フランスでは、私は通勤等に回数券を買っています。SuicaのようなICカードを買うこともできるのかもしれませんが、私の場合は手続きが面倒か、購入できないようなので、回数券にしています。通勤(メトロ+RERのA線が一つの切符)の回数券と、メトロだけの回数券、メトロの子ども用の回数券などを、大量に買い込んでフランス専用の財布に収納しています。
子どもたちも切符でメトロなどに乗るのには慣れていて、改札を通った後は、無くさないように親に渡すように今はしています。
メトロでも、RERでも、切符を買わずに無賃乗車している輩は非常に多いようです。改札を飛び越えて行ったり、前の人に続いて切符なしで通り抜けたり、いろいろと悪いことをする人たちをしょっちゅう見かけます。改札には駅員がいない場合がほとんどのように思います。
パリでは、それらに対応する臨時の検札が結構ある、と聞いてはいましたが、滞在初期にはあまり見かけませんでした。滞在途中から、私の通勤ルートのメトロとRERの乗り換えの駅のある部分で、頻繁に検札に遭遇するようになりました。もちろん、私は切符を持っていますので、何の問題もありません。
Nationというその駅で、多くの検察員が駅構内の通路をふさいで検札をするときには、その箇所より手前の、かなり離れたある箇所に、多くの人たちがたむろしています。検札している情報が伝わり、検札が終わるまでそこにたむろしているのでしょう。「何とまあ、モラルの無い方々だろうか」と半ばあきれて、それらの人々を見ながら通り過ぎたことが何度もありました。
今朝、通勤時に、Nationの駅で、メトロからRERに乗り換える改札でいつものように切符を通そうとしたとき、私の前に、改札を飛び越えたワルの若い男がいました。「またやっとるな、バカが」と思っていたら、みんなが流れていく右側へと行かず、その男は左の方へ。何だろうと思ったら、数人の警官が左側の死角に隠れていて、ワルをする奴がしょっ引かれていました。
歩行者が平気で信号無視をする国です。信号ごときに支配されたくない、決定するのは自分、というような考え方らしいですが、切符の件はさすがに犯罪でしょうから、種々の食い止める仕組みがあるのですね。
メトロだけの場合は、改札を出るときに切符が不要な場合が多く、より無賃乗車をしやすいのですが、昨日は、私のメトロの最寄駅で改札近くの死角に検察員が複数いてびっくりしました。初めての経験でした。もちろん切符を持っていますので、びっくりはしましたが、何の問題もありません。(ただ、メトロの改札を出る前に、切符をゴミ箱に捨ててしまうこともこれまで何度かあったので、今後は改札を出てから捨てるようにしようと思いました。)
現在、フランスはバカンスの時期で、多くの旅行者がパリに来ていることもあるのかと思いますが、私の滞在が始まって以降では、かなり厳しい検札を何度かこの短い期間に目撃しました。
海外に長期間住む、ということはやはり短期の旅行では決して分からないことに気付かせてくれると聞きますが、身をもっていろいろと体験しています。
結論としては、当たり前ですが、意図的であろうとなかろうと、無賃乗車は決してしないようにしてくださいね。
いろいろな方々に支えられ、資金的にも税金でのご支援もいただきながらの留学生活です。この記事の内容は誤解を招きかねないので、無駄な生活は送っていないことをあらかじめお断りしておきます。。。もう41歳ですので、自分一人が満足すればよい、というような低次元で物事を考えはいたしません。自分自身の時間をマネジメントする主役はもちろん私自身ですが、私自身を使って、どのように中長期的に全体がよくなるか、ということを私なりに試行錯誤しながら全力で考えて実践しているつもりではあります。(いつもながら、見事な「言い訳」。。。)
基本的には真面目な人間でして、責任感も強い人間のつもりですので、40歳というタイミングでの1年間の留学は非常にありがたい貴重なチャンスではありながら、どう過ごそうか悩みもしましたし、常に試行錯誤を続けております。半年の折り返し地点を過ぎましたが、今後も試行錯誤は続くものの、一つのパターンができつつあるのは確かで、それについてこの記事でまとめておきます。
「どうせ一年行くんだから、日本のことなんかほっぽり出して、好きなようにやってくればよい」というようなアドバイスを年配の先生からいただいたこともありますが、まあ無理です。
事前にもいろんな「アドバイス」をいただきましたが、残念ながらほとんど役に立つものは無く、ほぼ唯一、私の行動原則を構築するのに大きな影響を及ぼしたのは、前川先生の「後ろ向きの仕事ばかりをやる」(ご自身が30代のときにタイのアジア工科大学で2年間を過ごされた時のモットー)でした。その通りに過ごせてはいませんが、これまで取り組んできた研究をきちんと形にする、ということは非常に重要なミッションの一つであると当然に考えておりました。まだ5ヶ月以上残っていますので、しっかりと論文、解説文等で形に残すこと、講義・講演(英語も含む)資料等に残すことは、今後も変わらず優先順位を高く設定したいと思います。
フランス滞在を開始するに当って、当然に頭をよぎったのは、日本で活発に動いている研究プロジェクトへの関与です。復興道路の品質確保等、かなりダイナミックにプロジェクトが動き始めた状況で1年間、日本を不在にすることはもちろんマイナスだと思っていました。
ところが、種々の理由で日本にどうしても帰国しなくてはならない(博士論文の最終審査、予備審査、幹事長を務める委員会の最終報告会、日本の修士・卒業論文の最終追込みの時期等)ときに、研究活動ばかりを詰め込んだ出張にしてしまうことにし(自然になり)、これが大変濃度の濃い研究活動となることを発見しました。
2013年10月末、2014年1月末、3月末に、日本出張を実施しました。3回の日本出張のほぼすべての時間、研究です。もちろん、日本でそのような研究漬けの時間を体験できることはありません。改めて、自分は研究が大好きであることも認識しました。どの出張も土日も全く休み無し、です。
