3月12日
風邪で休んでいる時、小説を三冊読んだ。
感銘深かったわけではないので、記載するのは止めようかと思ったが、せっかくだから書いておこう(笑)
▲ 「アナログ」 ビートたけし著 新潮社 1200円 2017.9
NHKラジオに「著者からの手紙」という番組が日曜日の早朝にある。2月の志賀高原からの帰り、たけしがこの本について語っているのを偶然聴いた。たけしの初めての小説で、「火花」の又吉なんかに負けるかというつもりで書いたとか。
「互いに惹かれあいながらも、電話番号やメールアドレスなどを知らせず、素性を明かさないまま関係を育んでいく男女を描いた恋愛小説」 (NHK)
スマホで「会いたい」「会おう」とデジタル的にぽんぽん進捗する恋愛ではなくて、「なぜ逢えなかったのだろうか・・」ともんもんする「君の名は」風のアナログ的恋愛にこそ恋愛の極致があるのではと、たけしは思っているようだ。
この小説テーマの捉え方は魅力的で、良し。しかし、小説での純愛展開は・・ちと陳腐。あまりにも平凡で、全く感心しなかった。偲ぶ、忍ぶがゆえにもっと深まった恋愛みたいなものを描いて欲しかったが。まあタケシには無理だろうな。
▲ 「おら おらでひとりいぐも」 若竹千佐子著 河出書房新社 1200円 2017.11
ご存知、前回の芥川賞受賞作だ。タイトルの意味は「私は私一人で逝きます」ということらしい。作者は岩手遠野出身の63歳。内容は、74歳一人で都市近郊に暮らす桃子さん、夫を早くになくしている。「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」 回帰するのは東北弁に。「捨てた故郷、疎遠な息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いた、圧倒的自由と賑やかな孤独とは・・」(本のカバーキャッチ)
家内がこの本を読みたいというので、買ってきておいたのだが、今回自分でも読んでみた。
主人公の独白が殆ど。全く、面白くない。ちなみに読者の評価を読んでみた(通常は他の人の感想など読まないが)。好き嫌い二分されているようだ。これ以上説明する気も起きず、アマゾンで、どーぞ。
▲ 「九十八歳になった私」 橋本治 著 講談社 1600円 2018.1
68歳の著者が、30年後の近未来の自分を想像して描くフイクション。人生100年とかの謳い文句に乗せて、こんなテーマを依頼する文芸誌編集者の意図があざとい。またそれに乗せられて買いはしなかったが、図書館からすぐ借りてくる自分も安易だ(笑)。98歳になった著者が、退屈な日常を持て余し脈絡のないことを、ふらふらと書いている設定だ。「おらおら」の男性独白版だ。これもストーリー展開がなくて、ユーモアを交えて(ということになっているが)延々と独白が続く。短気老人のボクにとっては、「おらおら」同様に、イラついて読むのが苦痛であった。アマゾン書評。
今回は期せずして、三冊とも高齢者の書いた新刊本になってしまった。「おらおら」の帯カバーには、「青春小説の対極、玄冬(げんとう)小説の誕生! ※玄冬小説とは・・・歳をとるのも悪くない、と思える小説のこと」 と説明までつけて玄冬小説を喧伝している。
一般的に言って、歳をとれば創作意欲は枯渇していくだろう。いつまでも自己体験をベースに恋の歌を謳っているわけにはいかない。そのため玄冬小説にテーマが移っていくのだろうが、どこまで膨らませて書けるのだろうか・・
「おらおら」と「九十八歳」は全く面白くないとは言ったが、同世代のテーマをまともに見据えて、何かを書こうとするスタンスはエライ、偉いと思うよ。
風邪で休んでいる時、小説を三冊読んだ。
感銘深かったわけではないので、記載するのは止めようかと思ったが、せっかくだから書いておこう(笑)
▲ 「アナログ」 ビートたけし著 新潮社 1200円 2017.9
NHKラジオに「著者からの手紙」という番組が日曜日の早朝にある。2月の志賀高原からの帰り、たけしがこの本について語っているのを偶然聴いた。たけしの初めての小説で、「火花」の又吉なんかに負けるかというつもりで書いたとか。
「互いに惹かれあいながらも、電話番号やメールアドレスなどを知らせず、素性を明かさないまま関係を育んでいく男女を描いた恋愛小説」 (NHK)
スマホで「会いたい」「会おう」とデジタル的にぽんぽん進捗する恋愛ではなくて、「なぜ逢えなかったのだろうか・・」ともんもんする「君の名は」風のアナログ的恋愛にこそ恋愛の極致があるのではと、たけしは思っているようだ。
この小説テーマの捉え方は魅力的で、良し。しかし、小説での純愛展開は・・ちと陳腐。あまりにも平凡で、全く感心しなかった。偲ぶ、忍ぶがゆえにもっと深まった恋愛みたいなものを描いて欲しかったが。まあタケシには無理だろうな。
▲ 「おら おらでひとりいぐも」 若竹千佐子著 河出書房新社 1200円 2017.11
ご存知、前回の芥川賞受賞作だ。タイトルの意味は「私は私一人で逝きます」ということらしい。作者は岩手遠野出身の63歳。内容は、74歳一人で都市近郊に暮らす桃子さん、夫を早くになくしている。「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」 回帰するのは東北弁に。「捨てた故郷、疎遠な息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いた、圧倒的自由と賑やかな孤独とは・・」(本のカバーキャッチ)
家内がこの本を読みたいというので、買ってきておいたのだが、今回自分でも読んでみた。
主人公の独白が殆ど。全く、面白くない。ちなみに読者の評価を読んでみた(通常は他の人の感想など読まないが)。好き嫌い二分されているようだ。これ以上説明する気も起きず、アマゾンで、どーぞ。
▲ 「九十八歳になった私」 橋本治 著 講談社 1600円 2018.1
68歳の著者が、30年後の近未来の自分を想像して描くフイクション。人生100年とかの謳い文句に乗せて、こんなテーマを依頼する文芸誌編集者の意図があざとい。またそれに乗せられて買いはしなかったが、図書館からすぐ借りてくる自分も安易だ(笑)。98歳になった著者が、退屈な日常を持て余し脈絡のないことを、ふらふらと書いている設定だ。「おらおら」の男性独白版だ。これもストーリー展開がなくて、ユーモアを交えて(ということになっているが)延々と独白が続く。短気老人のボクにとっては、「おらおら」同様に、イラついて読むのが苦痛であった。アマゾン書評。
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今回は期せずして、三冊とも高齢者の書いた新刊本になってしまった。「おらおら」の帯カバーには、「青春小説の対極、玄冬(げんとう)小説の誕生! ※玄冬小説とは・・・歳をとるのも悪くない、と思える小説のこと」 と説明までつけて玄冬小説を喧伝している。
一般的に言って、歳をとれば創作意欲は枯渇していくだろう。いつまでも自己体験をベースに恋の歌を謳っているわけにはいかない。そのため玄冬小説にテーマが移っていくのだろうが、どこまで膨らませて書けるのだろうか・・
「おらおら」と「九十八歳」は全く面白くないとは言ったが、同世代のテーマをまともに見据えて、何かを書こうとするスタンスはエライ、偉いと思うよ。