荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

夕暮れの各駅停車便に乗ってみるー3

2017年02月21日 | 散文
浅海駅を出発します。


残照の海岸を走ります。






漁村があります。




海に突き出した岬です。


突然民間の上に山が現れました。


北条沖に浮かぶ「鹿島」です。


北条駅に着きました。
昔は紡績が盛んな街でした。
かつては「北条市」と呼ばれた、独立した行政区域でした。
今は松山市の一部です。
今でもカソリック系の女子高と短大が在る駅です。

従って、2本に1本ですが、今でも特急が停まります。

ここで上り線の各駅停車便と特急のすれ違い、及び下り線の特急に追い越されます。

単線鉄道を走る各駅停車便の宿命です。

11分の停車です。
乗客は電話したりして過ごします。


上り線のホームで電車を待つ学生達です。

私もこんな風に通学していました。

上り線の各駅停車便が来ました。
学生達が乗り込みます。


この後も撮影を続けましたが、日が暮れるにつれて、車内のライトの映り込みが強くなる一方です。
従って旅は続きますが、報告はここで終わります。
長い間お付き合い頂き、ありがとうございました。
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夕暮れの各駅停車便に乗ってみるー2

2017年02月20日 | 散文
夕暮れの中を各駅停車便が走ります。




菊間駅に着きました。


瓦の街らしい駅舎です。


菊間駅を過ぎると海岸風景が続きます。








中央に防波堤を配した漁港です。


更に、海を見ながら、各駅停車便は走ります。


海岸沿いを走ります。


日没を見ながら走ります。


日没したばかりの瀬戸内海を走ります。






浅海駅に着きました。


この旅、更に続きます。
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夕暮れの各駅停車便に乗ってみるー1

2017年02月20日 | 散文
今治から松山へ行きます。
急ぐ用でもないので、今まで使っていなかった各駅停車便に乗ってみました。


夕暮れの街を走ります。

上方に細長く光るのはUFOではありません。
窓に映り込んだ車内のライトです。

隣の波止浜駅を出発します。


夕暮れの中を、犬を連れて散歩する人が居ます。


山の上には「海山城」が夕日に映えます。


無人駅が続きます。


車内にも西日が射します。


通学自転車が帰ります。
その向こうに池と、少し海が見えます。


大西駅です。
少しだけクレーンが見えます。
造船の町です。


亀岡駅です。


製油所のタワー群の傍を走ります。




民間の上に「臍島」が見えます。
すぐ向こうが海です。


夕日に向かって走ります。


この旅、続きます。
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桜井海岸のお台場

2017年02月19日 | 散文
今日の海は、春を感じさせる海です。


ひねもすのたりの風情です。


この長閑な海岸を少し行くと、道端に小さな薮が在ります。
薮を覗くと、こんもりしています。


ここが「お台場跡」です。
3基築造して、現存している真ん中の1基です。

説明板を読みます。
よくある説明板と違って、読みやすい文章です。
「アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の黒船を率いて、浦賀に来航したのは寛永6年(1853)6月3日である。鎖国日本は泰平の眠りから覚めた。松山藩では、海岸防備の強化を図り、松山藩の外港としての要地である三津浜港に台場を築造した。また松山藩預かり天領の越智郡桜井海岸にも台場を築造した。これらの工事は、安政2年(1855)4月より始まり、6月に完成している。


さらに、野間郡方面の海防を強化するため、菊間浜村と小部村浜手の2ヶ所に台場を築造する。
今治藩では、城下今治の海岸防衛のため、文久3年(1863)総社川裾・城下浜・天保山脇・浅川裾の4ヶ所にお台場を築造した。
この築造にあたっては、藩士・城下の町人・近郊の農民など約1500人の出役が命じられ、土俵12000俵が用意された。工事は3月から始まり年内に落成する。


松山藩・今治藩とも大砲鋳造のため、ご家中はじめ領内の銅、錫類の供出や各寺院の梵鐘などの徴発の触書を出している。
桜井のお台場の設計については不明であるが、桜井町役場の記録によると、下図の通りである。」


慌てふためいた様子が伺えます。
なお、桜井小学校で習った話では、梵鐘を大砲に見せ掛けて据えたと聞いています。
その話が本当なら、どうせこんな田舎に黒船が来るわけはない、と踏んで梵鐘を鋳潰さなかったしたたかさがあります。
一方で、徳川一門の松山・今治藩がそんな事をするぐらい、幕府の権威は失墜していたと言う事ですね。
勉強になりました。
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満潮の椀舟の港

