先ほどの投稿に続き、もう一つ、書いてみました。ざっと書いたので、今後推敲しますが、上手くいけば、書籍に含まれる原稿になるかと。
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「オープンイノベーション」
2021年6月に,長岡生コンクリートという静岡県の伊豆の生コン会社の社長の宮本充也さんと初めてオンラインで会った。私より5つ年下の方である。福島高専の専攻科を出て大学院生として私の研究室に入ってきた志賀純貴君が自分の研究でいろいろ調べているうちに,宮本さんに会いたいということになり,お会いした。
7月に私は志賀君らと長岡生コンを訪問し,宮本さんと対面で会い,いろいろと話を聞いた。様々な衝撃を受けた。その後,私は宮本さんやその仲間たちとチームを形成し,様々な技術開発を行い,スピーディーに社会実装していく,まさにオープンイノベーションを体現している状況にある。
日本の建設現場で使われるフレッシュコンクリートはほとんどが生コン工場で作られて出荷されている。日本の生コンは,一時は5000社を超え,今は3000社を少し上回る程度であるが,数多くの零細企業も含む生コン会社が,「組合」制度のもとに出荷している。世の中の物事にはすべてプラスの面とマイナスの面があるが,生コンの組合制度は,日本の発展期に全国で安定した品質の生コンを出荷するという意味では多大な貢献をしたと思われるが,現在では新技術の導入を阻害しているなどのマイナス面が指摘されることも多い。
私自身,コンクリートの研究者でありながら,またそれなりに実務とのつながりの多い研究者でありながら,生コン会社の方々と連携して技術開発を行ってきた経験がほとんどなかった。宮本さんからは,大学やゼネコンがいくら研究室で新しいコンクリートを開発しても,最終的に製造するのは生コン会社だから,生コン会社が作れないもの,作りたくないものを開発してもうまくいかないと教わった。
生コンは,地産地消の代表格とも言え,地域によって使う骨材も異なる。また,生コン工場で発生する様々な廃棄物の処理に皆が知恵を絞っているが,副産物を有効利用できずに廃棄物として処理しているものがかなり存在する状況にもある。
私と宮本さんたちのチームでは,生コン会社の視点から技術開発を行う。実装できない技術を開発しても仕方ないので,実装を常に念頭においてアイディアを議論する。そして,思いついたらすぐに工場の実験室で実験し,さらにはすぐに実機のミキサーで練り混ぜる。驚くほどのスピードで商品として出荷されるものもある。もちろん,品質はしっかりと確認した上での話である。
日本には,JISを代表とする様々な技術基準,品質基準がある。市場に流通する材料は,それらの基準を満たすものでなければならない。しかし,基準を満たすために,または新たな基準を整備するために,相当な時間を有する場合も少なくない。一方で,現行のシステムの中ですぐに流通できる革新的な建設材料を開発し,社会実装することもできる。要は,従来製品と同等以上の性能である材料を開発し,性能をデータで示すことができれば,市場は受け入れるのである。もちろん,従来製品より安くなければならない。放っておけば廃棄物になってしまう副産物を真に有効に利用できれば,価格は安くできるのである。私自身が関わっている製品としては「イワモル」「オワコン」などがあり,社会実装を進めながら基礎研究を行うオープンイノベーションから極めて多くのことを学んでいる。
宮本さんは,ビジネスモデルの構築の面でも革新的な人物である。毎日ブログを3本必ずアップすることを7年以上続けているそうで,オワコンやイワモルなども検索すると宮本さんのブログ(生コンポータル)にすぐに到達する。がんじがらめとも言える組合制度が現存する社会において,インターネットでオワコンなどが購入できる仕組みを構築し,800社以上もの生コン会社とネットワークを構築し,一般市民が自分の家の防草対策にオワコンを購入するという状況が爆発的に拡がっている状況である。オワコンは造粒されたポーラスコンクリートで,透水性のあるコンクリートを作ることができる。オワコンには様々な副産物も活用できるので,環境負荷を極限まで低減させたオワコンも開発され,すでに実装されている。
「餅は餅屋」と宮本さんは言う。私のような大学の研究室の実験室で,何度も何度もコンクリートを練るような実験を,「素人」の学生と一緒にすることは難しい。しかし,私の研究室と生コンのプロたちや施工者たちがチームを組むことで,オープンイノベーションが可能となる。大きな方向性を共有し,それぞれが得意なことを持ち寄って,自由闊達に議論し,自律分散的に動くことで,オープンイノベーションが実現できる。
つながる,ということは楽しく,刺激的であり,そして学びがあまりにも大きい。
ある本を出版しようと仲間たちと作業を進めていますが、私の担当分で書いている原稿の一部、山口システムのことをブログで掲載しておこうと思います。
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「ひび割れ問題を協働力で解決した山口システム」
