細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

この時代の難しさ

2019-12-31 19:13:25 | 人生論

2019年が終わろうとしています。

すでに動乱は始まっているのようですが、さらに2020年は世界的に動乱の度合いを深めることは間違いないと思われます。

この1年、私自身もいろいろと悩みもしました。結果的には、自分自身と付き合いながら1年間を過ごして来ましたが、もっと出来たのではないか、という悶々としたものも抱えつつ、とりあえず2019年の終わりまでたどり着きました。悶々としたものが何なのか、明日からの新年をどのように迎えるべきか、私自身の総括も兼ねて、このエッセーにまとめておこうと思います。

まず、2011年という東日本大震災の年の10月に、土木史の授業を始めたのですが、今年で9年目となりました。毎年、多くの学部生(理系に限らず、全学の学生たち)と毎週のレポートで対話を重ね、20歳前後の若者たちが書く大量のレポートを毎週読むことで、この時代の難しさを肌で感じ取ってきました。動乱の時代において、衰退著しい我が国を見ていると、この時代に生まれた若者たちに同情の気持ちを持たざるを得ません。本来は、危機的な状況、転換期にこそ、人間はやりがいを感じるのだと思いますが、それをすべての人間に押し付けるわけにはいきません。

土木とは、本来、すべての人々を幸せな状況に導くための行為なので、ついつい熱がこもってしまうのですが、皆が皆、社会や人々のために尽くしたいというわけではもちろんありません。それでも、いろんな方々がいることは承知の上で、社会全体の幸福が増え続けていくことを模索するのが土木、なのだと思っています。

さて、そのような難しい社会において、強い、頼りになるリーダーがあちこちで求められていますが、私自身はどのように生きるべきでしょうか。

土木史のレポートでも、「何を生きがいにすべきか分からない」とか、「先生の講義を受けて生きる意味を真剣に考え始めると、自分の存在の意味の無さに悩み続けている」などの素直な悩みが見られることも少なくありません。

ただでさえ、生きることは簡単ではないのだと思いますが、現在のような動乱期で、かつ長らく平和ボケした我が国(大東亜戦争の敗戦後、根幹的な国力を毀損され続けた)において、しかも平成の間、あまりにも誤った政策により全く経済成長できなくなってしまった我が国において、前向きな生き方を若者に求めるこの国の大人の方がよほど間抜けだと思います。正直に言って、犠牲者は若者たちです。

それでも、若者も我々も、しっかりと生きていかねばなりません。そうでないと、この国は続きません。

結論的には、世界や国家、社会の実情を適切に把握し、その上で、正しい生き方をそれぞれの人間が実践していくということになるのですが、それをどれだけ多くの人々が実践できるか、ということに尽きるかと思います。

上記の、どうしてもやる気になれない若者たち、すなわち犠牲者たちをどのように導けばよいでしょうか(おこがましいですが、導かないと、本当にこの国は滅びます)。様々なやり方があるのでしょうが、現時点の私は以下のように行動しています。

・現実の社会の問題の深刻さを分かりやすく伝える。
・この現代の混迷・動乱や、近代の没落は、古今の哲学者等により喝破されており、それらを引用する形で、私たちは歴史の一部であり、歴史の当事者であることを伝える。
・この絶望的な状況において、「ニヒリズム」「大衆性」「ルサンチマン」等から、どのように距離を取り、離れ、本来的、すなわち非大衆的な生き方をするか、その「具体的な」方策を伝える。

若者たちも苦しんでいるのかと思いますが、本来的な生き方から逃げていては解決はできません。本来的な生き方とはどのようなものか、を土木史に遺る偉人たちの生き方や思想を一緒に学びつつ、自分たちを振り返るしかありません。本来的でない生き方の行き着く先を議論するつもりはありません。本来的な生き方を模索し続けるべきでしょう。

さて、矛先を私自身に向けます。

私も自分自身と46年以上、付き合ってきました。自分に求められていること、自分自身の能力、社会状況等が様々に織り合って、自分自身の人生も具体的に進んでいきます。自分の本来的な生き方を積み重ねながら、なるべく社会の要請に応え、長い目で見て社会に貢献できればと思っています。

まず、批判を覚悟の上ですが、私のかなり得意なことは、境界がある程度閉じた中でのマネジメントです。ある条件の中で、困った状況があるとして、その状況を境界条件も少しいじる形で改善するのは得意なようです。その能力を、研究、教育、研究室運営、社会貢献等々に活用するのは当然ですね。

