荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「尾久村子ども歳時記」がある路地―2

2021年06月27日 | 散文

ここにも表示があります。絵タイルがある路地の中間辺りです。

 

ここからは1991年制作の絵タイルです。今から丁度30年前に小学生が作ったものです。

 

路地脇には、東京電力田端変電所の電波塔があります。その手前には学校らしい建物が見えます。

 

さあ、子ども歳時記が続きます。余計な説明無しで鑑賞してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

路地の突き当たりが目前です。

 

最後の絵タイルはひな祭りです。

 

ここに何があったのでしょう?気になります。おそらくここが、冒頭の説明板にあった、ハト公園の水路と繋がる部分です。

 

電波塔を見ます。

 

子ども歳時記がある路地を振り返ります。ここで、もう一つ気になっているものがあります。絵タイルを制作した尾久宮前小学校です。おそらくあそこだと思います。電波塔の方へ行きます。

 

在りました。電波塔の手前です。

 

子ども歳時記の路地から見えていたのが「尾久宮前小学校」です。路地のすぐ隣でした。形にも記憶にも残る良い教育ですね。

これらの絵タイルを制作した小学生は、現在42,3歳になっています。どんな暮らしをしているのでしょうか?絵タイルを作ったことを覚えているでしょうか?時々見に来るのでしょうか? 想像が続きます。こんな路地です。

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「尾久村子ども歳時記」がある路地―1

2021年06月27日 | 散文

道路にこんな表示があります。

 

こんな煉瓦が並んだ路地です。

 

この景色が懐かしくて時々通ります。数年前に一度紹介しましたが、変化が無いのでずっと眺めるだけでした。今日、ふと気付きました。ここに貼られた絵タイルの制作年が、1990年と1991年なのです。つまり、30年前に、この路地を造る為に、2年を掛けて小学生が作ったのです。改めて紹介したくなりました。

 

説明板です。改めて読んでみると、私がさっき気づいたことが書かれていました。「尾久村『子ども歳時記』 絵タイルのはめこまれたこの道路は、昔の水路跡で、平成元年に完成したハト公園脇の水路跡とつながっています。 尾久宮前小学校の子ども達が地域の学習で、ここが尾久村だったころ農業用水路があったことを学びました。更に、お父さんやお母さん達と一緒に学習を深めてきました。そして、このことを自分達の町の中に残しておきたいと願いました。

子ども達は、昔の尾久村の子どものくらしを想像しながら、四季おりおりの生活、『子ども歳時記』を絵タイルに表しました。『子ども歳時記』は、春と夏、秋と冬に分け、二年間にわたってその年の六年生がグループで描いたものです。 平成二年三月 荒川区 荒川区教育委員会」

それでは、余分な説明抜きで辿ります。ご鑑賞下さい。

 

 

白い丁字があります。三差路です。

 

脇道の路地です。

 

散策を続けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなのもあります。この路地が水路だったことを残しています。

 

四差路に来ました。

 

それぞれの路地です。

 

 

東京下町絵タイルの路地はまだ続きます。

この話、続きます。次は1991年制作の絵タイルの道です。

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