細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

感じること

2013-06-22 11:28:35 | 教育のこと

「感受性」「感性」について以前,このブログで書いたことがありますが,今日は感性を刺激する側,つまり教師について。

6/1(土)に東北の復興道路の調査を終えた後,仙台駅の近くで夕食を取りました。私の尊敬する田村隆弘先生と私と,今回の調査に参加した私の学生たち4人。そのうちの1人は,田村研究室を卒業して,大学院生として私の研究室に入ってきました。

田村先生,私ともにフィロソフィーを語る「教師」ですので,とても前向きな,また大調査を終えた充実感にも浸った,楽しい時間でした。

その中で田村先生が学生たち4人に向かって,「君たちは高い感性を持っている。だからここにいる。」とおっしゃっていました。

立場上,教える側にいる我々も全力で,日々感じながら,生きています。生きてきて経験したことは当然に教えますし,我々は生涯勉強です。その後ろ姿を見せます。

教師と学生の関係で言えば,学生の感受性を刺激できないような教師は失格であり,私は職を辞すべきだと思っています。いろんな意見があろうかと思いますが,研究だけで生きて行きたい方は,研究所で研究しておられればよい。ただしその場合は,研究一本で勝負できるほどの力量が必要ですが。

税金で給料をもらっている大学教員は,その給料の少なくとも数倍は世の中に貢献しないと,大学にいる価値はないと思います。研究だけで貢献することはかなり困難です。一方で教育は,将来の人財を育てるかけがえの無い仕事。お金には換算しがたいですが,どれだけ真剣に学生と向き合えるかが,一つのバロメータであろうかと思います。向き合い方はいろいろありますが。

私も数多くの方々に教えられてきました。また感受性を刺激していただきました。それらの方々のおかげで,私の感受性が高まり,日々,感じながら生きているおかげで,次第に感性も豊かになってきたように思います。

しかし,何年一緒の職場で働いていても,感性が一度も刺激されない場合だってある。

若者こそ,自分が指導を受ける人,上司になる人を厳しく見るべきです。感受性を刺激できないような人の下で,一級の人間を目指した旅のスタートを切ることは決してできません。

厳しいようですが,若者たちは憧れのベクトルも持って,上の人間たちを厳しくみてもらえればよい。

上の人間たちは,下の世代から厳しく見られていることを自覚して,真剣勝負で生きるべきです。そうできない場合もあるでしょうが,そのときは下の邪魔だけはしてはならない。

谷口智彦さんの「明日を拓く現代史」を読んで大きな刺激を受けましたが,我々は東日本大震災後の日本復活を担う世代なのだと思います。多様化した社会ですから,多くのリーダーが出てくると思いますが,私たちの熱血ドボ研も,これからかなり大きな役割を担っていくと思います。

今現時点での学生たちも,これから15年程度での,東日本大震災後の大勝負に直接関わることも可能だと思います。そのためには,今の段階から,日々感じることが最重要かなと思います。だから,この記事を書きました。