荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-19/長沢の坊主狸

2017年12月07日 | 散文

生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


19.長沢の坊主狸
むかし、長沢の素鵞神社(須賀神社)の森に一匹のいたずらものの狸がいました。


この狸は通りかかった人を男女の別なく丸坊主にしてしまうという狸で今治城下の侍を初め近くの娘達は何十人となく丸坊主にされました。
そんなことで日がくれると人通りがぴたりと止まってしまいました。


村の磯兵衛は物好きで、勇気のある男でしたが「何の狸ごときにやられてなるものか、よしよし今夜はこの俺が退治してやるぞ」と、日の暮れかかった頃から狸の住むという森に出かけ、岩の上に腰をおろして狸の現れるのを今か今かと待っていました。


すると神社の側の大木のもとに一匹の狸が姿をみせ、やがてその狸は美しい娘に姿を変えて風呂敷包みをかかえて歩き始めました。


「この狸今に化けの皮をはいでやるぞ」と、娘の後をつけました。しばらくするとその娘は村一番の金持ちの家の玄関に着き、「お父さん只今帰りました」と声をかけると家の中から主人らしき人が現れて、「よく帰った」とにこにこ顔で迎えています。


磯兵衛はこれをみて、「この狸うまいことやるわい、ここらで化けの皮をはいでやるぞ」と、大声で「これこれ旦那今家に入ったのは娘ではない素鵞神社の森の坊主狸じゃ、このわしがこの目で化けるのを見て後をつけて来たのだ、悪いことは言わん、早ようにたたき出しなさい。」と言いました。


主人はこれを聞いて「磯兵衛とんでもないことを言うな嫁入り前のうちの娘を狸よばわりして不都合千万な奴許すでないぞ、そこに座れ。」と言うのです。


磯兵衛が詳しく説明したが怒って聞いてくれなくい。
その問答の最中に村のお寺の和尚さんが玄関に訪れ、「どうしたと言うのかい拙僧が仲裁する。よくお聞き磯さんよ、よその大切な娘を狸だなんてそれは磯さんの方が失言だ。


あんたもお詫びのしるしに私の弟子になりなさい。それで旦那許してやりなさい、拙僧の弟子になればこの場で頭をまるめにゃならん、それでも良いか。」とうとう坊主にされてしまいました。
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今日の貴乃花部屋と伊勢ヶ濱部屋

2017年12月07日 | 散文
貴乃花部屋前です。

駐車場の左奥にも数人居るので、合計10数人待機しています。
こんなに寒いのに、しかも日陰で大変な仕事ですね。

伊勢ヶ濱部屋です。
マスコミ関係者は誰も居ません。


玄関に貼り紙があります。

そうですか・・・。
・・・この事件、どうなっているんですかね。
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巳正月(みしょうがつ)について

2017年12月07日 | 散文

東京の私の家に、掲題の案内が菩提寺から届きました。
故郷特有の珍しい行事ですので、以下添付された説明書を転写して、皆さんに紹介します。


巳正月とは、新仏様の御供養にことよせた、正月の行事です。
今年一年間に身内を亡くした家は、喪中につき正月を祝えないのが習わしです。
しかし、正月は盆とともに年に二度の大いなる楽しみです。
そこで考え出されたのが巳正月です。
本来しないはずの正月を新仏様の御供養としてするのですから、身内だけで密かに、夜の闇に紛れて行わなければなりません。
ただ、今日ではそうも言ってはおれず、明るいうちからはじめる家も増えてきました。


では何故"巳"かというと、日本は稲作文化の国ですから、古来、年末月の午の日に、その年の豊作を田の神に感謝して、新米でついた餅を供えました。
喪中の家は神事を慎むことから、午の餅をつくこともできません。
それで一日前の巳の日に餅をつき新仏様に供え、お下がりをいただくようになったのでしょう。


巳正月は常の正月とは異なり、注縄も独特です(左縄・シダの表裏逆・橙の代わりに蜜柑など)。
鏡餅も重ねなくて(二重のこともある)、柔らかで、祭壇に供えた後、墓参の際、墓前で稲藁を焼いた火に炙って引っ張って食べる(鎌や包丁で切る作法もある)。
墓への道中は無言で、人に会っても声をかけない。
正しくは辰の日の夕刻、暗くなってから供養をし、夜中の十二時をまわって巳の日になって墓参をするという。


尚、この巳正月の行事は、愛媛県(伊予一国)のみに伝わるもので、他県にはありません。但し、本県に隣接するわずかの地域では行われています。
又、同じ愛媛県でも東予は辰巳、中南予は巳午の御供養となり一日ずれます。


巳正月の起源については諸説あり、源義経にまつわる源平説、脇屋義助・河野一族にまつわる南北朝説など様々です。
要は、新仏様の御供養として、新彼岸・新盆同様、巳正月を真心よりつとめることが大事だと思います。
合掌


こんな行事ですが、私は参加したことはありません。
18歳で家を出たこともあり、又、小さい頃は参加させてもらえませんでした。
なにしろ「夜の12時を過ぎてから墓地に行って、墓前で火を焚いて焼いた餅を引きちぎって食べる」行事は子供向きではありません。もう一つ巳正月を迎える家の風習がありました。年末にお餅をつくのは一緒ですが、巳正月の家の餡こ餅は、塩餡でした。これが結構美味しくて、翌年せがんで怒られました。

今月は辰の日が2回あって、今日が最初の日です。
生家では今日その行事を行うのですが、私は今回も参加しません。
妹たちにお願いしている罰当たりですが、こうして故郷を思っています。


コメント (2)
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