最近、フォークソングやカントリーやゴスペルなどを含めてルーツミュージックという言葉がよく使われる。ボブ・マーリーはレゲエをルーツロックの一つだという。これを学問の世界にあてはめてみたらどうだろう。最近友人に、今気に入っている研究者はいるかどうか聞かれて迷った。何か流行りの人は除外しよう。ではどんな学者が好きなのか。白川静、梅原猛、五来重である。
白川静さんの、漢字の象形文字の本来の意味を説明する面白さは、格別である。老人ながら私と同じで呪術やシャーマニズムが好きなところも肌に合う。文化の呪術的起源を探る。ずばり狙いはそこだ。「字解」や「字訓」では多くのことを気づかされた。漢字だけでなくやまとことばの元来の意味にまで踏み込んでいて、魅惑的だ。土橋寛氏の「日本語に探る古代信仰」を読んでこういうことをさらに知りたいと思ったことがあるが、その願いは「字訓」で満たされた。
それから梅原猛さんも、縄文文化とアイヌ文化などに日本の原郷を見て、そこから日本人の信仰を大局的に腑分けしてゆく、多少力技だが貴重な学者さんである。さらに私は宗教民俗学の五来重さんの、民間信仰を起点に日本の信仰の豊饒さを語る著作に魅かれ続けている。エリートの仏教の世界とは違った山伏や聖や無名の人々の民間信仰こそ日本人の精神の核心なのだと言い切る五来重さんは卓見の人物である。
これらの雑多な信仰を純粋ではないとして禅者の秋月龍氏は嫌うが、仏陀になる純粋な道だけを認めるとなると民俗の豊かさを切り捨てることになる。ちなみにそのような潔癖な禅者秋月龍氏のひたむきさも、それはそれで好きである。
このように、自分の好きな学者たちを並べてみると、まさに一人一人がルーツ学の道を歩む人々であることがわかる。私が学生時代、ディオニュソスの研究に時間を費やしたのも、文化の上部構造ではなく、より古層へと向かおうとする傾向の結果だった。ルーツミュージックやルーツロックがあるように、学問にもルーツ学とでもいうべき流れがあり、どうしても私はそちらのほうに魅かれてしまう性質らしい。青山陽一さんの「キング・オブ・ダイヴィング」という歌の歌詞に、「やるならハードダイヴィング、そう言うなって」という一節があるが、私の好みの傾向は、やはりハードダイヴィングである。