学生の頃、映画「ウンタマギルー」に出てきた、沖縄言葉と本土言葉と英語を交えて三線を弾いて、奇妙な歌を歌う床屋(バーバーテルリン)を演じていた「てるりん」こと照屋林助氏が強烈な印象だった。何しろこの人面白い、変ってる、バイタリティがある、いろんな沖縄の背景を体現している、ということで魅力的だった。こんな人物を輩出する沖縄って凄いなと思った。そのてるりんの自宅兼スタジオが、普通に観光ガイド雑誌に載っている。コザの町だ。「ウンタマギルー」の影響で沖縄を訪れた。
映画の中でパスティシュに混ぜこまれていた黒糖、山羊、豚、聖なる森(うたき)、アメリカ兵などが普通に目に入る。ああ、凄い。「ウンタマギルー」は作りはシュールだが素材は本物だ、魔術的リアリズムだと妙に感心した。ウンタマギルーふうのゴムのカツラをかぶって、海辺で写真を撮った。特に気に入ったのが、竹富島だ。景観保存指定地区だけあって村落も海も美しい。私にとって天国に一番近い島は竹富島だ。現地に行って知ったのは種取り祭という民俗芸能満載の祭りを毎年秋に執り行っているという。これは行かなくてはと思い翌年だったか種取り祭を見に行った。芸能や祭祀の起源を思わせる祭りだった。普段は土産物を売っていたりするおばさんが、実は神司という偉い神職だったりする。
最初に竹富島に行った帰りにてるりんの自宅兼スタジオを訪れた。幸いてるりんさんがいて、客は二人しかいないのにライブをやってくれるというのだ。すっかり感激して、その日のジェット機をキャンセルして心行くまでライブを楽しませてもらった。これが、今はCD化されているが、民俗学や国文学の含蓄に富んだ漫談とオリジナル曲で、その造詣の深さに心打たれた。ライブスタジオからは書庫も垣間見え、折口信夫や伊波普猷の本がぎっしり詰まっていた。
てるりんは、ポリカインという水虫の薬の宣伝で本土でも多少有名だったが、会ってみるとまさに笑いの巨人である。自らワタブーショーというその芸は、沖縄で一世風靡した後、不遇だったころ竹富島の民謡などを懸命に採取して磨きを掛けたものだ。それから沖縄の国際大学の国文科で先生が説明しててるりんが歌うという貴重な経験を積んだ蓄積もある。そうしたすべてのものが、その時のワタブーショーには結晶していた。思えば映画「ウンタマギルー」と照屋林助氏からは多くのものを与えられた。てるりんこそ、亜熱帯にふさわしい七福神の一人ではないかと私は思う。
ヨーロッパの哲学史の難問に主体は客体を正確に捉えているかという問いがある。けれども、フッサールはこの問いは不毛で答えが出ないからやめようと言った。そのかわり、ノエシス(能動的意識)とノエマ(受動的意識)に主観を分けて、物事がどのように意識に現われてくるのか、その瞬間を先入観なしに記述しようとフッサールは提唱した。フッサールはこれを厳密学として諸学の基礎に位置づけようとした。だが、フッサールの唱えた現象学はその後数々の個性的な学者たちによって盛んに応用された。
まず、「先入観なしに」というのが魅力的だった。既成の知識に頼ることなしに、原点に返って、意識に物事が立ち現われてくる瞬間を記述する。それまで精神分析の方法論で詩人のイメージを分析していたバシュラールが、詩人の意識にイメージが初めて立ち現われるその瞬間を追体験してそれを記述しようと提唱した。「夢想の詩学」と「空間の詩学」でバシュラールはこれを実践した。また原住民の眼に人類学者がどのように立ち現われてくるのか先入観なしに記述しようと言った小川ただし氏の「現象学と文化人類学」もある。
現象学は他者の意識をいかにして知るかを課題とした。そこで各分野の人々が、たとえば歴史家ヴァン・デン・ベルグが「ルネッサンスの解剖図には画面正面を見ている解剖医が描かれているのに対し、中世の解剖図は解剖医が申し訳なさそうに死者の顔を見ている、こうした違いから、解剖が歴史の中で意識にどう立ち現われてきたのかを先入観なしに知ることができる」と考えた。現象学はフッサールばかり読んでいても普通の人は近寄りがたい。むしろ先入観なしに他者の意識に物事がどう現れるかに具体的な分野で取り組んだ人々の著作が、スリリングである。
たとえば、精神異常の人にカメラを持たせたら、彼らの意識の一端が窺えるのではないか、とか、犬がどのような目線で物事を見ているのかとか、宇宙飛行士にどのような意識の変化があるか、赤ん坊の世界はどう開けてくるかなど、現代日本の大多数の大人よりちょっとずれた存在者の意識を先入観なしに知ることができたら、多くの人にとって何よりの朗報ではないか。このような視点は「周縁の現象学」の糸口になり得ると私は思う。意識の果てを見てみたい、というとジョン・C・リリーに近くなってくる。「周縁の現象学」のその先は、アルタード・ステイツ(変性意識)の現象学なのだ。