次回の日本出張もすでにほぼスケジュールが固まりましたが、大学に一度も顔を出せませんが、5/31(土)に日本到着で、日本各地を飛び回って、東北地方でも集中的に構造物の調査を行い、6/10(火)にノルウェーでの国際会議に向けて成田を出発する行程となりました。同志の方々のご協力もあり、土日もすべて現地調査等、研究漬けです。
日本出張を有効に活用することで、むしろ日本にいるときよりも研究は進むかもしれない、とも感じています。そして、フランスに戻ってじっくりと時間を使いながら後ろ向きの仕事や、勉強を行う。このブログを書くことも、自分の中での重要性は増してきているように思います。完全に「仕事」の一部です。
もちろん、フランス滞在中に、研究成果を出すこと、国際的なネットワークを構築すること、等が公式に求められている要件ですが、41歳の研究者にとって、それは難しいことではありません。
誰かの評価を受けるわけでなく、ほぼ完全に、自分が納得する過ごし方をできるか、のみが問われています。だから悩むのだろうと思います。
何度も日本に帰ってきて大変ですね、ということを言われることが多いのですが、私にとってベストと思う過ごし方をしているので、まったく大変とは思っていません。
上記の私の過ごし方に、いろいろとご批判もあるかもしれませんが、第三者への説明責任はきちんと果たせますし、公式文書で成果をきちんと説明してください、と要請されても何の問題もなくしっかりと書くことができます。私自身が心から納得する過ごし方しかできませんので、今後も模索を続けたいと思います。今日は、長女のお迎えの前に、芥川龍之介の作品がぎっしり詰まった電子図書を購入する予定です。
現在、フランスはバカンスの時期です。しょっちゅうバカンスのある国なので、それらも含め、フランスのことをよく観察しようと思っています。
Facebookでたくさんの写真を紹介しましたが、3泊でアルプスに行ってきました。次女の通っているスクール(保育園)が2週間のバカンスの時期に入ったこともあり、親友のXavierファミリーに誘われていたバカンスに合流することにしました。Xavierが両親の持つアルプスの別荘でバカンスを過ごすので、そこに私と次女が合流させてもらいました。
5歳が近づいている次女にとっては、人生初のスキーで、それは非常に貴重な経験になったと思いますし、私も次女と一緒にスキーをたくさんできたのが楽しかったのは当然で、ここでは多くを記述しません。それだけでなく、フランスの地方の様子、を日本と比べて感じることが多かったです。
フランスの地方都市にはそれなりに行っていますが、今のところどこに行っても魅力的で、日本のように衰退した地方が多くなっている状況とは異なるように感じます。
いろんな理由があるのだとは思いますが、フランスにバカンスの時期が多いことも、首都と地方の人の動きを活性化することに貢献しているのでしょうか。
フランスと日本を比べることは、諸条件をしっかりと整理してからすべきことなので、ここでは深入りしませんが、やはり日本はあまりにも首都圏に人やその他のものが集中し過ぎていることを改めて感じます。私自身も首都圏で生きていると窒息しそうになるときがありますが、人間の生存の限界を超えたような密集首都圏は、出生率も異常に低いのは当然と思いますが、いまだに多くの若者を引き付け、特に若い女性がどんどんと吸い寄せられていると聞きます。この状態が続く限り、日本の明るい将来はあり得ないと確信します。
この状態を脱却するためにも、デフレからの脱却が最重要課題なのだと認識しますが、その他にも、首都圏への集中を避け、地域とのバランスを構築していくことを様々な手段で検討し、実践していく必要があるのだと思います。
フランスの元気な地方を見ても、やはり大事なのは地方であると思います。国中がパリや東京のような状態になると考えたらぞっとしますし、写真のアルプスのような地域等がまさに国家の財産であることを肌で感じました。
私自身の研究、教育活動で、日本の様々な地方と関わる機会が増えてきていますが、改めて、そのような貴重な機会を大切にしよう、と思いました。
次回の日本出張は、5月末のスタートになりそうですが、すでに出張の行程の調整に入っています。
またまた山口県にも訪れることになりそうで、安倍総理のルーツである油谷の棚田にも行くことになりそうです。フランスのアルプスで感性を刺激された今の状態で、日本の原風景の一つかもしれない棚田の美しさを勉強してみたいと強く思います。また、そのときに、私の故郷である島根県のグラントワ(内藤廣先生の設計された島根県芸術文化センター)と、まだ訪れたことのない津和野町も訪問してみる予定です。そしてその山口出張のメインの仕事の一つは、「ビデオメッセージの撮影」。6/12に山口県の制定する品質確保ガイドの講習会が開催される予定で、私は講習会に参加できないので、ビデオメッセージという形で登場する案が浮上しています。この品質確保ガイドの重要性、先進性を私の言葉で伝えることになりそうです。
私自身の生き方、時間の過ごし方、現在のフランス留学中の時間の過ごし方、等について本当にベストなのか常に模索しながら前進していますが、「つながることが最重要」「地方こそが重要であること」「何事もバランスが重要であること」を日々得心しているつもりですので、限られた時間の人生を有効に活用できればと思います。もしくは、私を多くの方々に活用していただけるよう、努力を重ねたいと思います。
以下、初めてのスキーで見事に一人で滑れるようになった次女の写真です。フランスに来てから、日本にいるときよりも伸び伸びとした姿が目立つようになった次女ですが、このバカンスの間は本当に楽しそうでした。人間が本来の姿で生きることができるのも、地方なのでしょうね。
それから、もう一枚、今回のバカンスに誘ってくれた親友のXavierとのAnnecy湖での写真も。奥さんの江美さんも大事なお友達ですが、一生大切にしたい友達って、本当に大事ですね。ともに年を重ねながら、人生とはどういうものか、勉強していきたいと思います。
ポジティブに考える方がよい、とは頭では分かっていても、それを実践することが重要です。