もちろん、社会からはさらなる活動、活躍を求められます。現時点で、私が苦手と思うのが、より大きな組織(大学の学部や、大学全体、学会など)の進むべき方向、ヴィジョンを明確に示し、リーダーシップを発揮していくこと、です。研究で言うと、新たな研究領域を開拓していくことは、本来的には私の得意とするところではないと思っています(言い訳ですが)。

私にもできるのかもしれません。ですが、私よりももっと上手にできる人はたくさんいます。

私よりも上手にできる人がいるのであれば、そのような方々に任せるべき、というのが私の本来の考え方です。

ただ、非常時には、自分の本来の役割を超えて、学びながら、社会に求められる役割を果たしていくべきである、という考え方もあろうかと思います。

私自身は大した能力を持ち合わせた人間ではありませんが、これまでの巡り合わせや、置いていただいた環境により、社会に貢献したいという公共心と、実践するための能力をそれなりに備えてきました。これからは、自分自身の現時点での能力にははなはだ不安を覚えますが、継続的な勉強を実践し、社会の抱える様々な課題の解決に尽力したいと強く思っています。特に、後進の方々が大きく育つために自分にできることは全力でやるべき、との気持ちがより強くなってきています。

そして、この1年も、様々な方々と語り合ってきましたが、自らの職業を通じて社会に少しでも貢献することと、この社会を次へ次へとつないでいくために語り合っていくこと、日々を素敵に生きていくこと、が我々のなすべきことである、と真に感じ入ったこと、が1年の大晦日に振り返っての収穫でした。

土木史の受講者で悩める若者たちと、46歳にして依然として悩める中年男子の、偽らざる思いを記して、2019年の日記を終えることとします。

ちなみに、本日大晦日の夕方は、35分ほどゆっくりジョギングいたしました(冬型の気圧配置に変わる只中で、冷たい冬風が厳しかったですが)。明日、元旦は起床後、体操・柔軟体操後、新年のジョギングをしたいと今は思ってます。。。
(→ 結局、二人の娘と、ゆったりとした新春ジョギングをいたしました。)


少人数ゼミ(2019)「人間学とリーダーシップについて考える」のレポート

2019-12-31 11:16:35 | 教育のこと

今年も「人間学とリーダーシップについて考える」の少人数ゼミをやり、最終日に和田町の焼き肉屋で打上げをしました(かなりの現金が財布から無くなりました。。。)。今年は、志願して参加してくれた男子学生が多く、単位と関係なしに参加してくれた学生も2名いました。重ねた議論を踏まえたレポートを、到着順に以下、紹介します。

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一人目:

「プレゼミ まとめ」 都市基盤学科3年 齋藤直輝

このゼミを通して、自分のなりたい人物像として「周りを巻き込みながら一生成長し続ける人物」になりたいと思った。自分一人だけではなく、誰しも人と関わりながら生活していく生き物なので、するならば周りを巻き込みながら、インフルエンサーでありながら成長していきたいと思った。そのための行動指針として5つを今後取り組むべきこととして挙げる。

・身の回りのすべての人、ものに敬意を払う
・謙虚さを持ち続ける
・言葉よりも実行
・まずは「続ける」
・自分の善の心に正直に生きる

この5つだ。今までの人生でその大切さを理解し意識しているものの、振り返って胸を張って行ってきたとは言い難い行動である。

1つ目の指針は、何よりも今回強く考えた点である。皆で議論し、本を読む中で考え方は十人十色、正解はないということを痛感した。だからこそ、その多様性を私の中で受け入れ、敬意を払うことを今後何よりも軸にしていきたい。そこから付随して、自分も全人類分の一であることを自覚し、謙虚さを持つことを2つ目に挙げた。かの有名な稲盛氏の身分になっても持ち合わせている謙虚さを、未熟中の未熟な私も一生持ち合わすことが不可欠だと感じた。

3つ目、4つ目は自分が最もできるようにしたいことを挙げた。実行に移すこと、また続けることをするために、「明日やることを今やる」ことを心に、忠実に実行していこうと思う。

