荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

春の兆しの鬼子母神

2018年02月25日 | 散文
春の光溢れる鬼子母神です。






上川口屋は昼休みです。


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春の兆しの鬼子母神参道

2018年02月25日 | 散文
柔らかく光が注ぎます。


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子育て地蔵尊の御縁日

2018年02月25日 | 散文
冬の陽射しの地蔵坂通りです。


ちょっと寂れた商店街です。


「4」の付く日は子育て地蔵尊の御縁日です。


つまり、この商店街は地蔵尊の参道です。
大きな参道です。
隅田川へ向かう坂道でもあります。


祀っているのは小さな子育て地蔵尊です。


縁日らしく、参拝者が居ます。


小さな境内に沢山のお地蔵様があります。
丁度陽が射してありがた感があります。


説明板がありました。
「この御堂に祀られている地蔵菩薩は、文化年間(1804~1818)に行われた隅田川の堤防修築工事の際に土中から発見されたと伝えられています。初めは村の子供たちが、神輿がわりにこの地蔵をかついでいたそうです。


この地蔵には、次のような伝承があります。ある日、この地に古くから住む植木屋平作に雇われていた夫婦が川沿いの田地で殺される事件がおきました。犯人はすぐには分かりませんでしたが、この地蔵が村の子供の口をかりて犯人の名を告げたのだとか。そこで平作は、この地に地蔵を安置して朝夕に供養するようになりました。


その後、天保三年(1832)四月に11代将軍徳川家斉が鷹狩に来て平作宅に休憩した際、この地蔵の由来を聞いて参拝しました。平作がこのことを記念して御堂を建てて地蔵を安置すると、人々はこぞって参訪しました。出産・眼病その他諸病の平癒開運を祈ると霊験が現れたそうです。当時は平作地蔵あるいは塩地蔵、また子育て地蔵と様々な名前で呼ばれました。


御堂前の坂は、明治四十四年(1911)、堤防工事の土盛り以降、現在まで『地蔵坂』の名で親しまれています。」


庚申塚もあります。


ちょっと先に、白鬚神社があります。

こんな地蔵尊の御縁日です。
コメント (2)
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