適切な目標を立てないと研究が一歩も進まないのと同様、考えもしないのに実践することはできません。
実践することを想定して、自らの行動を誘導するように徹底的にポジティブに考えることが大事だと思います。昨日考えたことですが、私の実例を紹介します。何事も、具体的に見せることが一番の教材になると思うからです。
フランスで1年過ごすことについて、事前にはいくつもの不安要因がありました。以下、列挙すると、
・様々なプロジェクトがダイナミックに動いている状況で日本を1年離れることになる。
・研究室を不在にすることで、学生の指導が日本にいるときよりもうまく回らなくなる。
・滞在する研究所の研究室がベストの状態でない。研究室の主要メンバー複数が不在、転出等。
・家族と滞在することで、自分自身の行動に相当の制約が生じる。出張を自由にすることはできないと思っていた。
以上くらいが事前に感じていたマイナス要因でしょうか。
現在、本格滞在がスタートして5ヶ月半が経過しました。折返し地点が近づいています。上記の不安はもちろんすべて払拭され、充実した時間を過ごしていますが、以下、今の私がどのようにポジティブに考えているか、マイナス要因を払拭した結果も踏まえてまとめます。
・フランスに拠点を置きつつ、短期間の日本出張を重ねることで、日本のプロジェクトにほとんどロスなく関わり続けられている。日本出張のスケジュールはほぼすべて研究で埋められており、過去経験したことの無いような充実した時間となっている。
・フランスに拠点を置いての学生の指導にもほとんど問題は無かった。むしろ、Facebookやスカイプを活用した研究指導の有効性に気付くことができた。Facebook(指導学生たち限定のクローズドグループ)ではある学生の指導を他の学生も共有できるので、教育効果、刺激効果が大きいように思う。スカイプによる指導を活用できるようになったため、日本にいるときよりもface to faceの打ち合わせの回数は増えたかもしれない(一部の学生にとっては。全くコミュニケーションを取らなくなった学生も複数いる)。
・家族とのコミュニケーションが増えたことはかけがえのない財産となりそうである。長女、次女とのコミュニケーションの質、量ともに相当に高まっている。フランスでは自分自身の読書等による勉強も進んでおり、自身が深く思考した結果を子どもたちとのコミュニケーションにフィードバックしている。自分自身が向上することなどはどうでもよいことであるが、子どもたちが良質の情報を得、経験を重ねることは、彼女らの生涯においてかけがえのない経験になると思われる。それが、彼女らが大人になった後の家族や、周囲の人々への良い影響になることは間違いないと思うので、家族との時間を大切にしたい、と強く思う。
・家事をする時間も非常に多いが、自分に合っているし、家族への貢献もできるし、一人で思考する時間の確保にもなっている。通勤にも非常に時間がかかるが、その時間もかけがえのない自身の時間となっている。
・ヨーロッパ各国を動き回るという状態にはなっていないが、その分、フランスのことをじっくりと観察、勉強する時間に満ちている。フランスはそれに値する魅力にあふれた国である。
・所属している研究室で感じた問題点(議論が活発でないことが最大の問題点)に対して、自分なりのアクションを起こした(3/3のワークショップ)。幸いに良い影響が生じており、ミニワークショップを今後も開催する方向で議論が進んでいるし、自分自身のアピールにもつながり、非常に心地よい時間を研究所で過ごせるようになった。
とにかく、日本での大学教員として過ごす時間においては考えられないほど、自分の時間を持つことができます。今日も、土曜日の午前は家族でマルシェに買い物に行きましたが、午後は論文の査読修正作業をじっくりと行っています。夕食は、マルシェでかったミニいわしを使ったパスタを私が作ります。
日本に戻れば地獄のように忙しい日々が待っているのは百も承知ですが、どんなに放電しても力尽きないように充電をしっかりとしておきます。
先週は、日本からのお客さんたちが来られていたこともあり、「非日常」でした。素晴らしい橋梁や建築、街、研究発表等を共有しながら、とめどないポジティブな将来構想の議論が続き、たった4~5日でしたが、別次元に足を踏み入れる予感に溢れたフランスツアーとなりました。
そもそも、フランスでの生活が非日常ではあるのですが、3/8の土曜日はホームウォーミングパーティーを開催し、我々家族も含めて14人でのパーティー。フランス人が6人、日本人が6人、ハーフが2人という14人。子どもが6人。会話も、フランス語、日本語、英語が飛び交うインターナショナルなホームパーティーで、大人も子どもも大盛り上がりでした。
翌、3/9の日曜日は家族でのんびり。素晴らしい陽気で、半袖でも十分なくらい。自宅から数分でセーヌ川に着くので、セーヌ川沿いをのんびりとお散歩+サンドイッチの昼食。自由の女神のふもとに屋外スポーツジムのような遊具が整備されており、子どもたちは存分に体を鍛えておりました。私も体操したり、ロッククライミングなどをやったりもしつつ、百田尚樹の「影法師」を読了。素晴らしい小説に感銘を受けました。
さて、今日からは、日常に戻ります。私も、溜まった「書き物」を形にしていくことに今週、来週と専念したいと思います。
あと3週間弱で、また日本出張となります。4/8の火曜日が出発なので、研究室に新しく配属される4年生が決まった翌日の出発でしょうか。顔合わせができるか微妙ですが、4/7(月)の夜に超ロケット懇親会を開催してもらうのが、士気を高めるのにはよいかもしれません。
次回の日本出張もほとんど隙間の無いスケジュールになりそうですが、皆様、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
(以下、「コンクリート工学」の6月号に掲載される見込みの、「海外だより」の原稿です。これから校正となりますので、初稿をこのブログに掲載します。)
2013年10月から1年間の予定でフランスのIFSTTAR(英語ではFrench Institute of science and technology for transport, development and networks)に客員研究員として滞在している。その間,妻はパリのラ・デファンスで勤務している。私も日本の研究プロジェクトや学生の指導のため2ヶ月に一回は研究業務のみを詰め込んだ日本出張を重ねながら,日本よりもはるかに家事をこなしつつ研究者生活を送っている。約5ヶ月が経過した2014年3月に日本からのゲストたちを迎えて研究所でのワークショップや橋梁巡りなどを行ったので,その直後に感じたことを記す。
3月2日に,岩城一郎教授(日本大学),石田哲也教授(東京大学)らとLuzancy橋を訪れた(写真1)。フレシネーが設計した世界初のプレキャストセグメント工法によるPC橋である(1946年完成)。オルドネスによれば,「フレシネーの創造的な才能を特徴づけるすべてのものが,ルザンスィー橋の中に深く凝集していた。すなわち,厳密さ,強さ,情熱,平明さ,独創性,統一性,そして美しさである。」とある1)。またと無い晴天の中,2羽の白鳥と68年の時を重ねたLuzancy橋が我々を歴史への心の旅に誘ってくれた。フレシネーはLuzancy橋の後,セーヌ川の支流であるマルヌ川に5つの同じ構造のプレキャストセグメントPC橋を架ける。いわゆるマルヌ5橋である。この日は,そのうちの4橋を訪問した。全く同じ構造であるが,橋の立地や景観により橋から受ける印象は全く異なる。筆者および同行者が最も気に入った橋はChangy-Saint-Jean橋であった(写真2)。マルヌ5橋のみについては藤田氏らの報文2)があるが,訪問される機会があれば,ぜひ5橋に近いLuzancy橋と合わせて見られることをお薦めする。PC橋の「原点」を感じられるであろう。
写真1 Luzancy 橋
写真2 Changis-Saint-Jean橋
フレシネーの橋梁群を見たパリへのレンタカーでの帰りに,パリの東にあるLe Raincy教会に立ち寄った。コンクリートでル・アーブルの戦災復興(街が世界遺産)の陣頭指揮を執ったオーギュスト・ペレの代表作(1923年完成)である。鉄筋コンクリート技術の黎明期に,内藤廣先生の言われるまさに「技術の翻訳」3)を行った偉大なオーギュスト・ペレの教会建築の傑作である。本来の予算の3分の1しか確保できなかった中でコンクリートにかけるペレの情熱が随所に見られる建築である。プレキャストの正方形のブロックと,マルグレット・ユレ(女性)のステンドグラスの組み合わせが,明るい光に満ちた空間を創りだしていた。
後述するIFSTTARでのワークショップの翌日,3月4日に,フレシネートロフィーを受賞した春日昭夫氏(三井住友建設)が合流し,パリで最も古い鉄道駅であるサン・ラザール駅からル・アーブルへ向かった。ル・アーブルは古くからフランスで1,2を競うセーヌ川の河口の港の街であり,第二次大戦で最も大きな被害を受けた街の一つでもあった。オーギュスト・ペレがその再建を託されることとなった。
ル・アーブルからレンタカーでNormandy橋を渡り,オンフルールの旧港近くで昼食を取った。印象派の画家たちが愛した美しい港町であり,フランスで最も古い木造の教会も有する。昼食後,Normandy橋を再度渡って右岸に戻り,セーヌ川を上流へ向かい,河口から二つ目のTancarville橋(主ケーブルの補修が行われている)を左岸へ渡り,さらに上流へ向かってBrotonne橋を目指した。
Brotonne橋(1977年完成)は,フレシネーの弟子であり,春日氏の私淑するジャン・ミュラー(2005年没)がチーフエンジニアを務めた斜張橋である。春日氏が”Structural Elegance”と呼ぶにふさわしい筆頭に挙げる橋であり,シンプルな独立一本柱の主塔と,外からうかがい知れない,力を合理的に伝達する主桁断面内のストラット構造を有する独創的な橋である。何とかこの橋に近寄ろうと小道を車で走った結果,水田に映る逆さブロトンヌ橋(写真3)を見る幸運に恵まれ,一同感激であった。近接すると,プレテンのウェブと上下床版の接合部に多くの補修跡が見られ,橋脚にも大々的な補修を行っているものがあり,山口県のひび割れ抑制システムや復興道路の品質確保に深く関与している研究者として,改めて施工の重要性を痛感した。
写真3 Brotonne橋
3月5日は,ル・アーブルのSt Joseph教会を訪れた(写真4)。1951~1957年にかけて建設されたもので,107mの高さを誇る。ペレの言葉として「全てが見えなければいけない。建築物の柱,梁,スラブは,動物における骨格と同じである。もし鉄筋コンクリートの構造が見せる価値が無いのであれば,建築家たるものそのミッションを果たしていないのである。」(石田先生訳)が残っている。日本の自然災害とは異なるが,人災により大変な被害を受けた街の復興に,コンクリートという便利で安い耐久的な材料をプレキャスト製品も含めて駆使し,時を超えて人々に愛される街を創ろうとしたペレの大きな愛情と,この教会に象徴される建築家としての信念と情熱を私は強く感じて感激した。この教会のステンドグラスもユレのものである。
写真4 St Joseph 教会
ル・アーブルからパリへ戻り,筆者のみ,春日氏のフレシネートロフィー授賞式に参加した(写真5)。数年に一回の授賞式とのこと(前回は2011年)で,FREYSSINETの創立70周年でもあるそうで,盛大なセレモニーであった。欧州以外からの初の受賞者らしい。春日氏が関わられた小田原ブルーウェイブリッジ,青雲橋,田久保川橋等がVirlogeux選考委員長から紹介され,FREYSSINETのCEOからは「僕らはせいぜい3つや5つのInnovationだけど,Akioは10や15のInnovationだからね」などの賛辞の言葉とともにトロフィーが渡された。極東の地にある日本が世界にプレゼンスを示すために何が必要かを,春日氏からパーティーやその後の二人の夕食でお聴きすることができた。
写真5 フレシネートロフィーを受賞する春日昭夫氏
