東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

礼儀

2017-11-19 14:21:50 | 日記
 私はとても大切にしています。たとえばそろばんの授業は絶対に襟のあるカッターシャツに長ズボンです。

 私は奈良教育大学出身です。大学の裏手には付属小学校が併設されています。小学校の教育実習は基本的に付属小学校で行われますが、同級生の多くは体操服のような格好で教育実習に参加していました。
 私はこれが不思議で仕方なかったんです。その服装で登校する実習生も、その服装での登校を許す付属小学校側も。どちらもがおかしいと思っていたので、当時付属小学校の校長先生をしていた担当の教授(私の担当教授でもありました)に、この想いをぶつけてみました。
 「うん、その感覚はまともですね。ただ、小学生相手だと、登校途中でも児童たちはじゃれあってきます。そのときに服を汚されてしまうこともありえるので、学校側としては強くは言えないんですよ。でも君の感覚は至極まともだから大切にしなさい。」なんてお返事をいただきました。
 だから、私は卒業論文の発表時も、修士論文の発表時も、スーツにネクタイを締めて挑みました。でも大半の学生は白衣を着ていました。そこでも不思議は消えませんでした。
 私は自分の都合で大学院を中間修了(半期分留年した形です)したので、自身の修士論文の発表会はたった一人のものでした。そこでも同じようにスーツを着て、発表原稿を持たずに自分のしてきた研究を発表しました。そして、自分の発表・質疑応答を終えた後、逆に教授陣に質問しました。「先生方の前で発表するときに白衣は失礼にはあたりませんか? 先生方のお考えをお聞かせください」と。
 すると、当時の理科講座の重鎮の先生が一言「理系の発表は白衣でいいんじゃないの?」と。これが「学校の常識は社会の非常識」と考えるようになった決定的な出来事でした。

 人前に立つときに身なりをきちんとすることは私は当たり前だと思っています。そして言い換えれば「相手に不快感を与えない」ものであれば問題はないと思っています。
 そして「言葉遣い」もまた同様に考えています。子供たちを教え導く存在である私たち指導者は、居住まいはもちろんのこと、その言葉遣いまでもが子供たちに影響することを知っていねばなりません。

 私の耳にいやなことが入ってきました。確かにその学校のその学年は全体的にできはよくないですがね。「お前らこんなことも分からんの・死ねばいいねん」なんて言葉を子供たちの前で平気で吐いてしまう指導者がいるようです。そしてその塾に通うそろばんの卒業生から「こういうことを言う先生の授業を聞くのがすごく苦痛やねん」というSOSが来ました。

 え~と、礼儀以前の問題ですね。そして生徒にそんな苦痛を味わわせる指導者が「私たちの指導はこんなに素晴らしいんですよ。私たちのやり方でないとこんな風にだめになってしまいます!」なんてね。自分に都合のいい生徒だけを大切にし、自分のやり方に合わない生徒は切り捨てる。はあ~、この人たちの情熱はどちらを向いているのでしょうかね。

 私ですか? 一応身なりと言葉遣いについては考えていません。っていうか考える時点でそれは「着飾っている」状態ですよね。考える時点でそれは「よそ行き」だと思うんですよ。私の基本的な考え方は冒頭に書いております。日々粛々と「子供たちのためになることは何か?」と考えながら日々生徒と向き合っております。後は私の教室に通う生徒の保護者様にお聞きくださればご判断いただけると思います。

 また題名と大幅にずれる着地をしましたが、「礼儀すらわきまえることができない残念な指導者にお子様を預けるとろくなことにならない」と、無理やり題名に着地しなおしたところで、本日のご挨拶に代えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
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大学生を教えたときに考えたことと、今考えること

2017-11-15 08:05:05 | 日記
 むか~しむかし、私は奈良教育大学教育学研究科(いわゆる大学院ですね)に在籍していた頃~修了後4年間の合計5年、学部生の野外実習の授業で実地指導員をしていました。

 さて、この頃に学部生を指導していて感じたのは、高校時代までの学びの質の差が、大学での学びに大きく影響すると言うことでした。野外実習という授業は、ものすごく簡単にいうと、私たちの足元の土(表土)を剥がすと、その下はどのような地層になっているかを調べるというものです。目の前にある答えを、今まで学んだ知識を駆使しながら解き明かしていくという、自然科学の本質的な授業です。

 この授業では実際に野外を歩き、地層が出ている部分を自分で判断し、その地層が何でえきているのかを調べるのですが、まずこの時点で「お勉強しかしてこなかった学生」と、「お勉強もした学生」とで行動が大きく異なりました。お勉強しかしてこなかった学生は、地面を触ることが少ないんです。見た目で判断しようとします。それに対してお勉強もしてきた学生は、実際に触り、その周りも歩き回って他の手がかりがないかを探します。

