕もあると思います。RERは職場の最寄駅に着くので気が引き締まるのですが、メトロでは次に乗り換えもあるので、より解放感があるのかなと思います。
まだ要因はあるかと思いますが、これらの結果、メトロの中では他の場所よりも格段に思考をすることができます。
藤井先生、浜崎先生の対談でも、現代人は「待つ」という時間を持てなくなってきている、と憂いておられます。私もそう思います。とにかく時間の浪費をしないように社会があくせくしている。特に、インターネット社会となってからさらにスピード感を増し、スマホが出現してからは、特に日本では私のメトロでの時間のような過ごし方をしている人は激減し、メール、Web、ゲームなどに興じる方がほとんど。異様な光景です。LINEとやらは使う気が全くしませんが、さらに悪い方向に加速させるツールでしょう。そんなにあくせくして何をどうしたいのか、明確に語れる方はいるのでしょうか。
また、「馴染む」ということが重要。現代社会はとんでもない社会だと思いますが、それでも馴染むことはできる。日本は、古くなったら捨てる、古くなったら造りかえる、という良くない文化?が蔓延しており、メトロ6号線のように、使いこなしていくということがやはり重要なのだと思います。そうすることで、一見汚い都市であっても、何らかの愛着なり、先人への感謝の意、子どもたちを守る覚悟、将来への希望などを持つことができるのだと思います。馴染むためには、どうしても時間が必要です。待つことが必要です。
フランスでは、私はスマホでのインターネットを使っていません。それもあって、メトロでの有意義な時間を発見することになりました。
日本では、私も相当なタフスケジュールの中で生きていますので、どうしても効率を求めてしまいがちなのですが、それにより失うことがとても大きいであろうことに、気づかせてもらいました。
もう一点、今朝、RERに乗り換えた後の時間で思ったことは、「実践」を信条とする私ですが、人から教わった概念、考え方などを、必ず自分の生活、プロジェクトの中で実践して、真髄を体得しようとするのが、やはり私の特長なのだということです。 実践することで血肉となり、自分の言葉で語ることができる、ということです。今後も貪欲に勉強し、実践していきたいと思いました。
CDG(シャルル・ド・ゴール空港)に早めに着いて、日本行きのフライトに乗るのをくつろいで待っています。
フランスに渡航してからの単身での日本出張は今回が4回目になります。
最初の出張は2013年の10月末でしたが、これはまだ家族の生活が全く落ち着いておらず、ホテル暮らしの日々でしたが、私の母にアシストに来てもらい、10日強の日本出張をさせてもらいました。
2回目は1月下旬から2週間の日本出張で、学生の研究も最終版を迎えていたこともあり、また大雪騒動などもあり、非常に密度の濃い出張でした。
この2回目の出張にパリから出発するときにとても不思議な、初めて味わった空港での感覚を今でもはっきりと覚えています。パリにホームグラウンドがあり、しかし日本という私の故郷への出張で、しかも私の自宅はない。とても不思議な感覚でした。
3回目は3月末から1週間強で、これも寸分の隙も無いタイトなスケジュールとなりましたが、免許証の更新も無事にでき、最終日に研究室の歓迎会にも無事に参加でき、パリに戻って留学の後半戦をスタートしました。
今回の4回目は、不思議な感覚はもはやなく、10日間の日本出張と、その後に続くノルウェーでの国際会議を無事に乗り切れるか、ふつふつと闘志が湧いて来ている状況です。出国前にできる準備はほぼ完ぺきにしたつもりですが、帰国直後からも新幹線の切符の手配やら、事務手続きの対応も含めて、一つ一つを着実にこなしていくしかありません。6/4の釜石でのレクチャーの準備もあと一息ですが、機内での仕上げになるかと思います。月末が締切りのコンクリート工学誌の原稿「品質確保と人」(仮題)も機内で気分が乗れば加筆したいと思います。
