1584年羽柴秀吉陣営と織田信雄、徳川家康陣営の間で行われた
小牧・長久手の戦い
結論から申せば
織田信雄、徳川家康陣営の圧勝…大勝利となったこの戦いの中で
特筆すべきは
破れた羽柴秀吉陣営側において
堀秀政が戦った
桧ケ根の戦い…
小牧・長久手の戦いにおいて
秀吉の方が戦力的には有利だったのだが、徳川家康は尾張の小牧山城に立て籠もり、守りを固めて出撃しようとはしなかったため、膠着状態に
ここで秀吉側は家康を小牧城から動かすために池田恒興が、家康の本拠である三河を攻略する作戦を行うことを提案
秀吉はこの作戦を承認し、羽柴秀次を総大将とし
堀秀政にも出撃を命じることになる…
羽柴秀次隊、堀秀政隊、池田恒興隊、森長可隊など合計で2万という陣容
しかし、この動きは徳川軍に見透かされ、徳川軍の追撃を受けることに…
最後方に陣を構えていた羽柴秀次隊が、家康の重臣・榊原康政隊の奇襲を受け、壊滅…
その隣にいたのが堀秀政隊…敗報が届いた羽柴秀次勢の敗残兵を組み込んで、堀秀政は、桧ケ根に陣を構え、香流川を前にして、敵を待ち構える…
堀秀政は秀次隊が完敗したため、徳川軍は勢いに乗ってここにも攻撃をしかけてくるだろうと予測した…
案の定、秀政が予測した通り、徳川軍が攻めてくる…
それを見た秀政は、一斉に、鉄砲での攻撃を仕掛けることに…
徳川軍の武将・本多康重は負傷し撤退
攻めあぐねた徳川軍は退却
秀政隊の攻撃によって、徳川軍は500人もの死傷者が出ることに…
この桧ケ根の戦いでは
全体では秀吉軍の大敗に終わっているのですが、唯一、堀秀政だけが秀吉軍において勝利をおさめているんだな…
その堀秀政陣跡に行く…
陣跡は今は桧ケ根公園になってまして…
もう…それは整備された美しい公園になってまして…
時空を超えたら、ここに武士の屍が転がっていたとは、想像すらできないほどの美しい公園です…
おお、これは模擬城??堀秀政陣跡資料館かと思いきや…フツーの図書館でした…
さてさて、ここに堀秀政陣跡を示す石碑があるとのことだけど、どこだ??
この広い広場の隅の方にあるんじゃないかと…ウロウロしてたら…
この綺麗に整備された公園の中央あたりの場所に…実にひっそりと…ひっそりと…建立されているのをみつけました…
この新しく整備された公園には不釣り合いなくらい…歴史を感じる石碑でした…
桧ケ根の戦いで勝利をおさめた堀秀政
しかし、その時、秀政はその後方の御旗山に…家康本隊を確認するのです…
桧ケ根の戦いでの勝利の勢いにまかせて、家康本隊と戦うのか…
池田・森隊も秀政隊と合流しにやってきたのだが…
そのときの堀秀政の気持ちを想像するだけでも、この石碑の前にしばらく佇んでいられるというもの…
結果…
池田・森隊は徳川本隊にやられて討死…
しかし…どちらが優勢なのか、状況をキャッチした堀秀政がとった行動は…というと…スコスコと退散
私も堀秀政隊のように、スコスコと退散したのです…
私は…単にお腹が空いてただけのことだけど…
近くの喫茶店でランチ
そこで私が叫んだ言葉…
「お!!徳川ー!!」(お得だわー!)
お後がよろしいようで…