今上天皇退位後の仮住まいの候補とされています。
中は窺えません。

ここは有栖川宮邸を高松宮がその祭祀と共に引き継いだ施設の一つです。
元々「高松宮」は有栖川宮の旧称でした。

邸の周囲を廻ってみます。
長い坂です。

有栖川宮が跡絶えた後、大正天皇の第三皇子(宣仁親王)が徳川慶喜の孫娘徳川喜久子と結婚して引き継いだものですが、夫婦に子供が無く、二人が死去した後高松宮家の断絶と共に無人となっています。
ここが冒頭の玄関と反対側の坂の頂上の塀沿いの道です。

玄関左の塀沿いの下り坂です。
昭和天皇が青年期まで過ごした館でもあります。

坂下の向こうに高層ビルが見えます。
こうして見ると、坂の下から頂上にまで広がった邸宅だということが良く分かります。

近隣にはこんなものがあります。
正門の向かいにスリランカ大使館があります。



その裏にはウズベキスタン共和国大使館もあります。


そしてこの高輪皇族邸の土地は、江戸時代には大石内蔵助らの切腹地として知られる、肥後細川家下屋敷跡の一部だったのです。
邸の隣にその場所が残されています。


覗き込むと、あそこが切腹の場所でしょうか?

高輪皇族邸はこんな処です。
中は窺えません。

ここは有栖川宮邸を高松宮がその祭祀と共に引き継いだ施設の一つです。
元々「高松宮」は有栖川宮の旧称でした。

邸の周囲を廻ってみます。
長い坂です。

有栖川宮が跡絶えた後、大正天皇の第三皇子(宣仁親王)が徳川慶喜の孫娘徳川喜久子と結婚して引き継いだものですが、夫婦に子供が無く、二人が死去した後高松宮家の断絶と共に無人となっています。
ここが冒頭の玄関と反対側の坂の頂上の塀沿いの道です。

玄関左の塀沿いの下り坂です。
昭和天皇が青年期まで過ごした館でもあります。

坂下の向こうに高層ビルが見えます。
こうして見ると、坂の下から頂上にまで広がった邸宅だということが良く分かります。

近隣にはこんなものがあります。
正門の向かいにスリランカ大使館があります。



その裏にはウズベキスタン共和国大使館もあります。


そしてこの高輪皇族邸の土地は、江戸時代には大石内蔵助らの切腹地として知られる、肥後細川家下屋敷跡の一部だったのです。
邸の隣にその場所が残されています。


覗き込むと、あそこが切腹の場所でしょうか?

高輪皇族邸はこんな処です。