2017年02月19日 | 散文
河口から港を見ています。
今日は満潮のタイミングで来てみました。


防波堤が水没しています。




満潮の港です。




古い方の防波堤はもっと沈んでいます。


満潮時には役に立たない防波堤です。


この木が印象的です。


木の根本には椀舟の港を伝える石碑があります。


「伝え聞く椀舟河岸やドンコ釣」


木を見上げます。
この空の青は、澄みきった冬の色です。


昔椀舟が出港して行った海も冬の青です。


遠く四国山脈に雪が見えます。
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綱敷天満宮の敷地にある神社

2017年02月18日 | 散文
綱敷天満宮に来ています。


筆があって、


鶯が居て、


牛が居る。

これだけ完璧に揃った天満宮は珍しいと思います。
亀戸天神には牛しか居ません(鶯でなく、ウソがいますが、)。

それはさておき、梅林だけでなく、境内の梅も見頃です。


梅を見るために境内を移動していると、祠が多くある事に気付きました。
こちら、風呂神社です。
謂われは知りません。
初めて、しげしげと眺めています。


お参りもしません。
何故「風呂」なのか気にはなりますが、眺めるだけです。


その視点で境内を見渡します。
こちらは田坂八幡神社です。


小さいけど、神社と書かれています。


皇大神宮もあります。


こちらは境内の中に鳥居を持っています。


須賀神社と荒神社です。


そしてこちらは住吉神社です。


そしてそして、こちらは厳島神社です。


夏に「宮島さん」と呼ばれている、麦藁舟を海に流す行事が行われます。


今更のようですが、これだけ多くの神社が境内(鳥居の内側)に在ることに驚きました。
ちょっと凄いと思います。
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衣干岩に登る。

2017年02月18日 | 散文
桜井海岸近くに「衣干岩」があります。
菅原道真公が太宰府に配流の途中嵐に遭って、壬生川沖から桜井沖まで流されました。
居合わせた里人がこの河口(後の椀舟の港)にお助けしました。


その時、有り合わせの舟の綱を丸く巻いて敷物として菅原道真公をお休めしました(綱敷天満宮の由来)。
濡れていた菅公の着物を干した岩がこれです。


菅原道真公はこの時「この島原を我が誠心を留めん地」と言われたとの言い伝えにより、菅公の志の島原という意味から後世この地を「志島ケ原」を名付けたと言われています。


周囲20mちょとの岩です。
廻ってみます。










この右手が河口です。

今は堤防が在りますが、当時は河口のすぐ横だったと思います。
この辺りは隆起して現在の地形になっているので、もっと前は、海に浮かぶ岩礁だったと思います。

ちょっと登ってみます。


オヤジでも簡単に登れます。


頂上には枯れた松の幹が残っています。


見下ろします。

登って来た方向です。

実は、志ケ島原保育園生時代に一度登ったきりなので、約60年振りです。


頂上で背伸びをすると、兵市島が見えます。

こんなありがたい(登っておいて、何処が、)岩です。

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綱敷天満宮の梅

2017年02月17日 | 散文
綱敷天満宮の鳥居に観梅会の案内が出ています。
来る19日の日曜日です。


梅園へ行ってみます。


広い梅園が見頃になってきました。












梅園の南端に祠があります。
すぐ左は椀舟の港に続く湾です。

「素波神社」の表示があります。
「諏訪神社」ではないのですね?
舟を扱うので、「波」の文字が入っているのでしょうか?

平日でもあって観梅者は少ないですが、こんなふうにお弁当を拡げている人も居ました。

春の到来を感じる光景です。
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阪神タイガース安芸キャンプ訪問/2017-3

2017年02月17日 | 散文
掛布監督のカードを貰いに並びます。
やっぱり人気者です。


手配りして、一人ひとり握手をしています。
周辺がざわめいています。


逆光でもあってか、31番が眩しいです。


で、貰ったもの。
カードと観光特使の名刺です。

カードには、ウエスタンリーグの日程が書かれています。

そして、カードの裏は!?
サイン入りの、彼が全盛期の姿です。

子供のようですが、嬉しいです。

その他に貰ったもの。
「キャンプガイド2017」です。


開くと、1、2軍キャンプの案内があります。


更に開くと、4ページに亙って、監督コーチを含む選手名鑑になっています。

これは見学に便利です。

キャンプガイドの裏は「スタンプラリー」になっています。
青い判を押して、ラリーが完成(たった2個ですが、)しました。


プレゼント引き換えに行きました。
グッズ売り場にありました。


ここです!

