日進市にある
岩崎城の近くにある…
もう一つの城址
藤島城址に行く!!
岩崎城は、御覧のように
実に立派な復元模擬天守が建立??されているのに…
藤島城址は、見渡す限りの田畑のど真ん中に
城址を標す石碑が当時から茂っていたと思われる木1本と一緒に残っているのみ…
石碑の裏側には
沿革と藤島城の大きさなどが、消えかかった文字で刻まれている…
岩崎城主丹羽一族(分家)の居城で
1500年代半ば頃から丹羽氏清の従兄弟、丹羽氏秀が城主だったようで…
ここで起きた内部紛争…
丹羽氏秀は本家であるこの岩崎城を
丹羽氏清・氏識親子が城主である岩崎城を乗っ取ろうと計画…
そこでは、な、なんと当時18歳だった織田信長に援軍を頼み
丹羽氏秀とともに織田信長は、岩崎城に向かって進攻しますが、
この場所の近くの横山にて丹羽氏識らの鉄砲による奇襲を受け敗走!!(横山の戦い)
合戦後、丹羽氏秀は三河広見城の中条秀正のもとに逃亡
藤島城は岩崎丹羽氏の城となったとのこと
まあ、すぐそばに岩崎城もあったこともあってか…後に廃城となったようで
織田信長のことを綴る歴史書には、一切、この「横山の戦い」の記述はなく…『丹羽氏軍功録』という丹羽氏の軍の功績を称える書物には、そう書かれているようで、本当に信長が敗走したのか…あるいは、話を面白くするために盛ったのか…真相は闇の中…
でも、もし織田信長が参戦してたなら、信長は「無事(ぶじ)」だけど「しまった!」
「無事(ぶじ)」だけど「しまった!」
「無事(ぶじ)」「しまった」
「ふじ」「しまった」
「ふじしま…」った…
だから…「藤島(城)」…とは、きっと誰も口にしてなかったことでしょう???
ああ、もし横山の戦いに勝ってたら…
この地に模擬天守が建てられていたに違いない…
といった丹羽氏秀の声は、カエルの鳴き声に消されて…???聞こえては、きませんでした…苦笑