荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

節分2018年

2018年02月03日 | 散文
節分の準備風景を覗きました。
先ずは、鳥越神社です。




大きな豆まきの舞台です。
有名人が来るのでしょうね。


浅草寺です。
相変わらず参拝者でいっぱいです。


殆ど外国からの観光客ですが。


ここも大きな豆まき舞台です。


今年も有名人が撒くのでしょうね。


根津神社です。


準備ができています。


豆は設営した舞台と能楽堂から撒きますが、有名人は来ません。
氏子の年男と高齢者施設の招待者で撒きます。
昨年私はここで豆を拾いました。

有名神社ですが、案外地域密着の行事遂行姿勢です。

下町に来ました。
天祖神社です。


ここは亀戸七福神の一つで、境内に福禄寿を祀っています。


役員の待機所でしょうか、江戸手ぬぐいが粋です。


豆撒き舞台の空にはスカイツリーがそびえます。


気合いを入れて準備をしています。
下町には下町の心意気があります。


そして亀戸天神です。


先日鷽替えの神事が終わったばかりです。


豆撒きの準備が進んでいます。


ここも有名人が来るのでしょうね。


梅が綻び始めました。


明日から梅祭りです。


合格祈願が絶えないし、行事が多くて忙しい神社です。


今夜私は、鬼になります。
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理事選翌日の風景

2018年02月03日 | 散文
昨日日本大相撲協会の理事候補選挙がありました。
近くの相撲部屋を覗いてみました。
たまたま対照的な部屋です。

「山響部屋」
当然ですが、静かな佇まいです。


山響親方の政治力を思います。
彼は現役時代三役にもなっていません。
それにもかかわらず親方になって、現役の理事です。
今回は出羽海一門の理事候補の末端に居て5票の基礎票しか無いのに、貴乃花一門からの2票と、高砂一門に居ながら反理事長派の九重親方の1票を集めて当選しました。


彼は元北の湖部屋の力士から親方になりました。
同部屋出身の金親がせっかく棚ぼたで白鵬の最初の師匠となったのに、愛人に八百長の内幕を話して事実無根であるとして、日本大相撲協会から親方を現宮城野親方に交代させられた事もあって、彼が前北の湖理事長の庇護を受けて現在に至る立場を築いたものです。

前回の理事選には貴乃花の票集めをし、理事長戦には貴乃花に1票を投じたものです。
今回の選挙では貴乃花に票を禅譲するとの噂がありましたが、なんと、貴乃花一門から票を貰いました。
前回の借りを返して貰った格好です。
それも人望があっての事で、彼は改革派(反八角親方)からの支持があります。
案外長期に理事を務めそうです。


「貴乃花部屋」
当たり前ですが、静かな佇まいです。


今回「貴の奇跡」は起こりませんでした。
反八角親方派の票が集まらず落選しました。


こうなると世論は不思議なもので、「組織の役員でありながら、所属組織を混乱させる行動は役員に相応しくない」とか、「彼は改革・改革と言うけど、何が問題でどう変えるとの具体策は全くないものな。唯一の具体案は、全国の小学校に土俵を造る、だろう?」
あるいは、「今回の傷害事件に際して何も語らなかったのは、ファン無視だよな」とかの評価になりました。

人が人を評価する難しさを思います。
ここは、臥薪嘗胆、捲土重来ですね。

待機していたマスコミ関係者の数。
山響部屋 :1人
貴乃花部屋:3人
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「桜井の史跡と伝説」-23/桜井小学校とユウカリ樹

2018年02月03日 | 散文
雪に飽きたので故郷の話です。

生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


23.桜井小学校とユウカリ樹
桜井地方では明治5年、学制の発布によって、翌6年、御陣屋跡に一番小学校が設立されたのが初めで、明治10年には、登畑に幾志小学校、同11年、長沢に楠本小学校が設立され、一番小学校は時習小学校と改称されて、志島ケ原へ移りましたが、同20年(1887)三校が合併して桜井尋常小学校となりました。しかし、高等小学校は今治町内にしかなく、通学に不便であった為、明治26年(1893)、組合立てで河南高等が設立されましたが、同34年には、分離独立して、桜井高等小学校が発足しました。
その時、記念に植えたのが、市指定の天然記念物になっているユウカリの木で、当時は、2mの幼木でありましたが、現在樹齢84年、目通り4.7m、樹高37mの県下第一の巨樹となっています。

筆者:ここに本書の作成年を探るヒントがあります。
先ず、桜井高等小学校は20世紀と共に始まったのです。
そして、小学校の設立とユーカリの樹齢の記載から、本書の制作は西暦1985年(昭和60年)頃と推測できます。
本項に至って、今から30数年前に著したものだと分かりました。
それが分かった事がちょっと嬉しいです。
古書(本書はそういうほど古くはないけど)を読む楽しさの一端に触れた思いです。
故郷の史跡について、その時代の研究の最先端に触れています。
その研究がこれから発展して行くのか、忘れ去られてしまうのかの分岐点に接している肌触りがあります。

さて、ここにも既報のブログがありました。
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