今治藩主の墓を出たらこんな石柱が有ります。南朝に味方した脇屋義助の廟所と国分寺へ、山道を抜けて行く道です。
右の山の頂上に今治藩主の墓がある古道です。
急な山道です。途中で自転車を押して歩きます。前回迄は自転車で登り切ったのですが、、、
山道を上がった所に道しるべが有ります。右から上がって来て、左に行きます。
下り坂の途中、溜池の土手に道しるべが有ります。
子供の頃から行き慣れた道です。土手上の道です。当時は道しるべが有りませんでした。
目的地の傍です。背景の墓地が目的地なのですが、ちょっと止まります。「孝子七造生誕地」の石碑です。
裏面にプロフィールが記載されています。「阿部七造翁文政12年7月17日此の生る。安政3年より明治末期迄加藤庄屋に勤め忠実親に孝養なす。安政6年今治藩主松平定法公より孝子として金一封を賜る。安政3年和同開珎百余枚発掘す。大正11年7月13日95歳にて逝く。屋敷跡を保存し、永く翁の精神賞揚せんと此処に記念碑を建立す。 国分寺第52世 光等 敬白 昭和37年9月吉日」...その屋敷跡を知りません。無くなったと思います。
我が家に有った「桜井の史跡と歴史」なる薄っぺらい作者不明の冊子に記載されていて、初めてその存在を知りました。
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