順序は逆になるが,3月3日は,私が滞在するIFSTTARにて”International Workshop on Durability and Maintenance of Concrete Structures”を開催した(筆者が主催)。日本から岩城(塩害を受けた桁の徹底的な分析),石田(材料-構造の統合シミュレーション),細田(表面吸水試験の開発と復興道路の品質確保)らが4件,フランス側から5件の研究発表を行い,濃密な議論となった(写真6)。フランスからは,DEFによる劣化が生じた構造物の診断・補修に関する報告(F.Toutlemonde氏),フレッシュコンクリートの施工性能の数値シミュレーション(R.Nicolas氏)等,非常に興味深い報告が多く,昼食時にも議論が尽きなかった。私自身,プラグマティックな研究者となることを信条として実践的な研鑽を重ねているつもりであるが,IFSTTARでは基礎研究と実務が融和した研究が多くなされているようで,将来に渡って連携していきたいという気持ちを強く持つことができた。日本チームとして情報発信できたことは,IFSTTAR側にとっても印象的だったようである。
写真6 IFSTTARでのワークショップ
現在,滞在期間のうち5ヶ月余りが経過した。もともと,フランスのTGVと日本の新幹線に代表されるように,天才的な技術とシステム力という両国とも世界に誇る素晴らしい魅力があると思っていた。滞在中は日本のことを深く勉強するとともに,フランスのエリート教育や天才的な技術が生まれる素地について観察を重ねたいと思う。構造物についても,フレシネーとペレについてはさらに勉強を重ね,なるべく多くの作品を現地で見たいと思っている。時を超えてさらに魅力を増す作品を創り出した二人には尊敬の念が尽きない。このような貴重な時間は,多くの方々に支えられていただいているものであり,我が国の発展に少しでも貢献できるよう,研鑽を重ねることをお約束して,感謝の言葉とさせていただきます。ありがとうございます。
参考文献
1) J.A.Fernandez Ordonez著,池田尚治監訳:PC構造の原点フレシネー,建設図書,2000
2) 藤田尭雄:フレシネーPC -そのルーツを訪ねて,プレストレストコンクリート,Vol.36,No.3,pp.89-92,1994.5
3) 内藤廣:形態デザイン講義,王国社,2013
今日で2月も最終日です。フランスの1~2月は結局寒くなく、近年の日本の方がはるかに寒かったです。11~12月には寒い!と思う日も結構ありましたが、今年は例年とは異なったようです。
寒過ぎない方が活動はしやすいので、1年だけ滞在する者にとってはありがたい冬でした。今後、酷暑になったりするかもしれませんが。
2月の最後は、例年は息も絶え絶えで迎えるのですが、今年はもちろんそうではありません。たまたまですが、最終日の今日に、横浜国立大学では、私の指導する学生たちの卒業論文の最終審査会が行われており、私は過去最少人数にはなりますが、2名の卒論生が発表を無事に行ってくれているはずです。しっかりと発表ファイルの指導はスカイプでしました。
当たり前ですが、フランスで過ごすどの月も、私にとっては初めての経験で、これまでには無い過ごし方をしています。
この2月も最初の3分の1は日本出張で飛び回っていました。その後、パリに戻って、修士論文の最終審査に向けた指導(4件)、その後、少し息切れして小休息。また復活して、卒業論文の指導にエネルギーを注ぎました。その間、国際会議の論文を2本(筆頭著者1本)仕上げ、投稿しました。例年の2月の仕事量に比べたら圧倒的に少ないですが、子どもたちの世話もしながら、やりました。
明日からは、準備も含めて日本から来るお客さんたちの対応です。3月5日まで、かなり濃厚なスケジュールを組みましたが、素晴らしいものを見て、素晴らしい研究にも触れ、おいしいものをいただきながら、将来への議論を真摯に楽しく行うことと思います。
3月は、投稿論文の査読に対する修正を早急に行い、締切りを迎える原稿2本+国際会議論文1本をすぐに仕上げます。その後、日本から抱えてきた最後の大きな仕事(かなりページ数のある重要報告書の仕上げ)を一気に片付けます。これで肩の荷が下りることになります。
私のフランス滞在期間中に修了のタイミングを迎える学生はたくさんいますが、すでに博士課程修了が1名(12月)、今度の3月で修士が4名+学士が2名となる見込みです。あと1名、博士課程の学生が1名、9月に修了の予定で研究を続けていますが、これからしばらくはその学生の指導に精力を注ぐことになります。
フランスに来た当初は、日本の仕事が多すぎて、かなり時間に追われながら日々を過ごしていましたが、5ヶ月も経つと徐々に片付いてきて、特に4月以降はいろいろなことに時間を投資することができると期待しています。フランスからの外国出張(オランダ、ノルウェーなど)も複数入ってきますので、少しずつ活動領域を拡げていくことを楽しみたいと思います。
昨日、2/18に修士論文の最終審査会があり、私はフランスにいるために出席はできませんでしたが、私が主査を務める4名の学生も無事に審査をクリアしたようです。よく頑張ったと思いますし、私も遠隔での指導は初めてでしたがホッとしました。
私自身もやらなくてはならない業務はたくさんあるのですが、仕事に積極的に取り組む意欲が減退し、昨日はゆっくりと休むことにしました。今日も研究所には行かず、自分のペースでリラックスしながら仕事を再開する予定です。昨日は、何も考えずにベッドの中で寝る時間を久しぶりに持てました。
フランスに来るまでの9月末まではまさに息付く暇の無い日々でした。10月にフランスに来てからも、二度の日本出張(どちらもパンパンのスケジュール)と、引越しのための10月中旬の日本渡航もありました。年末年始も非常に貴重な経験はしましたが、のんびりした、という感覚ではありません。結局、ずっと突っ走ってきたのだな、と感じます。
心身が休息を求めていたのだと思います。昨日は頭をからっぽにしてぐっすり眠ることができ、今日は意欲が少し戻ってきています。おそらくもう少し休息が必要かと思います。
