約4ヵ月ぶりに鞆に来ました。5年半近い鞆との関わりですが、これまでの中で一番長いブランクだったかもしれません。今は、鞆から帰宅する新幹線の中です。
鞆に来ると、いつも自身を客観的に見つめ直すことができます。「独立確保」なのでしょうか。今回も「大衆化」しかかっていた自身をぐいっと「非大衆」に引き戻すことができました。自分の大好きな方々と語り合うことが本当に大事なのですね。
私も、いくつかの、もしくはいくつもの、「場」を整備することが自分の存在価値となっています。お給料をいただいているのは、大学での場の整備でして、一番分かりやすいのは研究室です。研究室という場を整備することで、人が育っていきます。
何とか社会に貢献したいと思って日々を過ごしていますが、結果的には研究室で多くの学生が育っていったことが、私の人生における一番の社会貢献になるのだろうな、と今の時点では感じています。もちろん、コンクリートの専門家なので、コンクリート構造物を通して社会へ貢献したいし、少しはできると思いますが、私の本質的な貢献は教育であろうと思います。
場を整備するために、日々、ありとあらゆる努力を重ねます。進むべき方向は明確なので、少しでもそちらに向かうよう、大小の無数の努力を重ねます。自身の主戦場としての研究室の整備を始めて14年が経過しましたが、場は少しずつですが成長を続けてきました。
「場」があって初めて人は活動ができるし、育てていただくことができます。インフラ、です。
場のありがたさは、現役の学生たちも感じているでしょうし、卒業したOBOGも感じていることかと思います。
私たちの研究室を一言で表せば、自由です。鞆の浦で研究させていただいていることが自由の象徴かと思います。これだけ自由に研究、教育をさせていただく場、チャンスをいただいていることに私を含め構成員一同が感謝し、努力すべきと思います。
学生たちが育つこと、そして育った方々が社会をしっかりと支えていくこと、それが一番大切なことですが、おまけに私もこの場で育てていただいています。育てていただいたからには少しでも社会に貢献する必要があります。
研究室、という場が主戦場ですが、ここを基盤に様々な他の場の創出にも乗り出すことが可能となります。それこそ無数の場が拡がってきています。そして、それぞれの全ての場で人が育っていきます。それらの場の整備、改善にも関わらせていただけるということは、本当に恵まれているということを再認識しました。当然ですが、責任が伴います。
場があって、自身の営みが初めて可能となる。そして、自身の、そして周囲の方々と連携しての日々の営みがあって初めて場が成立する。循環です。
場と自身との循環。社会基盤と人間社会の循環。国土と国民の循環。
私が心から尊敬する羽田冨美江さんと昨夜もお話し、夕食も羽田ご夫妻と、私の学生二人(鞆研究の昨年担当の石橋さん、今年担当の平塚君)と、もはや教え子となってしまった福山私立大学OBの鷲野君と6人で語り合いました。羽田さんの地域共生の実践を今回も目の当たりにし、この方のすごさに今回も震撼しました。私も実践を信条とする研究者、教育者、技術者のつもりですが、まだまだ甘ちゃんです。私には多くの師匠、同志がいますが、羽田さんも私の最良の師匠であり、同志、親友でもあります。
研究室とともに私にとって最大の主戦場である家族、の大切さも鞆に来ると再認識できます。これから家族の元に帰ります。家族、家庭も、構成員が育つための最重要の場なので、父親としての(夫としても)役割を最大限果たすべく、これまた地道な努力です。