賞品は右の箱に立てられています。

これです。

こうやって撮ったら、「キャンプガイド」と区別が付きません。
ポスターは、A3版で(キャンプガイドはA4版です)、左下に、「キャンプガイド2017」の文字がありません。
貰っておいて何ですが、キャンプガイドと一緒なので、あまり嬉しくない・・・。

さて、太平洋と、


ファンメッセージを見て帰路に着きます。

打てない打線からゴメスが抜けて、益々点を取れるイメージが涌きません。
今年も多難です。

こうして半日過ごしました。
お付き合いありがとうございました。

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阪神タイガース安芸キャンプ訪問/2017-2

2017年02月16日 | 散文
眼下に太平洋を見る丘の上です。

2軍で調整中の西岡選手を探しますが、居ません。
先ほどの小父さんの話だと、まだバッティングや守備をやっていないようです。
復帰はだいぶん先になりそうです。

シートバッティングが終わって、トスバッティングが再開されました。

トスバッティングは、約30秒間に20球を打ちます。
それを何度も何度も繰り返して身体に覚え込ませる、ハードな練習です。

緒方です。


伊藤隼太です。


長坂です。


スイッチヒッターの完成を図る大和選手は、2軍で左打ちに専念しています。

彼の守備は内外野ともピカイチなので、このキャンプでバッティングを向上させて、レギュラー奪回を賭けています。

私の見学の目的の一人です。


掛布監督の指導にも熱が入ります。






とうとう掛布監督がバットを振りはじめました。


タイガースが戦後唯一日本一になった時の4番打者です。




退屈し始めた頃、突然場内放送が流れました。
「観客の皆様にお知らせいたします。掛布監督がカードを配分致します。ご希望の方は、バックネット裏の観客席にお並び下さい」

この話、続きます。
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阪神タイガース安芸キャンプ訪問/2017ー1

2017年02月16日 | 散文
グランドでは選手が練習中です。


平日ですが、そこそこ観客もあります。
報道関係者もたくさんいます。
取材の対象は、元プロ野球選手のようです。


さて、風が当たらなくて比較的暖かい、バックネット裏に座ります。

全国的に寒冷中です。流石の南国土佐でもちょっと寒いです。

向こうには太平洋が光っています。


たまたま隣になった小父さんと評論しながらグランドを見ています。
陽川選手がフリーバッティング中です。

飛ぶ飛ぶ!
レフトスタンドの向こうのネットにガンガンぶつけます。

トスバッティングが始まるようです。




新井良太選手です。
2軍に居る選手ではありません。


小父さんの期待はルーキーの長坂捕手です。
ドラフト7順目ですが、良い背番号を貰いました。


彼がブルペンに移動するので、付いて行きます。

小父さんが声を掛けると、新人らしく返事します。

グランドではシートバッティングが行われています。




日が差してきてだいぶん暖かくなってきました。
野球を楽しんでいます。



次回に続きます。
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高知へ行く。

2017年02月15日 | 散文
帰省したものの殆ど家に篭りきりです。
寒い事が第一の理由ですが、家にほぼ寝たきり老人が居るといつ何時介助が必要になるか分からないので、傍を離れられません。
父が施設に戻ったタイミングで、暖かい所へ行こうと思い立ちました。
昨年故郷で軽四輪車を購入したので、一挙に行動範囲が拡がりました。
近くで暖かい所と言えば高知です。
高知自動車道を行きます。
ところが、四国山脈を抜けるトンネル辺りから視界が悪くなって、雪が降ってきました。


フロントガラスにも着氷します。


途中で通行止めになったらどうしようと思いながら、ノロノロと走ります。


最後のトンネルを出た途端、場面が一変しました。

陽光溢れる景色です。

高知って凄い!
「南国土佐」を実感します。


曇り空ですが、暖かい安芸市に着きました。


駐車場からグランドへの上り坂は、数々のメモリアルの写真展のようです。






ファンの寄せ書きもあります。


気持ちが逸ります。


この話、続きます。

追伸
この日高知自動車道で大事故があって、サッカー女子の主力選手だった人が亡くなったそうです。お悔やみ申し上げます。
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大使館を訪ねてー43(トーゴ、スーダン)

2017年02月15日 | 散文
「トーゴ共和国大使館」

前回報告の「ケニア共和国大使館」の在る目黒区八雲の住宅街にトーゴ大使館も在ります。


ここもちょっと大きい民家の外観です。

西アフリカに位置する共和制国家です。
東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面しており、首都はロメです。

南部は高温多湿の熱帯性気候で、北部はサバナ気候で南部より雨量が少なく、湿度も低いです。


15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていました。


1884年にドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ領トーゴランドと宣言されました。
第一次世界大戦にドイツが敗戦すると、イギリスとフランスによる委任統治とされ、フランスは東トーゴランドを統治し、国際連合成立後、信託統治として継続されました。

