長男と言う 足かせで穴熊さんの生家に帰って以来 この時期の大型連休出かけることはありませんでした。
家の周りの お茶を摘んで 薄暗い土間の大きな釜で汗をかきつつ 上半身乗り出して 右腕には やけどの筋を作っていました。
集落の主婦は大抵 そうでした。
一年分の自家用のお茶を確保するのも大事な女の仕事でした。
しかし時代の流れ 今はお茶を摘んでも 委託加工をしたり 買って済ませることが多くなりました。

我が家のお茶の木も 品種がばらばらで 綺麗な新芽の所や もう開いた葉があったりして 剪定はするものの摘むことは ここ何年ありません。
昨日は いい天気 畑のえんどう豆を収穫に出て 何気なくお茶を見てみると
美しい新芽を出しています。
思わず 手にした籠に 新芽を摘んで 入れていました。
一芯二葉とまではいきませんが 茶摘です。
この 籠一杯のわずかなお茶 どうするか ことを始めて考えるのは私の悪い癖です。
摘んだお茶は一気に まず「しんなり」させなければなりません
「しんなり」「しんなり」が頭をめぐります。
工場ではまず蒸気で蒸すのですが 我が家でしていた釜炒りは 釜を熱くしておき
一気に 青々のお茶をいれ 手早く蒸し炒め状態で しんなりさせていました。
理屈はとにかく しんなりさせればいい 「あ レンジがある」
ひらめきました。

少しづづ レンジにいれ 二秒。
熱いものを 平たいざるの上でもみます。
次々と レンジで チンしたものを加えて 最初の工程無事終了。
次は 土鍋にするか 無水鍋にするか 結局無水鍋を出して ガスコンロへ乗せ
一番小さい火にして 炒ります。
火はつけたり 消したり。

熱くなれば 出してもみます。
九時頃から初めて お昼までで 一休み。お茶らしくなりました。
午後プールから帰って 最終段階 ゆっり気長に混ぜます。
大きな釜で作っていた頃の感覚が戻ってきました。
機械で揉んで作る 煎茶と違って 手で揉む 釜炒り茶ですから 太めです。

出来上がりです。
冷ややかな目で見ていた穴熊さんに 早速自家用の「穴熊茶」 煎れて出しました。
「土間の 釜 使えるように 準備するか」と一言。
すぐ 私が否定したのは 言うまでもありません。
デジカメでは 煎れたお茶の色が 綺麗に出てないのが 残念ですが
色も香りも 満足の出来でした。
スーパーの籠一杯くらの生茶で 二百グラムを越す量の出来上がりでしたが なんだか得した気分 そして満足な一日でした。
家の周りの お茶を摘んで 薄暗い土間の大きな釜で汗をかきつつ 上半身乗り出して 右腕には やけどの筋を作っていました。
集落の主婦は大抵 そうでした。
一年分の自家用のお茶を確保するのも大事な女の仕事でした。
しかし時代の流れ 今はお茶を摘んでも 委託加工をしたり 買って済ませることが多くなりました。

我が家のお茶の木も 品種がばらばらで 綺麗な新芽の所や もう開いた葉があったりして 剪定はするものの摘むことは ここ何年ありません。
昨日は いい天気 畑のえんどう豆を収穫に出て 何気なくお茶を見てみると
美しい新芽を出しています。
思わず 手にした籠に 新芽を摘んで 入れていました。
一芯二葉とまではいきませんが 茶摘です。
この 籠一杯のわずかなお茶 どうするか ことを始めて考えるのは私の悪い癖です。
摘んだお茶は一気に まず「しんなり」させなければなりません
「しんなり」「しんなり」が頭をめぐります。
工場ではまず蒸気で蒸すのですが 我が家でしていた釜炒りは 釜を熱くしておき
一気に 青々のお茶をいれ 手早く蒸し炒め状態で しんなりさせていました。
理屈はとにかく しんなりさせればいい 「あ レンジがある」
ひらめきました。

少しづづ レンジにいれ 二秒。
熱いものを 平たいざるの上でもみます。
次々と レンジで チンしたものを加えて 最初の工程無事終了。
次は 土鍋にするか 無水鍋にするか 結局無水鍋を出して ガスコンロへ乗せ
一番小さい火にして 炒ります。
火はつけたり 消したり。

熱くなれば 出してもみます。
九時頃から初めて お昼までで 一休み。お茶らしくなりました。
午後プールから帰って 最終段階 ゆっり気長に混ぜます。
大きな釜で作っていた頃の感覚が戻ってきました。
機械で揉んで作る 煎茶と違って 手で揉む 釜炒り茶ですから 太めです。

出来上がりです。
冷ややかな目で見ていた穴熊さんに 早速自家用の「穴熊茶」 煎れて出しました。
「土間の 釜 使えるように 準備するか」と一言。
すぐ 私が否定したのは 言うまでもありません。
デジカメでは 煎れたお茶の色が 綺麗に出てないのが 残念ですが
色も香りも 満足の出来でした。
スーパーの籠一杯くらの生茶で 二百グラムを越す量の出来上がりでしたが なんだか得した気分 そして満足な一日でした。