JR東海の「そうだ、京都行こう」のCMで、 大原・三千院が紹介されている。
秋の紅葉が映える中、 京都の町から離れた三千院は、独特の美しさを持っている。
三千院は、中学の修学旅行で行った。 今から、ちょうど30年前の10月だ。
クラス毎にコースを選択出来た。 太秦映画村や、嵐山などが人気のコースだった。
その中、私のクラスは、 「三千院に行ってみたい」という声が多かった。
しかし先生が言う。 「三千院は、京の中心地から離れている。
行ったらその日はもう、他の場所は見れないぞ。それでもいいか?」
私達は、それでもいいと答えた。 なぜ、あのクラスメートが、それほど三千院に行きたがったのか、
もちろん私も、一番行きたかったのだが、 今も不明なのである。
その日は、雨が降った。
バスは、一時間以上の道のりをかけて洛北を目指す。 そして、三千院に着いた時は、 しとしと雨に変わっていた。
朝早くに出たため、 三千院の門はまだ閉まっていた。
門前にある土産物屋が店を開ける。 店のおばさんが言う。 「えらい早よぅ来はったなぁ」
私達は、おばさんからしば漬けを戴いた。 たったの一切れ食べたしば漬けの、おいしかったこと。
今まで食べた漬物の中で、一番忘れられない味だ。
しっとり雨は、情緒満点だった。 他に、観光客の姿は見えなかった。
私達は三千院の前で、バスガイドさんとともに写真を撮ったり、 それぞれの時間を楽しんだ。
のちにクラスメートの男子の一人は、 このバスガイドさんと文通を続けたという。
三千院の中自体は、実はあまり印象に残っていない。
ただ、この開門前のひと時が、 今も鮮明に残っている。
『女ひとり』の歌詞の最初に出てくる、 「京都大原三千院、恋に疲れた女がひとり・・」
この詞は、永 六輔氏が作詞したのだが、 実は、日本全国旅めぐりのような歌を作ろうとして、
一曲目・北海道からスタートして、 三曲目が京都府、この「女ひとり」の曲になったという。
しかし、このシリーズはヒットしなかった。永氏も、この三曲目で早くも断念したという。
ところが、当時の三千院の住職が、 この売れない曲に、自分の寺が登場するのを知って、
この詞を、筆で木の板に書き、 門の前に掲げたという。
そしてこの当時は、「アンノン族」と呼ばれる、 女性のひとり旅がブームだった。
雑誌に、この詞と三千院の看板が紹介され、
静かな山あいの寺ということで、たちまち観光客が訪れるようになった。
三千院が脚光を浴びるのは、この時からだった。
でも、私達が訪れた三千院は、 やはり静かに時間が通り過ぎる寺だった。
結局、あれ以来ここを訪れたことはない。
いや、あの時・・15歳の目で見て感じた三千院を、 そのまま残しておきたかったからかもしれない。
何年前かに、両親が三千院を訪れたのたが、
中に入るには、「般若心経」を一行、 筆で書いてからという決まりがあった。
実際には、お願いのような型で、何もせず入る人も多かったようだ。
だが、筆を使う仕事の両親は喜んで、畳の上に正座をして記してきたという。
今はどうなっているかわからないが、 三千院も観光ずれしていない、
厳格な顔を保ち続けていることが嬉しかった。
そうだ、京都行こう・・・
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