敗戦直後の 混乱期小学生でしたが いつも空腹だった記憶が 残っています。
主食のお米はわずかな量が配給でした。 箪笥の着物を唐草模様の風呂敷に包み 農村へ食料と交換に 母が出かけていました。
しばらくすると 農村の人が米を 持って 売りに回ってきていました。 ヤミ米です。
台所に広げると 一升枡に米を入れ 麺棒を枡の淵で転がし ぴったりの 一升を計っていたのを 今でも覚えています。
野次馬の 私は いつも親と 膝を並べて 見ていた記憶があります。母は 「トカゲを引く」と言っていましたが どんな語源だったのか 今はもう聞かない言葉です。
そんなわずかな米には 麦やサツマイモが 混ぜられ 育ち盛りの子供達の 空腹を満たしていました。
田舎に住んでいると 一升枡は欠かせません。 私の一升枡は私の代で 購入したものですから 横に 1.8リットルの 表示があります。 反対側には 私の名前が油性ペンで 書いてあります。
スーパーなどで 豆類を一升枡に コレでもかと 山盛りにして デモンストレーション 販売していることがありますが なんだかお得な 感じがするから不思議です。
テストの悪い成績を母に見せると 「一升枡には一升しかはいらないからね。」とつぶやいていましたが あの頃には山盛り なんて無い時代でした。
大人になっても 煮物の 醤油も砂糖も 計らず いい加減に 回し入れしている私 毎回違う味になるのも仕方ありません。
残りの人生どれくらいで 枡が一杯になるのか 知る由もありませんが これからが 楽しみです。