1957年に西部のイギリス領トーゴランド(西トーゴランド)はのちのガーナとなる英領ゴールド・コーストと併合され、1956年に、自治権を獲得し、フランス領地域が1960年4月27日独立しました。
(ウィキペディアより)

改めて見ても、近隣に多くある、ちょっと大きい民家です。



「スーダン共和国大使館」

目黒区八雲の散策が続いています。
立派な邸宅が在りました。


大きな駐車場の脇に国旗が立てられていて、大使館だと気づきました。


しっかりした玄関横に表札があります。

北アフリカに位置する国家で、首都はハルツームです。
エジプト、リビア、チャド、中央アフリカ、エチオピア、エリトリア、南スーダンと国境を接し、東は紅海に面しています。

アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸で3位の面積を擁しており、2011年7月に南スーダン共和国が分離独立する前は、面積2,505,813km²とアフリカ大陸最大の国土を有する国家でした。

「スーダーン」はアラビア語で「黒い人」を意味する言葉を原義とし、元来は北アフリカのアラブ人たちからみて南に住む黒人の居住地域、すなわち西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称で、国名としてのスーダンと区別するため「歴史的スーダン」ともいいます。

国家としてのスーダンは、地域名としての「スーダン」の東部を占め、歴史的には東スーダーンと呼ばれた地域に当たります。
南スーダンの独立後、スーダン共和国を指して「北スーダン」と呼ばれることは稀ですが、二国間関係を表す際に「南北スーダン」とする表現はよく見られます。
(ウィキペディアより)
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大使館を訪ねてー42(ネパール、ケニア)

2017年02月14日 | 散文
「ネパール大使館」

下目黒の建売分譲住宅街に居ます。
周囲は一戸建ての住宅街ですが、似たような家屋が並んでおり、建売住宅と分かります。


建売住宅をそのまま大使館にしたと分かる外観です。


南アジアの共和制国家で2008年に王制を廃止しました。
この国の国旗は、世界193ヵ国で唯一、四角もしくは正方形ではありません。

なびいていてないのでよくわかりませんが、その形状は、古代のヒンドゥーの神々によって使われた三角形を模したもので、赤はネパールの国の色、周縁の青は「海と空」を表しています。
中に描かれた月は「平和」を、太陽は「光」を意味しています。

東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国です。

国土は世界最高地点エベレスト(サガルマータ)を含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成ります。
ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしている面積は約14.7万kmの国です。

多民族・多言語国家であり、民族とカーストが複雑に関係し合っています。
また、宗教もヒンドゥー教(元国教)、仏教、アニミズム等とその習合が混在しています。

農業を主たる産業とし、ヒマラヤ観光などの観光業も盛んですが、後発開発途上国であると分類されています。
(ウィキペディアより)

隣の家を見ます。
全く大使館と同じ外観です。

夜酔っぱらって帰ったら間違えそうな家です。


「ケニア共和国大使館」

東急自由が丘駅を北上して目黒通りを越えた所、八雲の丘の住宅街にあります。
更に北上すると「駒沢オリンピック公園」に至る立地です。


東アフリカに位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国です。
北にエチオピア、北西に南スーダン、西にウガンダ、南にタンザニア、東にソマリアと国境を接し、南東はインド洋に面し、首都はナイロビです。

首都ナイロビには国際連合環境計画、国際連合人間居住計画の本部がある旧イギリス植民地です。

ケニアの首都、ナイロビはマサイ族の言葉で「冷たい水」を意味します。
ナイロビはパピルスが茂る沼地に位置し、ケニアは赤道直下に位置しており、インド洋やヴィクトリア湖沿岸は年間平均気温が26℃の熱帯性気候です。
しかし、国土の大部分は、標高1100m - 1800mの高原となっているため年間平均気温が19℃の乾燥した高原サバンナ地帯となっています。

11月から3月にかけては北東モンスーン、5月から9月には南東モンスーンと呼ばれる季節風が吹きます。
最高地点は赤道が通るケニア山(標高5199m)です。
(ウィキペディアより)

ちょっと大きい、この辺りによくあるお金持ちの民家の風情です。

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道後温泉駅頭のカラクリ時計

2017年02月14日 | 散文
人だかりがしています。
もうすぐ6時です。


カラクリ時計が時を告げ、文字盤が回転します。


マドンナが現れました。


時計台がせりあがりつつ、上段と前面の扉が開きます。
下段の人形が現れました。


中段の左右の扉も開きます。


次々に現れて、「坊ちゃん」の登場人物が勢揃いしました。


幻想的なカラクリ時計が人を楽しませます。


やがて時が過ぎ、いつもの道後温泉駅頭の姿に戻ります。
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