 お勉強もしてきた学生とは「クラブ活動やボランティア活動、バイトなどをしてきた。または進学塾や予備校出身者ではない。または、小さい頃からの習い事(そろばん・習字・ピアノ・琴・ダンスもいましたね)を高校くらいまで続けてきた学生」のことです。

 とにかくお勉強しかしてこなかった学生は、型にはめ込もうとします。だから少しでも自分の理解の範疇を超えるとすぐに聞いてくるんですね。ところがお勉強以外も頑張った学生は、自分でなんとか解釈をひねり出そうとします。その答えが荒唐無稽なものであったとしても、その考えを聞いたこちら側は「ほお~」とうなるものがあったりします。

 でも、お勉強だけをしてきた学生は、そうした感動は全くありません。名門と言われる高校に進学し、在学中もお勉強に明け暮れた学生ほど、こちらの予想の範疇を超える答えを出すことはありませんでした。

 この差は何か。単純に「答えのない問題を考えた経験」の差だと思うんです。例えば先輩と後輩の関係。雇用主と被雇用者の関係。天災の被災者と実際に触れ合った経験。などなど、模範解答など存在しない問題に直面した経験の差だと思うんです。

 私はここ10年ほど、大学生を指導した経験はありません。教える側の講師として教室へ帰ってきてくれた教え子たちしか接点はありません。でも、自分の教え子であると言う点を割り引いても、私がかつて教えた学生に対して持っていた不満はほとんどありません。そしてこの事実が、学問はお勉強を追い求めることのみではないと私が考える原動力の一つでもあります。

 私はこれまで自分の生徒に、お勉強だけが・そろばんだけができる人間にはなって欲しくないと思いながら指導してきました。ご挨拶・礼儀・言葉遣い・姿勢・時の書き方・名前を丁寧に書くこと…。そんなお勉強以外の大事なことも当たり前にできるようになってほしいと思いながら、子供たちを指導しています。
 そして、こうした指導で子供たちの根底にあるものをより良きものにしてほしいと願いながら指導してきました。この部分がきちんとできるようになると、不思議と学力も上がりますし、なにより「自分の意見を表明できる」ようになってくることは、私の経験から断言できます。

 これから、高校・大学と学びを進めていく上で、自分で考えることのできる力は絶対に必要だと思います。そしてそのためにできることをこれからも考え続けていたいと思います。
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同じ課題でも、指導者によって

2017-11-13 15:46:25 | 日記
(スマホからなので、読みにくい点はご容赦ください。)

当たり前ですが、授業を受ける生徒たちの伸びは異なります。

たとえば、大阪府の公立高校入試において、国語では作文が出題されます。300字の分量は、他の問題を含めて50分という制限時間ではかなり骨のある問題です。

で、当然各塾(私も含めて)は、入試に向けての指導で作文の授業をするわけです。しかしながら作文の基礎的な授業を行わないまま、入試で書く作文の訓練をしている塾さんがあるんです。

で、この時期は他塾に通うそろばんの卒業生がよく訪ねてきます。そして、訪ねてくる他塾の生徒は例外なく、作文(記述式の問題を含みます)で不安になっています。

作文や記述式の問題を、入試前にいきなり指導して、簡単にできるようになるものではありません。こうした「自分の意見を外に向けて出す」ということは、一朝一夕にできるものではないんです。かなり上位層の生徒であっても作文がすらすらと書ける生徒は少ないのが現実です。

作文や記述式の指導は本当にしんどいものです。とにかく添削が大変なんですよ。そして、添削の際に生徒が書いた本意を壊さないようにしないと、あまりにも原型がなくなる添削は生徒の気持ちが削がれてしまうものです。

こうしたことを意識しながら、作文や記述式の問題は添削をしないといけません。

さて、各塾さんがいろいろと発信されています。こうした作文や記述式問題に早く開けようかから取り組んでいることを訴求する塾さんもありますが、そんな塾に限って、問題数をこなすことに重きをおいて、基礎をおざなりにしていたりします。

たとえば、「です、ます調」と「だ、である調」の違いを教えていないとか、「だめな記述」を指摘するのみで、「どう書けば良くなるか具体的な添削がない」とか、とにかくやっつけ仕事感が現れています。

そして、そんな塾さんに限って「私どもはこんな指導をしているんです(ドヤ顔!)」なんて発信しているから、始末に悪いったらありゃしないですよ。

まあ、お子様の記述式の答案の添削を見てください。指導者の力量がよく現れていますから。

私は、前述の添削する上での注意を意識しながら指導しております。
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秋の生徒募集のお知らせ~11月9日追記~

2017-11-09 15:52:30 | そろばんに関する中身
 現在、瓢箪山・石切両教場で秋の新入生(といっても入学は随時受け付けております)を募集しております。

★ 瓢箪山教場

 ※月・水・金コース

 年長さん・1年生(15:20~16:30のクラス限定)合計であと2名・2年生は定員です。3・4年生で合計4名程度。5年生以上は原則として募集を停止しております。
 年長さん・1年生であっても、体験授業の際に「ひらがな・カタカナの読み書きができる」「10までのたしざん・ひきざんができる」「こちらの指示をきちんと聞き実行できる」ことが確認できた場合は、16:20~17:30のクラスでもご入学いただけます。