私が関与している急ぎの仕事で、私のアクションを待っておられる方々にはご迷惑をおかけしますが、今日から少しずつ再開しますので、もうちょっとお待ちください。
どのような環境であれ、何も妨げるもの、障害の無い理想的な環境など無いわけです。あるのかもしれないけれど、何も妨げるものが無い環境に数日身を置いたら飽きてしまいそうです。
思い通りにいかない環境だからこそ、知恵を絞るのであり、工夫するのであり、課題を克服してやろうと全力を尽くすのだと思います。
日本で大学教員を務めた10年間も、課題、障害の連続でした。文句を言っても仕方なく、どうすれば自分たちの活動のレベルが向上するのか、そればかりを考えて日夜努力してきたつもりです。
フランスでの生活も、課題だらけです。ウォシュレットが使えない、とか。それは冗談にしても、家庭のマネジメントと、研究者・教育者としての留学生活とを、自分の納得の行くように両立させることは必ずしも容易ではありません。
課題が無ければ、自分自身の成長もあり得ないと、今は心の底から思えます。
数か月に一回、日本出張を重ねることは、実は事務手続き上、必要なことでもあるのですが、どうせ日本出張をするのであれば最適な時期に行い、濃密な内容になるようにベストを尽くすのは当たり前です。
せっかく1年の留学に行くのに、日本に出張で来るなんてもったいない、日本のことなどほったらかしにして、欧州での生活に専念すればよいのに、というようなアドバイス?を年上の方々から何度かいただいたことがあります。私自身のことは私が一番知っているのであり、私の行動を最適化するための戦略は私が立てるのが一番良いに決まっています。
結果的には、すでに2回目を終えた日本出張はどちらも非常に濃密なもので、行くたびに研究プロジェクトが大いに進むことを肌で感じます。また、ずっとフランスにいると、フランスでの時間の価値を忘れがちになるかと思いますが、日本出張を挟むことでフランスでの時間を大切にしよう、と何度も再確認できます。すべての時間は貴重であり、とても充実した時間を日本でもフランスでも過ごすことにつながっているように感じます。当初は、フランスでの1年間は充実したものになるのだろうか、と私でもやや不安でしたが、4ヶ月が経過した今、その心配はもはや不要です。
私が研究室を長期間不在にすることで、結果的に研究室のメンバーの責任感も強くなり、多くのメンバーが成長するきっかけにつながっているようにも思います。私とのコミュニケーションがぱったりと途絶え、フランス渡航後、ほとんどコミュニケーションを取っていない学生もいますが、それはご本人たちの課題として、改善のための努力をしてもらいましょう。私は手取り足取りの教育者ではありません。
私がいずれ海外で1年程度過ごすこと、研究室のスタッフが抜けたり入れ替わったりすることがいずれ来ること(必ず来る)、を想定して、かなり以前から研究室の運営のマネジメントを行ってきました。PC係、実験室係をそれぞれ2名ずつ配置し、スタッフですので謝金をきちんと支払い、研究室の運営に携わってもらうシステムは相当に前から構築しています。また、私の赴任直後は秘書さんもいませんでしたが、今は週に3回、我々の研究室の活動をがっちりとバックアップしていただいています。これらのシステムを構築するためにはもちろんお金が必要ですが、基礎的な研究も行いつつ、お金も稼げるように、また毎年の研究資金に大幅な変動が生じにくいように、さらに仮に資金不足のときにも何とかしてお金をかき集めるように、地道でしたたかな努力も重ねてきたつもりです。
このブログは、学生たちだけでなく、私の後輩の研究者・教育者たちもたくさん読んでいますので、上記のような多少生々しい話も記載しておきました。
我々は、Civil Engineerですので、環境に文句を言う、責任転嫁をする、ことだけはあってはならないと思います。いろいろと言い訳をする方もおられますが、愚痴を言う時間があるなら少しでも状況を改善できるための知恵を絞り、実行に移すべきと思います。ポジティブな人たちはポジティブな人たちだけで集まり、徹底的に真摯に議論し、実践していきますので、そのような人たちがいることを認識し、まずは自分自身を置く環境を改善することに注力すべきと思います。
さて、今日もオフィスでの時間は4時間ちょっとですが、最大限に集中力を高めて仕事に取組みます。
1/26(日)の23時過ぎの便でパリを出発します。
過去、海外出張はもちろん何度も経験していますが、今回ほど落ち着いて準備できていることもありません。
あまり昔のことは記憶にありませんが、ここ5年くらいの海外出張の準備はいつもバタバタ。何とか予定のNEXに飛び乗った、というようなことばかり覚えています。海外出張に出かけてからホテルの予約をしたことも何度もあります。
今回は、日曜の夜の出発、ということもありますが、2週間という長い日本出張の準備を万全に整えての出発です。留守中に家族に迷惑をかけるので、ミネラルウォーターやジュース等のストックもしておきました。
日本出張用の大学ノートも作りました。2週間、研究三昧なので、ノートがアイディアや新たな知見で一杯になることを期待しています。最初のページは、家族のために買って帰ってくるもののメモ書きになりましたが。
成田に到着後はかなりのハードスケジュールなので、珍しく少し気負っていますが、すべてのスケジュールに対してしっかりと準備をして、それぞれの時間を大切に過ごしていきたいと思います。
長期海外滞在が初めての経験なので、日本に戻った時にどのようなことを感じるのか、第一印象が楽しみです。ちなみに、パリに長期滞在を始めたときの第一印象は、「汚い」でした。今でもその印象は変わりませんが、もちろん、フランスの良い印象もたくさんと重ねられてきています。
あと1.5時間程度で我が家を出発です。大方の準備はできたので、2/3(月)の仙台での品質確保の研修会での講演資料を飛行機に乗るまでに仕上げてしまおうと思います。300人くらいの参加者となり、いよいよ産官学の協働が始まる、歴史的なステップになりそうです。
