楠歴史民俗資料館の作業服着たスタッフのオジサンに歩く方向を教えてもらって
歩いて、楠城跡へと向かう…
徒歩で歩いても、近い!近い!!
スタッフのオジサンいわく
「クスの木が1本あるだけ!!」…(笑)
の
楠城跡
ああ、ここだなってすぐにわかりました!!…(笑)
これぞ、楠城跡
石碑はありますが、遺構らしきものは全く残ってません!
この石垣???は、当時のものとは思えないし…(笑)
このクスの木は、城址だった目印として、明治時代に植えたものであるらしいし…
ここは東が海、さらに鈴鹿川が堀の役目を果たす要害の地
南北朝時代に伊勢国司・北畠顕泰が1369年に築城、諏訪十郎を初代城主としたとのこと
その後の1412年に楠木正成の一族かも知れない???楠正威が城主となり、以後、楠氏による支配が続いたが、戦国時代、楠正具は、1568年の織田信長の北伊勢侵攻の際、信長に抗して大坂石山合戦で討ち死したとのこと…さらに、1584年には楠正盛は羽柴秀吉に反抗して落城、斬首され、 楠氏は滅亡、そこが楠氏のクライマックス…だったようで
御神木のような…クスノキに触れてパワーをもらって
調子はマックス!!
廻りは、R23からすぐ近くとは思えない、のどかな田園風景
その後は堀の役目をした堤防の道を散策…
ここが「三人人」と呼ばれる楠の昔話の残るあたり…
前回の記事
四日市にある楠(くす)歴史民俗資料館に行く!!
にその「三人人」の話、要約して載せてあるので、興味のある方はぜひぜひ!!
マックスに泣ける??いい話だよ!!
さてさて、ちょいと歩いて、今度は、楠村神社へと向かう
その途中にあった
大工村跡の案内看板
昔は、この辺りまで、楠城だったようで
さてさて、最後に紹介するのは
楠村神社
歴代楠城城主によって崇敬された神社
ここも「風呂屋」と呼ばれる楠城の一部だったんですね!
さらに「楠城と信長、秀吉の関わり」という案内板も…
楠氏は信長と敵対し、さらに1584年には羽柴秀吉に反抗して落城させられ、 楠氏は滅亡といったことが…細かい文字で…
でも案内看板はこれしかないので、読みます!読みます!!…(笑)…老眼の目を叱咤激励して…(笑)
鳥居をくぐって右側には、境内社、山神社
廻りは川と海に囲まれているところに、山神社、なんか不思議な感じ…
ではでは、さっそく手水舎で手を浄めて…と思いきや
龍の口からはなにもでず…
だったので、持参の手指消毒液でシュッシュするものの
境内誰もいませんけど…
ってことはテンション上がる!上がる!!
だって、神様一人占め状態…なんか神様が退屈してるときに、私のような参拝者、きっと願いに耳を傾けてくれるんじゃないかなと思ってしまう私…
なので…テンション上がる!上がる!!
ご祭神は建速須佐之男命さま
二礼二拍手一礼
毎日、リラックスできる穏やかな毎日が過ごせますようにと…
さらには、ボーとしてて、ものを失くすことのありませんように…
暴飲暴食、食べ尽くすことのないように…と
ボケないように健康が一番と…オヤジギャグを盛りこみながら…
きっと神様もクスクス笑いながら、この願いごとに耳を傾けてくれたに違いない???
拝殿の裏手の境内社??も拝むことができました
さらに拝殿右側には
八幡社
さてさて、この楠村神社
参拝を終えて
具体的には、どんな対策をしているのかよくわからなかったけど、しっかり「コロナ対策中」でありました…(笑)