実は、あと一回、5回目の日本出張を8月上旬に予定しています。指導学生の博士論文の最終審査がありますので、それを絡めて最後の日本出張にする予定です。
その日本出張の前に、パリからのナイジェリア出張が入ることになりました。ナイジェリア人の指導学生の修士論文の内容に関連して、ナイジェリアの下水道インフラの状況を視察、調査することになります。
8月末には、トルコに遠征して、第三ボスポラス海峡橋、イズミット橋の建設現場の見学をする予定で、大きな出張としてはこれで打ち止めになりそうです。私のまさにやりたいようにやらせていただけているのは周囲の多くの方々のサポートによるものであり、心より感謝いたします。
いよいよ、貴重な留学生活も残り3分の1に差し掛かり、しっかりと終わりを見据えながら、悔いの残らないように過ごしたいと思います。
まずは、日本行きの機内を充実させ、到着直後に始まる指導学生(留学生)の指導をしっかりと行うことからです。
今日は一日雨で、ときどき止むという天気。最近、自宅のWifiの調子が良くないことが多く、今日はほぼ終日Wifiが不通だったこともあり、かえって充実した一日となりました。
起床後、NevilleのProperties of Concreteの勉強。10章のDurabilityで、私の研究室の基幹テーマの一つである表面吸水試験にも関連する情報がふんだんに記載されており、興味深く読み進める。
フランス語の文法の復習後、朝食。マンゴー+α。
朝食後、奥さんと子どもたちは外出。私は6枚のシャツのアイロンがけ。少し赤ワインを飲みながら、途中からアンジェラ・アキのベストアルバムをかけながら、アイロンがけ。一気に6枚かけるつもりはなかったけど、途中から考えごともしながら気持ちよくアイロンがけがはかどり、6枚を一気にかけおわった。気分よくアイロンをかけられるかどうかは、調子の良さのバロメータの一つかもしれない。
その後、湯船に浸かって、読み進めていた村上春樹の新作短編集「女のいない男たち」を読了。村上春樹ファンですが、男女の関係って何なのだろうと根源的なことを考えがちな?年代の自分にとって、いろいろ感じる本でした。
身支度後、体操してから、一人でIenaのマルシェへ。自宅の近くのマルシェには頻繁に行くけれど、土曜日は開いておらず、趣の異なるIenaのマルシェは土曜日が開いている。今日は天気が悪いのでメトロでIenaのマルシェへ行き、魚を二匹、昼食の前菜を二品、お気に入りのオレンジを12個購入。魚の一匹は、新たにチャレンジしたSebaste。金目鯛に似た魚で非常に大きいのに10ユーロしなかった。帰りに、自宅近くで野菜とワイン等を購入。
Ienaのマルシェへの行き帰りに、幸田露伴の「一国の首都」を読む。以前、読みかけてそのままにしていたが、非常に面白く、明示32年に出版されたものであるが、今でも首都と都民、国民のあり方について大変に参考になる思想が凝縮されている。
帰宅後、明太子ペンネとマルシェで買ってきた惣菜でランチ。
昼食後、ショパンを聴きながら、Properties of Concreteの勉強の続き。その後、「一国の首都」の読書の続き。
読みかけだった内田樹先生の「街場の憂国論」の続きを読む。
15時ごろから1時間半ほど午睡。家族が帰宅。子どもたちは洋服を買ってもらったらしい。
土木学会の震災報告書の編集作業(津波被害と復旧)。発刊が遅くなっていて気になっていたが、ようやく編集作業が本格的に進捗しており、現在のトッププライオリティの仕事。
18時半過ぎから、夕食の準備。マルシェで買ったSebaste(魚)と野菜(ナス、ズッキーニ、二種類のアスパラガス、タマネギ、マッシュルーム)のグリル。日高昆布を敷いて、白ワイン、オリーブオイル、塩、ハーブ、ガーリックで味付けしました。昆布を敷いたのが大正解で、家族みんなにおいしく食べてもらいました。
