超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

鎌倉殿たちのアウトロー政権

2022-01-24 06:10:40 | 無題
王様文庫の「吾妻鏡」ー鎌倉幕府の公式レポートを読んでいる。
平清盛が頼朝の命を助命して後で後悔する話辺りから始まっていて、
話に入り易い。
清盛の治世は朝廷の威を借りて、西国武士には手厚かったが、
東国武士には不満が募っていたのが、源平合戦の火種らしい。
源氏が勝ったり、平家が勝ったりを繰り返し、
頼朝らが挙兵して、木曽義仲も平家に迫り、旭将軍と言われたが、
入京しても家臣は略奪を繰り返して三日天下に終わる。
源氏は戦の天才義経らの武功で壇ノ浦で平家を滅ぼすが、義経は、無断で
官位を受けたりして、頼朝の恨みを買い、奥州に逃げるが、
奥州藤原氏もろとも頼朝に消されてしまう。
頼朝は兄弟でさえも、ライバルを討伐して、ついに征夷大将軍の位を得て、
1192年、鎌倉幕府を開く。
頼朝は、朝廷と距離を置き、地頭を各地に配して地代を取り立て、
鎌倉殿の御恩=土地の分与に対して奉公=兵役・上納・忠誠で答える
という江戸時代まで続く武家政権の御恩と奉公の封建制度の礎を築く。
頼朝は、謎の落馬か何かで早逝し、妻の尼将軍北条政子と、北条時政が
実権を握る。北条氏を中心に東国の有力武士13人が合議制で、
鎌倉殿の体制を支えることとなる。のちの評定衆の原型。
承久の乱で後鳥羽上皇が時政の子・北条義時に敗れ、
三上皇が配流されて、西国まで幕府の勢力が及んだ。
合議制の13人に入った人々は、北条氏の策謀で次々と没落し、あるいは消される。
頼朝の一族は三代で途絶え、北条氏が執権として幕府を取り仕切る体制が確立する。
この王様文庫の「吾妻鏡」は大河ドラマのよきガイド本として
ベストセラーになっているらしい。

容赦ない鎌倉方の剛腕が武家政権のお手本となる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする