ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H22.1.23(土)津軽鉄道冬景色

2010-01-25 | 東北

 奥津軽の玄関口、津軽五所川原駅。
 ストーブ列車だけでなく、駅も風情がある。


 駅前の商店のシャッターには懐かしいJAS。
 と言っても、この塗装はそんなに昔のものではないが。


 十和田観光鉄道の三沢駅にもこんな時刻表があったが、こういう筆書きの時刻表はダイヤ改正のたびに、誰かが書いているのか?

 

 
 構内にはいろいろ車両がとまっているが、事前に予習をする時間がなかったので何がなんだかさっぱりわからない。


 8レ到着。


 なんと、うれしいことに、ラッセル車(キ100)。


 津軽五所川原10時31分発(5レ)は、「走れメロス」号(21形105)の単行。


 金木で下車し、対向列車を撮ってから、斜陽館へ。

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 さて、文学などと言うものはさっぱり読まないのだが、津軽に行くからには、と思い、先週、出勤途中に「斜陽」を読んだ。

 しかし、最初の一行で、これを読むのはきついぞと思った。
 次の行、その次の行も・・・。
 立川から読み始めたものの、国立で読書断念。

 帰りの電車で、ナナメ読みしてみると、案外速く進み、100ページほど進んだ。
 とは言え、この作品のどこがいいのかわからない。

 翌日、続きを読んでみると「チドリ?西荻のどのへん?」という会話が出てきた。
 これは面白い。
 当時も「西荻」と呼ばれていたのだ。

 さらに「阿佐ヶ谷から省線で立川行きに乗り」というのもある。
 これは、別に驚きはしないが、当時、そういう電車を太宰は見たんだろうなと思うと、面白い。

 太宰ファンからすれば、こんなことで喜ぶなと呆れられそうだが、このあたりから急に面白くなった。

 最後まで読んだ感想は、よく計算されている、と言ったところか。
 いままで太宰というと、暗いイメージがあって避けていたが、むしろコミカルな気もした。
 
 もともと文学を読まないというか、読めない人間なので、こんな解釈をしていいのかどうかわからない。
 怪しげな書評はこの辺にしておく。

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 斜陽館を見学して「津軽」他の作品を読んでみると、理解が深まるんだろうなと思った。
 が、思っただけで終わりそうである。

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 金木12時05分発のストーブ列車(153レ)がやってきた。
 おもちゃのようだ。

 
 席は半分以上が埋まっていたが、ストーブ近くの席があいていた。


 だいぶ観光列車化しており、車内販売もある。
 閑散とした車内でストーブに暖まりながら・・・という姿を想像していたが、むしろ地方鉄道活性化事例を見ているようである。
 津軽五所川原から乗った列車のアテンダントによると、土日は混むらしい。
 ただ、ひょっとすると、混雑しているほうが、昭和30~40年代らしいのかもしれない。



 終着駅の津軽中里は寥々とした原野を想像していたが、目の前に丘があり、そこで線路が途切れていた。


 駅は1面1線だが、機回し線がある。


 一瞬、地吹雪らしき光景が見られた。

 
 
 出発まで、細細したところを観察。

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 津軽五所川原駅到着後、さきほど見なかった車両が姿を現していた。
 こちらは、西武からやってきたらしい、ナハフ1202。


 跨線橋から津軽鉄道ホームを眺めて、お別れ。


 締め括りは、駅前で食べた津鉄汁セット。