5つ目は前述の稲盛氏に感化されて立てた指針である。迷ったとき、自分の善の心に従って行動すれば、良い結果に繋がると思うし、後悔しない選択になると思う。

次に、自身の「役割」に基づくミッション・ステートメントであるが、4つの役割に分けて考えた。

まずは「息子」として、両親への敬意、感謝を忘れず、誇らしい息子となるよう精進することを挙げたい。当たり前ではない恵まれた環境を与えてくれた両親に感謝し、その期待に応えられる人物になりたい。

次に「兄」として、困ったときに頼れる、一番近い存在でありたいと思う。これは「友人」としても同じように、私も相手も高めあえるような関係を築いていきたい。

また「学生」として、学び続けられる環境に感謝し、いろいろな人や場所に出会い、見分を広げ、インプットに充てて自分の引き出しを増やす学生時代を過ごしたい。

最後に「市民」として、前述の敬意を欠かさず、規則は守るという当たり前ができる市民でありたい。

最後に、このゼミに入り先生をはじめ同級生の魅力的な面も新たに知ることができ、本当に楽しい時間を過ごすことができた。吸収したい点がたくさんあり、何より自分の師や同志に出会うことができた。この場を借りて、感謝の意を伝えたい。

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二人目:都市基盤学科 3年 宮本順三

My mission statements

私が将来どのような人間になりたいのかを一言で表すと「リーダーシップのある人間」である。私からするとそれは非常に魅力的で、今後私が飛び込んでいく土木業界において必要とされる資質であると思う。幅広い教養や様々な経験に基づく建設的な意見を提唱し、判断を下せる人間になりたいと思う。

そのために、まず変えるべきは“学びへの姿勢”である。「学び」は今後の人生において常に自分に課すものである。これまで私の大学生活における勉強は表面的な学びであり、本質を理解していないためにその場限りのものとなってしまっていた。何のために学んでいるのかをその都度考えると、理解・定着が深くなっていき、吸収力も上がっていく。学生の間にこの姿勢を身につけておくことで、社会に出てからの学びの土台を築いておきたい。

また、社会に出てすぐの自分に課しておきたいmissionが一つあり、それは 「Try & Error」 である。細田先生をはじめとする様々な方が仰っていますが、失敗することを恐れず、その失敗からたくさんの学びを得たい。また、偉大な先輩に憧れ、学び、そして模倣してみることも良いことだと思う。その上で、自分の腑に落ちる形、自分らしい形に柔軟に変えていけたらと思う。自分の優れている部分を把握し、より一層伸ばし、また自分の弱い部分を把握・改善したい。

中年層になった自分には、「視野を意識的に広げる」ことを課したい。それまで同様に学び続けることは言うまでもないが、若い頃に比べれば、慣れてきて多少の余裕ができてきていると思う。そのため、読書であったり、新たな趣味であったり、新たなことへの挑戦などを心がけたい。決まりきった考えは利口ではなく、柔軟さに欠けてしまうからである。また、私が人間である以上好き嫌いがどうしてもあるが、好きからは学び、嫌いからは学ばない、は考え方に偏りが生まれ非常に危険である。嫌いなものや人から学ぶべきところもたくさんあるはずであり、教養や視野を広げるためにも、俗にいう“大人な考え方”を身につけるべきスキルの一つである。

年長者になってからは、それまでに身につけた真の知識を次世代に共有しながら、国内にとどまらず、世界にも貢献していける仲間を増やしていきたいと思う。ただし、自分のクローンを作るのではなく、その人の能力を活かせることが最適であり、指導者として必要なことである。

行き詰まったら、一度立ち止まって全体を俯瞰して見たり、環境を変え外から眺めたり、立場を変えたりすることによって、時には遠回りするような余裕を持ち柔軟な発想、判断ができるようになれればと思う。

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三人目:都市基盤学科 3年 林 宏樹

「自分のあり方や進むべき道」

今回のゼミナール(以下、ゼミと略す)では、スティーブン・R・コヴィー氏の『7つの習慣』をはじめとしたさまざまな書籍を読み、その内容などについて議論を行った。

〇受講した経緯

私は高校生の頃からこのゼミを受講するまでに何度も自分のあり方を模索した。様々な本を読み、友人たちと議論し、自分がどうあるべきなのかを考えてきた。その過程では「自分の好きなように生きる」などと言って他人に迷惑をかけたり、自分を大変に嫌悪して悩み続けたりすることもあった。だがそれを経ても自分のあり方を見つけることができなかった。そんな中このゼミを知り、模索のひとつとして受講した。