 ※火・木コース

 2年生は定員です。3・4年生で合計2名程度。5年生以上は原則として募集停止です。
 年長さん・1年生は火・木コースでは原則として募集はしていませんが、体験授業の際に「ひらがな・カタカナの読み書きができる」「10までのたしざん・ひきざんができる」「こちらの指示をきちんと聞き実行できる」ことが確認できた場合はご入学いただけます。

 ■瓢箪山教場では、私立小学校に通学している場合はご入学をお断りしております。ご了承くださいませ。


★ 石切教場

 2年生~4年生で1名。5年生以上は原則として募集停止です。
 1年生・年長さんは、体験授業の際に「ひらがな・カタカナの読み書きができる」「10までのたしざん・ひきざんができる」「こちらの指示をきちんと聞き実行できる」ことが確認できた場合は、16:10~のクラスにご入学いただけますが、上記がまだであると当方が判断した場合は15:20~16:10のクラス限定でご入学いただけます。

 両教場とも、定員になり次第入学の受付を締め切らせていただきます。

追記
 瓢箪山教場の2年生は定員を超えてご入学をいただきました(同時にお申込をされたためです)。このため、2年生はご入学をご希望いただいた場合は、退学者がでるまでのキャンセル待ちとなります。
 また、1年生はあと1名でいったん締め切ります。その後、現在通学中の生徒が授業に慣れたと判断できてから次の方にご入学いただきますが、合計8名で締め切ります。ご希望の方はお早めにお申込ください。

 ~11月9日追記~

 瓢箪山教場の現在2年生につきましては、体験授業のお返事をお待ちしていた方からの辞退がありました。また多数のご希望を頂いていることから、火・木コースのみあと1名を追加いたします。
 月・水・金コースの現在2年生につきましては現状追加募集の予定はありません。

 他は変更はありませんが、11月末日を持ちましていったんご入学の受付を停止させて頂きます。一般募集は2月に再開の予定です。年内からそろばん学習をお考えの皆様にはお早目のお問い合わせをお願いいたします。
 
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井の中の蛙にはなりたくないので

2017-11-09 00:19:38 | 日記
 できるだけ多様な価値観に触れるように心がけています。私が一番怖いこと、それは「自分が正しいと子供たちに教えていること、自分が信じている価値観が世間一般には評価されないと」いう状態に自分がなっていることに気づかないことです。

 そんなことにならないようにするためには、様々な価値観を自分の中に落としこむこと。そしてその価値観が世間一般から頂く評価からずれていないかを確認することです。

 そんなわけで、先日とある先生にお時間を頂いてお話をさせていただきました

 その塾がこちらです。
 そしてその先生が書いておられるブログがこちらです。

 貴重なお時間を割いていただきお会いしたTetsu塾塾長の栗本先生は、お会いして数分でひきこまれてしまう魅力の持ち主でした。お話させて頂く中で、教育に対するまっすぐな価値観を、そしてお勉強を教えることに関して確固たる信念を感じました。指導に対する造詣も深いことがお話をすすめるうちに伝わってきました。

 教育に関する姿勢がまっすぐな方々とお話しすることは、自分にとってこの上ない幸せですし、自分の考える教育が間違いではないと背中を押して頂けたことにもまた、うれしさがこみ上げてきました。

 自分で教室を立ち上げて間もなく満17年を迎えようとしています。そしてこのこともすごいことですよと仰っていただきました。自分自身は迷いながら、そして子供たちに、また保護者の皆様方に、そろばんの諸先輩方に、様々な方々に助けて頂いてここまでくることができました。だから、この17年間は私の努力が0とは言いませんが、そのほとんどが支えていただいた皆様のおかげです。

 今回お話させていただき、その年数を素晴らしいと感じていただいたことで、改めて支えて頂いた皆様方のご恩を再確認しましたし、私を信じてついてきてくれた、そしてその進路で結果を出してくれた教え子たちにもまた感謝の気持ちがこみ上げてきました。

 これから、最後までお預かりすることに決めた生徒たちがいよいよ受験に立ち向かいます。その前に栗本先生にお会いできたことは私の財産になりました。本当にありがとうございました。かけていただいた言葉を無駄にすることのないように、生徒たちと共に気持ちも新たに進んで行こうと思います。

 このブログをお読みの皆様にはなかなか奈良県在住の方はいないかもしれませんが、もし何かのご縁でこのブログにたどり着いた方には、Tetsu塾を強くお勧めいたします。奈良で確かな教育を受けたい方なら通うべきですよTetsu塾。

 そろばんするなら関西珠算瓢箪山・石切教場ってことでよろしくお願いします(この流れで最後は自分の宣伝とは! う~ん恐るべし)
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