夕食後、家族でセーヌ川沿いを散歩。自由の女神まで歩く。散歩中にラジオ体操第一。
散歩から帰宅後、震災報告書の編集作業の続き。マルシェで買ったオレンジをデザートに食べて一日の仕事終了。
「一国の首都」を読み進め、「街場の憂国論」を読了し、「魚の声」(内海隆一郎の短編集)を読んで、ショパンを聴きながら就寝。
フランス滞在期間が、私や私の家族にとって意義のある時間にしたいと思うのは当然ですし、そうなるようにいろいろ工夫しております。
一方で、フランスを訪問される方々の時間が少しでも素敵なものになるよう、スパイスのような役割を果たすことができればそれもまた幸せです。出張等で来られるときに声をかけていただいたり、もちろん私(がコーディネーターとなり)と時間を過ごすことが目的で来ていただくことも大歓迎です。
奥さんが働いているということや、私が日本出張を何度も実施することもあり、親族が訪問することも普通よりは多いように思いますが、これまでの訪問客と、今後の予定は以下です。ご来訪の予定があれば、できるだけ早めにお知らせいただければ、可能な範囲で最善の対応をいたします。
声をかけていただいたのに、私の日本出張中で対応できない先生もおられましたが、そういうこともありますので申し訳ありません。。。
2013年9月:義理の母
2013年10月下旬:母
2014年1月:指導学生の佐藤君、横山君のインターンシップ
2014年3月:岩城先生、石田先生、小松君、春日さん(フレシネーのPC橋梁視察、IFSTTARでミニ・ワークショップ、Brotonne橋とル・アーブルの視察)
2014年4月:大森先生(15日)、片平さん(本日28日夜)
2014年5月:妹が旅行で訪問
2014年5月:坂井先生ご一行(23日、IFSTTARでミニミニワークショップ開催)
2014年5月下旬:両親
2014年6月:M先生?
2014年6月下旬:義理の両親
2014年8月:T中学校の先生ご夫妻(新婚旅行)
2014年8月末:T先生らとトルコの橋梁視察(第三ボスポラス等)
さて、フランス語の学習のその後の経過です。
フランス滞在を始める前に、フランス語の文法書(初歩的なもの)などを何冊か購入しましたし、辞書も購入し、Speed Learningの教材(全12巻)を一括購入しました。
また、開始が遅くなったのですが、2月末からは、フランス人の先生による英語でのフランス語の個人レッスンも開始し、週に一回のペースで6回くらい終わったかと思います。日本出張やらで途切れることもありましたが。
遅々とした歩みではありますが、少しずつ進歩しているとは思います。
『「なぜ?」がわかると超かんたん!フランス語文法』という本も、日本にいるときや、フランス滞在開始直後は読んでも全く面白くなく、あまり理解もできなかったのですが、今朝、通勤メトロで読んでみると非常に面白く、何となく理解していたことの理解が深まったりするページが非常に多いことに気付きました。
スポーツでも研究でも語学学習でも何でも同じだと思いますが、成果が出ないステージはつらいですが、少しでもできるようになってくると面白く感じる。少しずつ分かってくると、Speed Learningのテキストの文章の理解も少しずつ深まってくる。
このステージでどれくらい努力できるかで、進歩の度合いが変わるんでしょうなあ。
フランス語習得が滞在の目的では全くないので、どこまで進歩するかは私のモチベーション次第なのですが、語学って身に付けておいて損は決してないだろうし、生涯の趣味や、年を取ってからの趣味にもなる可能性も考え、少なくとも滞在中は適切に付き合っておこうと思います。
趣味って大事だなと思いますが、趣味にしてもいいかな、と淡い期待を持って想像しているものは、今のところ以下です。
水泳、フランス語、書道、柔道、ウォーキング、料理教室。
人生は長いと思われるので。