〇受講して変わったこと

私はこのゼミを受講してから、「様々な物事を前向きに捉えること」が少しずつできるようになった。これまでは自分にとって辛いことに対し嫌悪や諦観をすることがよくあり、そこから逃げるために物事に消極的であったが、今は「自分の成長の材料」として捉えるようにしている。これにより、様々なことに積極的に取り組めるようになり、勉学により励むようになった。また、日常生活において気を悪くすることが格段に減り、精神的に少し成長した。

これからは、この捉え方を忘れないように意識的に努め、やがては意識しなくても物事を前向きに捉えられるようにしたい。

〇ミッションステートメント

私はこのゼミを受講し、今後の自分のあり方を定めるミッションステートメントを作成した。そのうちの二つを紹介する。

⑴常に他人のことを考えて行動する。
⑵感謝の気持ちを忘れない。

どちらも非常に当たり前のことであるが、思い返してみると存外できていないように感じた。時々自分の利益を優先して考えたり、当たり前のことに感謝できなかったりする自分がいた。今自分が行っている物事は必ず誰かの支えがあることを常に意識し、視野を広げ、小さなことでも感謝を忘れないようにしたいと考える。

ミッションステートメントを作成することで自分のあり方や進むべき道を見つけることができた。これからはその道を地道に歩むことが重要になるだろう。今後も様々な誘惑があるだろうが、今回のゼミを通して得たことを忘れずに突き進んでいきたい。

〇最後に

最後に、このような機会をつくってくださった細田先生、議論を共に行った皆さんに感謝いたします。本当にありがとうございます。

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四人目:都市基盤学科 3年 代田大樹

令和元年12月28日
ミッションステートメント

ミッション;ちゃんとした人間となる。正しい知識や事実をもとに自分の考えを持ち、自立した人間になる。

私は以下の項目を日々考えながら生きる。

① すぐ人に答えを求めない。
自己解決能力を高める。

② 日々数ページでも良いから本を読む。
様々な考え方や正しい知識を取り入れる。

③ 約束を守る。守れない約束はしない。
本当の信用を得る。そして最高のパフォーマンスをする。

④ 他人の意見をうのみにしない。
そしゃくした上で自分の考えを形成していく。

⑤ 第三者の目線で物事を見る。
一方ともう一方の双方の考えを受けてから物事を考える。

⑥ 深く考え込まずに楽観的に生きる。
ストレスに縛られない。イライラしている時間は無駄。

⑦ 自分は忙しいと錯覚しない。
忙しいと思うのは病気。時間はたくさんあるし、やりたいことも存分にできる。

また、自分の今の役割における行動は以下のようである。

・学生—自分の力で問題に取り組む。まずは自力で、次に文献を参考にし、どうしてもわからないときは人に聞く。
・兄—本人が自立できるように支え、手助けをする。
・長男—親孝行の気持ちを忘れない。感謝の意を表す。
・友人—誰に対しても分け隔てなく接する。いろんな人と出会うために人を選ばない。
・恋人—相手にとって自分が一番の理解者でいられるように努める。一つになるのではなく認め合う。
・先輩—自分が最初に行動する。自ら行動することにより見せる。見せて教える。

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五人目:都市基盤学科 3年 白井颯人

ゼミ まとめレポート

今回のゼミを通して考えたことをミッションステートメントにまとめる。ミッションステートメントは5つの考えを軸とする。

1. 成長を喜びとする。
どのような状況でも、どのような立場でも常に成長を求める。人よりも努力することを当然とし、無理をする。

2. 結局はすべて自分である。
良いことも悪いことも相手にしたことは自分に返ってくることを忘れない。後悔の無い判断をする。

3. すべて1度受け入れる。
自分の考えとは異なるものを避けず、成長の機会を逃さないようにする。また、違いを尊重することで素晴らしい人間関係を築く。

4. 当たり前をふり返る。
自分の生活や人間関係など、当たり前となっていることをふり返り、感謝を忘れない。

5. 常に実行を前提とし、行動に起こす。
実行することで人との差が生じることを心に留め、考えるだけで終わりとしない。

加えて、成長の機会でもあり、人生における重要な場面であると考える、辛いときの過ごし方を記す。

辛いときがあることは当たり前であり、辛さが過ぎるときや力が出るときがまた来ること忘れず、できることだけを1つ1つこなしていく。また、自分を見つめ直すいい機会と捉え、自分と真剣に向き合う。

以上のミッションを達成するために次の役割を果たす。

学生:自分の能力を伸ばすだけでなく、自分を見つめる。自由な時間を有意義に利用する。
息子:どのようなことをしているか話す。話せるような生活を送る。
兄:親にならない。上から言わず、一緒にやる。
弟:話を聞き、自分の考えを話して学ぶ。
恋人:余裕を持つ。考えをしっかりと伝える。楽しませる。
友達:それぞれの違いを認める。協力を惜しまない。

ミッションステートメントは以上であるが、今回のゼミでは自分と似たような思いを抱いている友人がいたことを知ることができたのが最も嬉しかった。今後はこれらの友人の存在が大きな支えとなると思う。

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六人目:都市基盤学科 3年 キョ ウンショウ 中国 

「人間学とリーダーシップにつて考える」

セミナーを選んだときに前アルバイトをしていた会社のことを思い出した。その会社の社長は若くて、能力も素晴らしかった。しかし彼は他人の気持ちを考えなくわがままだった。その結果一年も経っておらず会社員がどんどんやめた。その後また新人が入ったが結局同じで、私も少し前に辞めた。このアルバイトのことでリーダーシップの重要性を実感した。チームという単語はTogether Each of us to Achieve Moreという解釈もあるので、チームワークは1+1>2を実現するためである。リーダーシップというのは決して個人能力ではなく、目標達成を実現させるために明確な目標を示し、フォロワーのパフォーマンスを最大化させる能力である。私がこのセミナーを選んだ理由も人間性とリーダーシップが成功になるための不可欠な条件だったからである。

セミナーの初回で細田先生からいろいろな本を紹介していただいた。私は「七つの習慣」のほかに稲盛先生の「心」を選んだ。この本では有意義な人生を過ごすための七つの習慣を紹介した。簡単そうに見えるが今の私にとって全部理解できなかった。

私が実感できた習慣を紹介する。第一習慣「Be Proactive」。成功した人のことを見れば次のような特徴がある。これから何をしようとする場合、できる限りの準備をして、何か起きようとしても冷静に対応し、何の結果になっても素直に受け入れる。そして私たちがそれを驚いている間、また先のことを考えている。このような人になるためにまずReactiveの自分からProactiveの自分に変えないといけない。私はよく想像外のことが起こった時に、悔しい気分に落ち込んで正しい判断はできなかったことが多い。これから次の五つのことを常に考えて、判断をする前にpauseとthinkしてみたいと思う。

1. Everything changes and ends.
2. Things do not always work according to plan.
3. Life is not always fair.
4. Pain is part of life.
5. People are not loyal and loving all the time.

稲盛先生の「心」も拝読した。人生の全ては自分の心が映し出す、その根底は自らの心を高め、魂を磨くこと。人のため世のために尽くす「利他の心」で生きるというテーマを自らの経験を通して説明していただいてとても同感だった。これからはもっと感謝の心を持って生きていこうと思う。

今度のセミナーは今までと違う形式で、本を読んで終わりではなく参加者の考えや思いを聞くこともできる。私の日本語力がまだ不十分のも原因で、議論するときに皆さんが話した内容が聞き取れないときがある。それでも私は楽しく聞いている。他人の経験や思いを聞いて同感することもあれば、初めて聞いたこともある。その時自分ならどうする、うまくできる?と考えていた。無味乾燥の勉強生活の中ではなかなか面白い時間だと思う。先生とセミナーのメンバーに感謝します。ありがとうございました。

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七人目:都市基盤EP 4年 佐俣 宏明

「人倫日用の学について」

孔子は『論語』において、「吾が道一以て之を貫く」という言葉を残しています。私の人生は一つの流儀で貫かれているという意味です。弟子によると「之」とは忠恕であると解釈していますが、孔子は「之」つまり流儀の内容を明らかにしていません。おそらく言葉で説明できないものなのでしょう。

昔から、人生において大事な概念は、曖昧な姿をして語り継がれているように思います。この講義の主題である生き方もその一つです。そもそも生き方というのは、人それぞれです、と言ってしまえば身も蓋もなくなりますが、誰しもが理想だと信じる人生観というのは、普遍的に存在するといって良いでしょう。