コンクリートは現代のインフラを構築する上で不可欠の便利な材料である。地産地消を実現できる材料であり,世界で水の次に取引量の多い物質と言われており,世界中で使われている。欠点の一つとして,構造物を施工するときのコンクリートの施工の良し悪しが,硬化後の品質に大きな影響を及ぼすことがある。コンクリート構造物の施工中に発生するひび割れを巡って,発注者と施工者の間で責任のなすりつけ合いが生じる,という人間関係にもひび割れが生じている状況が各所で頻繁に見られるという状況にあった。この問題を解決した「山口システム」に私は2009年3月に出会い,衝撃を受けたのである。
コンクリートとは,圧縮には強く引張には弱い材料である。そのため,引張力が作用する箇所には補強のための鉄筋が配置され,このシステムを鉄筋コンクリートと言う。コンクリートの引張強度を超える引張力が働くと,ひび割れが発生する。自分の大切な車や住宅などに亀裂が入っていると傷物の悪いイメージを持つ人が多いと思うが,コンクリート構造物の大半のひび割れは技術的には有害でないにもかかわらず,ひび割れが発生すると発注者は施工者に「施工が悪い。補修せよ」,施工者は発注者に「我々の責任ではない。設計が悪い。」と正反対の主張でぶつかり合っているのである。ひび割れの発生は引張強度と引張力のやり取りで決まり,それぞれは極めて多くの要因の影響を受けるため,どんな説明も可能であり,収集が付かないのである。
2001年に国土交通省が品質確保の通知を出し,コンクリート構造物のひび割れに関して皆が敏感になった。2002年に徳山高専(当時)の田村隆弘教授が生コンクリート工場等の民間企業の同志たちと「コンクリートよろず研究会」を立ち上げ,みんなの総意でひび割れ問題を題材にし,実態に関する勉強を重ね,報告書を発刊して講習会を2004年に開催した。報告書のタイトルは「コンクリートのひび割れ予防対策(あなたにしかできないことがある)」であった。立ち見が出るほどの盛況であったが,そこに山口県職員(当時)の二宮純氏が聴衆として参加し,質問用紙の裏表にびっしりと質問が書かれていたとのことである。
ひび割れを低減できる技術はいろいろとあるらしいが,どれがどのように実構造物で効くか分からない。では,実構造物で試してみようではないか,ということで2005年に山口県で実構造物でのひび割れ抑制の試験施工が始まった。同じ形状が続く200m以上のボックスカルバートでボックスごとに様々な対策が試されたり,橋台の大型構造物でも種々の対策が試された。試験施工には,多くの関係者が関わる。驚くことに,試験施工の構造物群では,ある種のひび割れが根絶してしまった。これを我々は「施工由来のひび割れ」と呼ぶ。一方で,試験施工で様々な対策を施しても,簡単には根絶できないひび割れがあることも厳然たる事実として明らかとなった。構造物中のコンクリートの品質は打込みや締固めなどの施工の影響を大きく受けるが,適切な施工をすることで防げるひび割れと,設計段階からもっと積極的な抑制対策をしないと防げないひび割れがあることを,関係者が事実として共有できたことが山口システムが成功へと歩み出す最大の分岐点であった。
施工が適切になされること,すなわち「施工の基本事項の遵守」が達成されるために,施工状況把握チェックシートを中心とする様々な工夫が実践された。そして,山口システムの中核とも言える,コンクリート施工の記録をデータベース化し,丁寧に施工された構造物のひび割れ発生状況も情報共有されるようになった。次に新しい構造物を建設する際に,類似の条件の構造物のデータを参照し,例えばひび割れ幅を抑制するための鉄筋を追加したりして,その効果が実構造物で検証される,ということを繰り返していき,合理的なひび割れ抑制対策も構築されていった。発注者は余計なお金を出したがらない傾向が強いが,山口システムにおいては,実構造物のデータベースが追加のひび割れ抑制対策の必要性を証明してくれているので,会計検査に対しても適切な説明をすることができる。困難なひび割れ問題に対しても,正攻法で誠実に取り組むことで,道は拓けたのである。
試験施工を経て,2007年から山口県のひび割れ抑制システムが正式に運用された。私は2009年3月にこのシステムを視察して衝撃を受け,それ以来,このシステムに飛び込んで行って学び,今は当事者の一人となっている。このシステムの良さを全国に「布教」し,全国各地での発展的な展開を指導している。このシステムは人の物語でもある。高校野球の監督も務めていた田村先生は,みんなにそれぞれの本分があり,みんなが協働することで全体のパフォーマンスが向上することを知り尽くしたリーダーであった。これまでまともに会話したことのない生コンの技術者と発注者の技術者(「ガラスの壁があった」と生コンの技術者は話した),そして施工者を同じテーブルに着かせ,「つなげた」のは田村先生である。品質の良い生コンが供給され,発注者の監督員と施工者が良い品質の構造物を造ろうと協働することで,ひび割れも劇的に低減し,構造物全体の品質が向上したのである。
産官学が協働し,実構造物の建設から真摯に学び,真に活用できるデータベースを構築して,形だけでないPDCAを回し,少しずつ改善を重ねていく。そして地域から生まれた素敵なモデルを全国に展開していく。このような当たり前の素敵なことは,誠実な思いと人のつながりがあればできるのである。