こころの染織

ひと針ひと針心を繕います。
第8章・・月あかりの散歩道・・・私とルナと一緒に月に想いを馳せて散歩しませんか~♪

東日本大震災・・・12年

2023-03-11 13:02:25 | 東日本大震災

 

アメリカン・ブルーです。

 

今日で、あの日から12年・・・

2011年 3月11日 14時46分18.1秒時
その瞬間から干支が一回りするほどの年月を経ました。
今も、あの日、あの時間、あの場所は、
記憶から消えることはありません。

今朝、公園でラジオ体操に集まった人達が、
体操終了後に、海の方へ向かって、
黙祷を捧げている姿を目にしました。

 

 

昨日、ルナをトリミングサロンに預け・・・
井戸浜、藤塚を眺めながら、
そこから用事を足しに名取方向へ向かいました。

車の中から撮った風景ですが、
津波の大きな被害を受けた場所です。

 

 

向かって右側に見えるのはアクアイグニス仙台

震災で防災集団移転促進事業による集団移転跡地となった藤塚地区
再び人々が集える空間をつくることをめざし、
食・農・温泉の複合施設として誕生しました。

私も気に入って時々訪れています。

 

 

仙台市東部地区には、もう、住宅はありません。
新しい施設、道路や電柱、農業ハウス
そして、避難の丘

墓地だったところには、
倒れたり流されたり・・・
今も墓石が積まれたままです。

 

閖上大橋から見る名取川、その向こうは太平洋

 

 

「かわまちてらす閖上」が見えてきました。

 

前回訪れた時には無かった植林が行われ、
河川敷に新たな公園スペースを作っているようです。

 

当時、私が住んでいたのが仙台市の最南端で、
そこから車で数分も走らず、
名取市閖上地区に辿り着く場所でした。
小さかった息子には水辺でカニ釣りをさせたり、
夫は船釣りを楽しんだり、
ルナの浜辺の散歩にも・・・
中学生の息子たちは閖上の花火を見に、
自転車で出かけて行くくらいの距離でした。
自然を楽しめる良い遊び場になっていたのです。

 

あの日・・・町全体がどこかへ消えて・・・
灯りも無く、半年ほど、
ここへは踏み入ることが出来ませんでした。

 

 

今は、復興、整備が進み、
新しい道路が通り、商業施設が立ち並んで、
生まれ変わったような景色に見えています。

でも・・・
そこが故郷だった方にとっては、
ここは生まれ変わって「別の景色」になったのだろうと・・・
時々、そのことが気になって仕方がありません。

あの角を曲がって・・・
その「あの角」がどこかへ行ってしまいました。。。

 

 

とは言え・・・
あの年も梅も桜も菜の花も咲きました。

いつもは観光客であふれる福島県の花見山公園
殆ど人がいない中を歩いたものです。

 

今日、私のブログのカテゴリー/東日本大震災
そこを振り返って読み返しました。
毎年、この日にやっていることですが、
多くのブロ友さん達に毎日毎日、
励まされている自分に涙が流れました。

ブログを始めてから毎日更新して、
コメントには必ず返事を書く・・・それが私のモットーでした。
それが出来なくなって、
それでも、私を気遣ってくださる皆様が、
日に何度もコメントを下さったり、
「初めまして」で書き込んでくださったり・・・
外国からも声をかけていただきました。
福島で過ごした2週間ほどを支えてもらいましたね~

そして、ある日・・・
「もう笑おうよ~~(*´▽`*)」
みちみちさんがそう言って・・・
とっておきのおかしな話をしてくれて、
久しぶりに大きな声で笑って、使っていなかった腹筋がよじれて、
それはもう大変でした。


 

本当に怖いときは涙も出ません。
でも、「笑おうよ!!」の一言は、
新たな涙で気持ちを立て直せるものです。

12年の年月・・・

私も誰かのために、
アナタのために、
「笑おうよ!!」
そう言えるように今日の日を綴っておきます。

 

 

コメント (12)
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