荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

国分寺と国分寺塔跡

2024年06月24日 | 散文

国分尼寺跡行ったので国分寺へ行きます。四国八十八ヶ所五十九番札所です。日本遺産「四国遍路」59番札所です。

小学校1年生の遠足の場所です。小学校が国分尼寺跡なので、学校は歴史を学ばそうと、ここ国分寺を人生最初の遠足の場所に選んだのかも知れません。でも、そんな学校の思惑なんか全然感じまていませんでした。

ここには「握手修行大師」が有ります。新しいものです。案内板に書いてあるとおり、お大師様は忙しいらしいです。忙しくない私が手を握って願い事を言うのはおこがましいです。

本堂です。

さて、ここに「脇屋義助廟」への案内を兼ねた石碑が有ります。

「是ヨリ二丁」です。すぐそこです。

ここから見る世田山・笠松山が梅雨空に煙っています。彼はあそこで戦闘を指揮する予定でした。桜井の浜に到着後1週間くらいで、ここ国分寺で病死しています。

脇屋義助廟へ行く途中に「国分寺塔跡」が在ります。観光バスで八十八ヶ所巡りをする人は知りません。お遍路さんの多くが知らないと思います。私はここで人に逢ったことがありません。

ここ重要です。今の国分寺は何度か再建したものですが、ここは建立当時のそのままなのです。

さて、脇屋義助廟に向かいます。

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伊予国分尼寺跡

2024年06月24日 | 散文

伊予桜井駅から見た白い看板です。石丸忠兵衛の石碑のすぐ傍です。界隈は歴史の宝庫です。

探索の為の道が設けられています。

こんもり盛り上がった土地に柿の木が有って、そこに説明板が立っています。遠くからよく見えます。

天平13(西暦741)年の遥かな大昔、聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺跡の建設を命じました。

国分尼寺跡です。

石で囲われている場所です。

建物の基礎石です。

大きな敷地を持っていました。背後の山から桜井小学校の敷地まで、広大な地所です。右に小さく見える山は「唐子山」で、あの先に「国分寺」が在ります。国分寺と国分尼寺とはこんな位置関係です。

現場をちょっと離れます。周辺は何処も遍路道です。

遍路道石碑の前の石柱に、「史跡 伊予国分尼寺」の文字が見えます。

石柱からちょっと行くと、「法華寺」です。国分尼寺を現在に引き継ぐお寺です。

我が家の菩提寺でもあります。人が温厚で、温暖でもの成りが良くて、一昨日が明後日でも、昨日が明日でも何ら変わらない日々を淡々と、国立公園と歴史の中で暮らす人々が居ます。そんな土地柄も、ちょっと良いでしょう?

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