なかなかに難しいことです。書きたいことがそういつもいつもあるわけではありません。日常のちょっとしたことを発信すればいいのでしょうが、たかだた数行から十数行(しかも改行だらけ)の中身がスカスカなブログを書こうとは思いません。
ブログという発信手段は、こちら(書き手)の想いをできるだけ正確に読み手に伝えることができる手段だと思います。私は職業柄、同業者のブログをよく拝見するのですが、読んでいるとひきこまれるブログを書く方がおられる一方で、方針や考えがコロコロと変わる方もいます。
もちろん子供達を指導する中で、どうしても今のままでは難しいと感じることがあるのは事実です。私もこのままではいけないと何度も感じています。たとえば、私は塾指導において「小テスト」というものをほとんどしません(英単語テストはします)。それは「小テストをクリアすることが目的になる勉強は良くないから」という私自身の考えに依るところが大きいものです。
しかし、学校での授業が「知識授与型」の授業から「能動的な学び」を提供するものへと変化しています。これによって、本来「身につけさせられる」べき様々な基本的知識が欠落している生徒が激増しています。
たとえば「英単語」や「漢字の読み書き」はもちろんのこと「言葉の定義」や「人名・地名などの固有名詞」「語彙とその意味」など、「新しい事柄を思考していくための基礎的な知識」を時には「強制されてでも」身につけていく。私はこれが義務教育課程であり、子供時代にどれだけ豊かな基礎知識をつけたかでその後の人生が左右されるとも考えています。だから「小テストを導入した方がいいのか」と悩んでいる日々です。
どうやら教育現場はこの考え方を「知識偏重」として避けようとしています。だからこそ基礎的知識をきちんと身につけるという「泥臭い勉強」をするべきなのです。そろばんはこうした「泥臭い勉強」の入り口に最適なんです。努力が結果に正直であること。完全にアナログで自分で操作しない限り答えが出ないこと。などあげればキリがありませんが、そろばんで育った「泥臭い努力」が「泥臭い勉強」の支えになるのです。自分の普段(不断)の努力がそのまま結果に現れるんだということを、「小テスト」という手段を使わずに伝えるには?ともう少し悩もうと考えています。
というわけで、ブログを更新するときは、これくらいの想いがでてこないと難しいというお話でした。