「門と蔵のある広場」に居ます。
「旧丹羽家腕木門」の説明板です。
「質上州屋」へ行く途中に見掛けた門です。
蔵も在ります。
「旧丹羽家住宅蔵」です。
「染井よしの」の説明板です。染井よしのの作出と、駒込が「染井よしの」の発祥の地であることを、新たに誕生した公園から、全国に、世界に発信するとの宣言です。
腕木門の前に有ります。
そして、「染井植木の里」の説明板も。読みづらいので転写します。
「豊島区駒込3、6、7丁目付近は、昔、染井村と呼ばれており、江戸時代から植木の一大産地として知られていました。嘉永7年(1854)に発行された『江戸切絵図』に『此辺染井村植木屋多シ』と書かれるなど、植木職人が数多く住んでいた地域です。 万延元年(1860)に来日したイギリス植物学者ロバート・フォーチュンは、この辺りの様子について、『交互に樹々は庭、恰好よく刈り込んだ生け垣がつづいている、公園のような景色に来たとき、随行の役人が染井村にやっと着いた、と報らせた。そこの村全体が多くの苗樹園で網羅され、それらを連結する一直線の道が一マイル(約1,6キロ)以上も続いている。私は世界のどこへ行っても、こんな大規模に、売り物の植物を栽培しているのを見たことがない。(江戸と北京)』と述べています。
この土地のもとの所有者である丹羽家は、天明年間(1780年代)から明治後期まで、この染井を代表する植木屋として活躍していました。代々『茂右衛門』を襲名して、造り菊、石菖、蘭、ツツジなどを得意とした植木屋です。津藩藤堂家や尾張藩などの大名屋敷にも出入りするなど、武家にも信用を得ていました。八代目茂右衛門(明治二九年生まれ)の代で植木屋をやめましたが、当地域の旧家として知られています。 敷地内にある門は、江戸時代後期の創建で、豊島区の指定有形文化財となって、昭和十一年に建てられた蔵は国の登録有形文化財になっています。」
公園の中央に、小さな桜の木があります。
こんな由緒の桜です。
屋敷蔵の場所に戻ります。
後ろに学校が見えます。
この話、続きます。