みなさま、お元気でしょうか?
バンドの歴史シリーズを続けたいと思います。
前回、立川の音楽居酒屋、農家を、うちのバンドのホームグラウンドにした経緯について書く、と予告しましたが。
実はそれは、そんなに単純で、簡単なものではなく・・・
いろいろと、紆余曲折があったのです。
その前に、うちのバンドと路上ライブについて説明しておきましょう。
うちのバンドは、1996年くらいに結成されました。
そのあたりの経緯は、このシリーズのバンドの歴史5(路上でバンド結成)に書いてあります。
そして、池袋の西口、芸術劇場の前の広場で、路上ライブをやっていました。
当時は、路上ライブに対する世間のとらえ方は、まだ寛容でして。
というか、池袋では、おいらたちくらいしか、やってなくて、うちのバンドはその意味では先駆者でもあったのですわ。
もちろん、路上出身の「ゆず」とかのバンドが、出てきたのもこの頃です。
なので、だんだんと、路上で演奏する人たちが増えてきて、活気も出てきたんです。
場所が良かった、というのもあるでしょうが、この時代、ほとんど苦情を言われることはありませんでした。
警察の方が何度も目の前を通ったけど、チラ見する程度で、見逃していてくれました。
それよりも、スケボーで遊んでいる人たちを注意している感じでしたな。
ところが、うちのバンドが10年くらいの休眠時代を過ごして、再結成されるまでの間に。
路上ライブに対する世間の反応は、完全に変わってしまっていたのです・・・
くわしいことは不明なのですが、おいらたち路上ライブ関係者の間では、
2000年代の初頭に、川崎駅前で、路上バンド同士の場所の取り合いから、ケンカになって、
けが人が出て大騒ぎになる事件があった、と言われています。
たぶん、その件だけじゃなくて、全国のいろんな場所で、路上ライブをやっている人たちが、いさかいを起こしたんでしょうね・・・
路上ライブに対して、ものすごーく不寛容な時代が来てしまっていたのですよ。
おいらたちは、立川北口駅前のコンコースの目立つところで演奏すると、すぐに警察の人に止められるので。
駅からかなり離れている、しかも付近に民家がない場所で演奏していました。
この場所ですね。
まだIKEAができる前だったので、人通りはまばらでしたけども、常連客のお婆さんがいたりして、とても楽しく演奏させてもらってました。
当時、この場所での演奏の映像を、懐かしいので入れておきます(笑)
One of us アップルビデオ高津店 2013 路上
うわあ、みんな、若い・・・
んで、忘れもしない10何年前の夏の日、こんなふうに演奏しているおいらたちに、見知らぬおじさんが話しかけてきまして。
そこのマンションに住んでいるから、迷惑なんで、演奏をやめてほしい。
と言われたんです。
そこのマンション、と言われても、それはけっこう離れているマンションでして、
え、そんなところまで、聞こえているんだ、と思って、すぐに謝って、場所を移したんです。
そのマンションからさらに離れて、向きも変えてそのマンションに聞こえないように、演奏したつもりなんですが。
どうやら、110番通報されたらしいのですな。
警察官が2人来まして、
「今すぐ演奏をやめなさい」
「この書類にサインしなさい」
と言われたんですわ。
これ、けっこうびっくりする案件でして、おいらたちはこれまで、路上ライブをやっていて、
「ここでは演奏をやめてください。」
と言われたことは何度もあったんですが、
その度に、すぐに謝って演奏をやめて、場所を変えたら、それ以上のことはありませんでした。
この時のように、
「もう2度と騒音は出しません」
というような内容の書類に、サインさせられたことはなかったのです。
度重なる勧告に従わなかった、よほど悪質だ、と思われたようなんですね。
いや、そのおじさんに注意されて、場所を移したけど、それだけじゃダメだったってこと・・・?
というか、警察の方は、だいたい、
「いや、苦情がきちゃってるんだよ、これぐらいの音量だとそんなに気にならないはずだけど、申し訳ないけど、やめてください」
みたいな言い方をする人がほとんどです。
なので、おいらたちは、そういうときは、すぐに謝って、場所を移して、
もっと迷惑にならないだろう場所へと、どんどん避難していったわけですね。
だから、立川の駅前からかなり離れた場所で演奏するようになっていたわけです。
なるべく誰にも迷惑にならないようにしよう、というのがうちのバンドの鉄則でしたから。
もちろん、路上ライブは厳密にいえば「違法と言えば違法」ですからね、堂々とできることではありませんし。
そこらあたりのことは、ネット上のいろんなところで議論になっていて、法律家の方などが語っておられます。
そうやって移動に移動を重ねた先でも、こうなっちゃったわけですから、これはもう、本当に、
立川で路上ライブをするのは無理だな
と感じたんですわ。
というか、もう、
路上ライブそのものができない
と思わざるをえなかったのです。
それくらい、その当時(2010年代)の日本は、路上ライブに対して不寛容な時代だったのですなあ。
そう考えると、今は、だいぶ、路上ライブが冷たい目で見られなくなっているような気もしますね。
いやあ、ありがたいことです(滂沱の涙)
その時のVROOOMは荒れてましたなあ(遠い目)
いつもはあんまり感情的になることがない男なんですが、その時には抑えるのに苦労しましたわ。
店長がうちのバンドの責任者なんで、彼が書類にサインしてくれることになって、なんとかその場は収まりました。
店長は警察の方が差し出す書類に「どうもすいませんでした」と言いながらサインを始めました。
おいらは、その間に、もう1人の警察の方と話をしました。
荒れているVROOOMを見ながら、その警察の方は、
「今日はおとなしく引き下がった方がいいよ、その人(通報してきた人)たぶん、ここを遠くから見てるよ」
「え??」と驚いたおいらに、
「こういうことって、よくあるんだよ、通報してきた人がお客の中に混じって、
私たち(警察官)とバンドのやり取りを、最後まで見ていることが多いよ」
とおいらにボソッと、耳打ちしてくれました。
そうか、どうしても路上ライブをやめさせたい人がいるんだなあ・・・
その時、おいらは路上ライブに対する世間の冷たさを実感することができたのです。
もちろん、何度も言いますが、路上ライブを騒音だと思う人がいるのは十分理解できます。
バンド側も「申し訳ない、なるべく迷惑にならないようにしよう」と考え続けることがマナーだと思ってます。
でも、誰にも、絶対に、迷惑にならないようにする、ということも、不可能に近いわけで・・・
路上ライブのためのバンドが、路上ライブをできなくなる。
この事態に直面した時に、はじめて、おいらはライブハウスに出演することを考えるようになったのです。
以下次号じゃ。