2ヶ月半ぶりに日本に戻りますが、パリでも鰹、昆布の和風だし、醤油、味噌、米などを日常の料理に使ってますので、それほど和食が恋しいわけでもありません。中国人の経営する寿司屋がフランスのどこの街に行ってもあるので、日本と質を比べるのはかわいそうですが、寿司もこちらでも食べていることもあるかと思います。
今回の日本出張では、初日の夜に徳山でおいしいふぐと獺祭をいただきますが、今の時点で食べたいなあと思うもの。
・うなぎ(行きつけの店に、何とか日本出張中に行けそう。2/7の昼食がチャンスかと)
・寿司
・おいしい日本酒が飲みたい(2ヶ月半、ワインとビールのみ)。
後は、実家の母親の手料理が食べられれば、満足です。
日本の食事が恋しい、というよりも、二週間、研究三昧で多くの方々とレベルの高い議論をできることが、何よりも楽しみです。
フランスでの生活も日常になってきています。非日常であれば別ですが、日常は常に忙しい。また、日常とはあっという間に過ぎていきます。
1/26(日)の夜に日本に向けて出発し、2週間留守にするので、その間家族にはもちろん迷惑がかかります。
そこで、出発までのパリでの2週間は、私は家事も出来得ることをやるつもりで努力しています。
今週の平日は水曜日以外の子供たちのお弁当をすべて作り、月~金の夕食も私が作ります。火曜や木曜は、私の夜の帰宅が早くないので、朝に夕食も準備してしまいます。
食事を作るためには買出しも当然に必要。火、木はシッターさんに子どもの迎えやお世話を手伝ってもらっているので、家の掃除もしないといけません。
また、日本出張が迫っていたり、日本では修論や卒論の追込みの時期なので、指導の時間もそれなりにかかります。
現在は、2名の指導学生が日本からインターンで来ているので、彼らの指導や世話もあります。
というわけで、決して暇ではなく、時間にそれなりに追われた生活となっています。でも、それでよいのだと思っています。
今の生活がずっと続くと私も不満に思うのかもしれませんが、 2週間程度と分かっているので家事にも相当な時間を割いても納得できます。日本出張の間は仕事に専念させてもらえるので、それくらいは当然です。そして、研究三昧の日本出張を終えた後は、気分一新でフランスでの生活をスタートすることと思います。
日常ではあるのですが、自分自身をいろいろと盛り上げることはちょっとした決断や工夫で可能であり、起伏のある生活を楽しみながら過ごすことで、時間が矢のように飛び過ぎることもなく、多少は時間を味わうこともできるのかと思います。
日本出張が終わるまでは全力を尽くし、パリに戻ってきたら少し息抜きの時間を取ろうと思います。
私のフランス滞在期間を大まかに区切ると、最初の3分の1が今週で終わろうとしています。
家族は先行して9月に渡仏しましたが、私が本格的にフランス滞在を始めたのは10月頭で、しかも、10/12~24、10/29~11/10は日本で仕事・用事をしていたので、最初の3分の1の期間のうちフランスで過ごしたのは約3ヶ月になります。
当初はいろいろと不安もありましたが、今のところ家族でのフランスでの生活も軌道に乗り、それぞれが頑張っており、またうまく連携・支え合いもできているように思います。
私も、種々の制約条件がある中で、フランスでの時間をどのように過ごすべきか、常に考え、実際の生活でチャレンジを重ねてきました。
・研究所にいる時間は限られる。
・家事、子どもの相手にかなり時間を取られる。
・出張は好き勝手にはできない。
というのが主たる制約条件ではありましたが、それらに文句を言ってもどうなるわけでもなく、逆にそれらの制約条件をなるべくプラスに考えて行動するように努めてきました。
なかなか100%満足、というわけにはいきませんが、この3分の1を振り返って、以下のように感じています。
論文執筆はそれなりに努力をし、大きな和文論文を二つ投稿することができ、よかったと思っています。私の30代の集大成といってもよい論文を2つ書くことができ、ほっとしています。次の和文論文は目視評価法をマネジメント的な視点で論じるものにする予定ですが、これは40代の序盤の仕事に位置付けられると思っています。
英語論文はまだ国際会議の論文を1本しか書けておらず、次の3分の1の期間に多くを執筆することになりそうです。幸い、いくつかの国際会議の論文の締切りが近づいてきているので、締切りを活用しながら着実に書いていきたいと思います。
筆頭著者でない論文もそれなりには投稿したので、滞在期間中の重要な目的の一つである論文執筆については、それなりのスタートが切れたと思っています。
読書については順調。読みたい本がまだまだ数えきれないほどたくさんあり、楽しく勉強できています。
フランス語の勉強はかなり改善できそうですが、無駄なストレスを感じても仕方なく、Speed Learningを軸に、別途フランス語の初歩の勉強も開始しました。少しずつ、身に付いてきてはおり、食料品の買い物程度はフランス語でできているので、滞在期間中にどれくらい上達するのか、むしろ自分で楽しむくらいの気分で気楽にやりたいと思います。そのうち、会話スクールに週1回程度、行くことになりそうです。
研究所での研究ですが、少しずつ、研究所の研究者たちとのディスカッションも始まっており、私の部屋の女性研究者も産休・育休から今日、戻ってきました。やはり、経験豊富な研究者と話すと、30分話すだけでも相当に情報交換できるので、今後もなるべく研究者とディスカッションする機会を持てるよう、努力したいと思います。もちろん、研究所外の研究者や欧州の他の国の研究者とのコミュニケーションも重要ですが、制約条件と相談しながら徐々に展開していきたいと思います。
私の指導学生の佐藤君と横山君がインターンで来てくれたので、 大変苦労もしたようですが、SWATも持ってきてくれました。これはとても大きなことで、私がフランスにいるときにSWATがこちらにある、ということはいろいろな活用法があろうかと思っています。3/3(月)には、岩城先生、石田先生らも研究所に来られて、プチ・国際ワークショップを私のマネジメントで開催しますが、そのときにもSWATのデモンストレーションをできるよう、準備を進めたいと思っています。佐藤君、横山君には感謝しています。