その証拠に、『7つの習慣』には「原則」というキーワードがあります。より良い生き方というのは自然の法則のように存在し、それは古今東西において変わらない絶対的なものである、つまり「原則」があるということを本の冒頭で述べているのです。

ただし、著者であるコヴィーはこの「原則」について正確な定義を与えていません。原則とは、例えば誠実さだとか、公平さだとか、いろいろな表現をもって説明しようとしてはいますが、要するに何であるかを明瞭に捉えることはできないというのです。

この「原則」という概念は、孔子にとっての「之」と非常に近いものだと思います。両方とも、生き方を表す言葉ですが、具体的に何であるかなど、簡単に言えるものではないという点で似通っているからです。

テキストが『論語』であれ『7つの習慣』であれ、私たちの日常生活をより良いものにするというのは、容易なことではありません。人生は思い通りにならないことばかりです。私もそうですが、何か嫌なことがあれば、すぐ他人の責任にしたり、およそ運がわるかったなどとごまかしたりするものです。

テキストには、そういう場合でも、基本的には自分の側に落ち度があることを認識しなさい、と書いてありますが、そう簡単には修正できないのが人情というものでしょう。とりわけ二十歳を過ぎれば、自分のやり方、考え方が間違っていたなんて、そうあっさり認められるはずがありません。一人で自分を変えるなど、相当タフな精神力がなければ無理です。

だから、人間には長期的な縁故関係が必要なのだと思います。家族や旧友、あるいは師弟というのは、自分の良いところも悪いところも、ひっくるめて知っています。私が不自然な行動をとれば、彼らはすぐ見破ってしまうので、ごまかしは効きません。

したがって、自分の日常生活を修正することができるのは、彼ら以外にはいません。自分と付き合いの長い人から言われたことなら、仕方なく反省して改めるものです。

大学生になって上京すると、そういう人たちとの関係が薄くなるから、日常生活の過ごし方は差し障りのない無難な方法をとるか、皆と同じことをしてやり過ごすかの、いずれかに偏ってきます。実際、その場を凌ぐことも一つの知恵でしょう。

けれども、人生のほとんどをその場凌ぎでやっていくのはキツイものです。やはり人生哲学に関する本を一冊、それから自分に対して率直に物を言ってくれる人たちを確保して、適度に回していくのが精神衛生的にも丁度良い暮らし方なのだと思います。


 


恥ずかしい日本

2019-12-31 11:00:40 | 教育のこと

2019年の大晦日です。子どもたちと私の実家に2泊で来ており、本日一旦、自宅に戻り、家族四人で大晦日の夜を過ごして、元旦を迎えます。昨日は、長女とカルボナーラを作り、合計7名に振舞いました。実は、カルボナーラを作るのは初めてでしたが、美味しくできました。。。

年末年始、落ち着いて仕事もできるので、様々な仕事をのんびりこなしていますが、

12月17日の土木史の講義のレポートに出てきた、都市基盤学科の2年生のある留学生の言葉です。

「日本に来て、私は一時期、夢をもつことは恥ずかしいことなのではないかと考えてしまったことがある。それは、周りの人が、土木を学びたいという明確な意志で土木を学んでいるわけではないと知ったからだ。」

皆さんは、どう感じますか?

私の所属する都市基盤学科の学生たちは、他の学部や学科の学生たちと比べると、平均的には、社会に貢献したいという気持ちを強く持っており、その方々が学科や研究室等の教育を受けて、立派に社会で活躍する方々に育っていっていると認識しています。そのように育ち始める前の、留学生の失望、なのかもしれませんが、現代の大学生たちも苦しんでいるのでしょうね。

ちなみに、都市基盤学科の2年生の少なくない学生たちは、この講義から多くを学び、誠実なレポートを書くことを積み重ねてくれています。夢を持ち始める学生たちも出てきてくれていることと思います。

経済学部等、他学部や他学科の学生たちのレポートを読んでいると、憐れに思うこともしばしばです。私の講義を無理に取る必要もないでしょうに。私の基本方針は、大きく、高く伸びようとする方々にはいくらでも支援を惜しまない、というものです。全くやる気のない方々に見えても、その中の1割くらいは、気付く人もいます。教育とは、育つためのきっかけを提供する、くらいのことしかできませんので、かなり絶望的な状況にも思えますが、この時代に生きる教師として、やるべきことをやり抜こうと思います。