講義資料等の整備はまだ全く手を付けておらず、残りの期間に着手です。
フランスのインフラ等の訪問はかなり満足の行くレベルで実施できており、今後の教育にも大いに知識、経験を活用できそうです。明日はいよいよ、マルヌ川にかかるフレシネーのPC橋梁を見に行きます。
家族の生活は皆で協力し合って、とても充実したものになっていると思います。また、フランスにいる友人との交流も順調に重ねており、今後も交友関係は大切にしたいと思っています。
以上、総じてみれば、最初の3分の1は、多少の反省点はあるもののまあ合格点ではないかと思います。
1/26夜からの日本出張では気分を入れ替えて日本での仕事に全力投球し、気分一新してフランスでの第2ステージに戻ってきたいと思います。
今日の午前は、出張?でした。
日本にいると、出張しかしていないんじゃないか、というくらい自分のオフィスで仕事をする時間が少ないですが、フランスでの時間はとにかくオフィス、家庭での時間が多いです。一人で来ていれば、間違いなく欧州をあちこち飛び回っているかと思うのですが、家族で生活しているとそういうわけにはいきません。最初は、その生活に自分が満足できるのかやや心配でしたが、じっくりと腰を据えて勉強したり論文を書いたりすることが心地よく、今はとても満足しています。まだ滞在期間の3分の1も終わっていませんが、徐々に行動範囲も広がってくるかと思います。4月以降は、国際会議やワークショップに参加する機会も出てくるので、国際出張を有効に活用したいと思います。
45才であれば、社会的に背負っているものももっと大きいと思うので、欧州でいろいろと飛び回った方がよいでしょう。今の40才の私は、 飛び回ってももちろん有意義とは思いますが、それよりも日本でできない腰を据えて取り組むことを徹底的にやるべきで、もしかするとまとまったこのような落ち着いた時間は最後になるのかもしれません。
前置きが長くなりましたが、今日の午前は、パリのコンコルドにあるJRグループのパリ事務所を訪問しました。東大コンクリート研の5つ上の先輩がおられることを紹介していただき、初対面でしたが、パリ事務所の所長も出てこられ、私はインターンで来ている学生2名を帯同しましたが、大変に話が盛り上がり、勉強になりました。
所長は10分くらいしか時間が無いので、という話でしたが、結局1時間以上私と話しまくっていました。
私もコンクリートばか(良い意味での)の状況はすでに終わっており、土木史の講義の経験や、興味の対象も広いこともあり、フランス、欧州と日本の違い、郊外から都市中心を貫く鉄道システムの歴史的な経緯(ドイツ、フランス、日本がパイオニア)、欧州と日本の教育システム、土木とCivil Engineering、などなど多岐に渡る話題が沸騰し、また夕食でもぜひ食べに行きましょう、と所長からお誘いいただきました。
その後、私は次女のお迎えが迫っていたので15分足らずで本題の欧州の鉄道の状況についてごく簡単にレクチャーいただきました。
すぐにご訪問できるので、また機会を改めて訪問させていただこうと思いました。
フランスにいると、日本にいるときよりも人とのコミュニケーションの機会、量は少ないと思います。少ないのが悪いのではなく、別の形で充実しているのですが、やはり私はコミュニケーションが好きなのだな、と改めて思いました。頭が活性化するし、とにかくポジティブに情報交換することは刺激的で大変に勉強になります。
その後、今日は水曜日ですので、正午前から次女のお迎えとお世話です。学生たちも家に呼んで、ラーメンをごちそうし(スープは手作り、ミニキャベツ、たまねぎ、マッシュルームが具。トッピングとしてボイルエビとゆで卵)、「次女との水曜日散歩 No.7」として、自宅近くのパリ日本文化会館に散歩に行きました。写真はFacebookでアップした通りです。National Gegraphicの秀逸な写真集"JAPON"を購入しました。
1/3(金)にリヨンから戻り、空港に横山君を迎えに行ってから一週間が経過しました。
1/6(月)に空港でSWATの預かられ品を回収したので、1/7(火)から横山君が研究所に通うようになり、ウィークデーが終了しました。今日、1/10(金)の夕方には、もう一名、佐藤君が到着します。
私の方は家族は新学期の生活が始まっているので、家庭の生活と両立しながらになりますが、今週は何とか無事に終了しました。やや体調が優れず、フルパワーという状態ではありませんが、自分なりにベストを尽くしています。
SWATがフランスにやってきたので、いろんなことに活用したいと思っています。もちろん、SWATの研究に携わる両君には、私とディスカッションできることがインターンの最大の武器ですから、よく議論しながら一つでも有意義な検討、種まきをしてもらえればと思います。
今日は、現在の研究室の実質的なリーダーとミーティングをして、貴重な情報も入手できました。また、3/3(月)に私がコーディネートする形でワークショップも開催することになり、日本からは岩城先生、石田先生、小松君らが参加します。研究所での活動も少しずつ活性化してきたように思います。焦らず、少しずつ自身の力を発揮していければと思います。
明日は土曜日ですが、両君を自宅に招いて、打ち合わせをして、簡単な昼食を振る舞う予定です。遠いところを来てくれて私もうれしく思いますし、滞在期間が充実するよう、私もできる限りのサポートはしてあげようと思います。
日本はJCI年次論文集の締切りが近づいており、相変わらず私も連名の論文の添削が複数あり、今週末は添削にも精を出したいと思います。
パリは異様に暖かい期間が続いていますが、今日あたりから少し寒さが戻ってきたようにも思います。おそらく日本よりもかなり暖かいと思いますが、体調も万全ではないので気を緩めないようにします。怒涛の日本出張も近づいてきています。相当に本州を駆け回ると思いますが、体調を整えておかねば。