荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

アルゼンチン大使館と氷川神社と元麻布ヒルズ

2018年04月25日 | 散文
元麻布の日当たりの良い丘の上です。
アルゼンチン大使館が逆光の中に佇んでいます。






道路の反対側には、氷川神社があります。


毘沙門天を祀っています。
外国の大使館と神社が同居する日本の風景は好いなと思います。


その神社の上に、ニョッキりと元麻布ヒルズがそびえています。


境内からもこのとおり。


・・・この景色には違和感がある私です。
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麻布中学へ行ってみる。

2018年04月24日 | 散文
前回の記事の続きです。

義父の父親が数学教師をしていた麻布中学へ行ってみます。
南青山から高級住宅街の坂を上り下りする路です。




義父もその兄もこの路を通学したのだろうかと考えましたが、ここは近年開発された新興の住宅地のようです。


義父たち兄弟は曲がりくねった山裾の道を通ったのだと思います。




現在は中高一貫校になっています。


こちらは裏門でした。


近くにはサウジアラビアの「イマーム ムハンマド イブン ザウード イスラーム大学 東京分校 アラブ イスラーム学院」がありました。
長い校名ですね。




こちらが正門です。


学校の隣はカタール大使館です。


大使館が多くある街です。


元麻布ヒルズが見える角を曲がると、


マダガスカル大使館があります。




近くにはアルゼンチン大使館もあります。




そして有栖川宮記念公園がある、そんな丘の上です。


夏の匂いです。
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義父の本籍地、南青山へ行く。

2018年04月24日 | 散文
南青山6丁目の交差点に来ました。


通称、骨董通りです。
義父は「高樹町」で生まれたと言っていました。


南青山6丁目のバス停があります。


半田市にある義父母の家の売却に際して、家内たち兄妹が両親の除籍証明を取りました。
亡くなった人の謄本、除籍謄本です。


目的地の南青山6丁目12番地です。
除籍謄本に記載されている義父の本籍地です。
道路工事中です。


義父はここで大正10年3月に、麻布中学の数学教師の2男2女の末っ子として生まれました。
余談ですが、奇しくも私の亡母と誕生日が一緒でした。


謄本には12番地の後の「号」が記載されていません。
この一角が12番地です。
殆どがマンションになっています。


ここが南青山6丁目12番1号です。
周囲を探りながら、謄本の中身を想います。
長男が父方の姓を継いで、母親が一人娘だったので、二男である義父が母方の姓を継いだと聞かされていたとおりの謄本内容です。
母の母と祖母は同じ姓の人と2代続いて結婚しています。
これは偶然ではなく、義父の家名継承以前から、その家名を継ぐ意図があったと考えられます。
父親は富山県の出身で、母親が東京の出身です。


その母には離婚歴(義父の姓とは別の人)があり、離婚数年後、義父の父と結婚する2日前に配偶者の甥を養子に迎え、結婚8日目に養子縁組を解消しています。
それと同時に、祖父から譲り受けていた家督を母親(義父の祖母)に譲渡しています。
父親(義父の祖父)は既に亡くなっていたのだと思います。


登記する手間が現在以上に大変であったろう大正2年に、わざわざ登録登記しながら10日後に登録抹消の手続きをしています。
この辺りは詳しく聞きたいところですが、義父はおろか、その兄弟姉妹も生存していません。


除籍謄本で初めて知りましたが、義父は祖母の養子になって、後に家督を継承しています。
母方の姓を持っていた唯一の人が祖母だったからでしょう。
祖母も一人娘でした。
義父はこの時点で生母と姉弟になった訳です。
義父は戸籍上姉になった母親とずっと一緒に暮らしたので、私も彼女と会っています。
上品で穏やかな、細面の優しい人でした。
緑内障が進んでもう眼が見えなくなっていましたが、初対面の私の顔を長い指の細い手で撫で回して、「綺麗なお顔ね」と言ってくれました。


そんな彼女は、義父の父親と駆け落ち同然に結婚したと聞かされています。
情熱的ですね。
家内の実家に義父の父親の肖像画が遺されていて、義父によく似た面差しをしています。
駆け落ちもどきのいきさつは聞いていません。
今、彼と彼女のお墓は義父の兄夫婦と、義父母とは義父の戸籍上の母(実の祖母)の墓が、多磨霊園にあります。
兄が結婚する際に、それぞれ互いの家の墓を同じ場所に求めたそうです。
このように何度も切れかけた糸を繋いで繋いで維持してきた姓が、子供がいない家内の兄を最後に途絶えてしまいます。
養子を貰って繋ぐ必要がある姓でも、またそんな時代でもありません。


・・・一方、余談ですが、家内の母は0男5女の長女なのですが、出生届けでは両親の苗字が異なっています。
婚姻届けが出生届けの後になったようです。


昔はそういった事がよくあったようで、我が両親の場合は、私の出生届けと両親の婚姻届けが同時に行われています。
子供が生まれて初めて嫁と認められる時代だったのかも知れません。


12番地をぐるり一周して、南青山6丁目の交差点に戻りました。
除籍謄本だけの手掛かりなので、これ以上は探す事が叶いません。
近隣を巡ります。


南青山6丁目交差点から美術館通りを少し下がると、根津美術館があります。




時あたかも、この美術館のシンボル的存在の竹林に竹ノ子が育っています。


陽射しは夏のものです。


義父の本籍地の北側は、新緑の表参道です。




若き日の義父はこの道をバスに乗って大学に通ったそうです。
その話を聞かされたのは、この道の突き当たりの神社で行われた彼の孫娘、クラシック音楽が好きだった義父が手塩にかけてバイオリニストに育て上げた孫娘の結婚式の日でした。
義父にとって、数十年振りで、最後の故郷だったのです。
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絵画館前の新緑

2018年04月23日 | 散文
秋には見事な黄葉を見せる絵画館前の銀杏並木です。


新緑の下を行きます。


初夏の陽射しが影を作って薄暗くなった歩道です。
向こうに絵画館が見えます。


逆光の並木を振り返ります。
「深緑」です。


反対側の歩道を行きます。


新緑に染まる午後のレストランです。






整然と新緑が並んでいます。
好いです。
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プーシキン美術館展 旅するフランス風景画

2018年04月23日 | 散文
夏の陽射しの東京都美術館です。


展覧会は開催直後ではない早いタイミングで行くことにしています。
けっこう空いていることが多いです。


残念ながら、今回は展示絵画の撮影コーナーはありませんでした。
出口の記念撮影コーナーのみです。


風景画は好いですね。
心が和みます。


美術館の2階から見る公園は、絵画に多くあった、緑溢れる光景です。


退館後、階段を上がりながら仰ぎ見た緑です。
風が緑をそよがせています。


風景画の中に入り込んだ感覚になります。




奏楽堂への道です。


風と陽射しが気持ち良いです。


奏楽堂への道は東京都美術館の裏の道です。




印象派が好きそうな道です。


木漏れ日溢れる午後です。


空を見上げます。
もう夏です。

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根津の藤屋敷

2018年04月22日 | 散文
少しずつ伸びて、今年はこんなに広がりました。




ここはシェアハウスになったと聞いていますが、1階はケーキ屋さんです。


藤が作る日陰が好いです。




反対側からも観ます。




家の側面です。


家が藤で埋もれています。


この家、今ちょっと好いです。
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新緑の中の松本楼

2018年04月22日 | 散文
言葉がありません。


白い壁と新緑のコントラストが「絵」になります。




この季節ならではの松本楼です。


余計な言葉は抜きで・・・。
















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亀戸天神藤まつり2018年/もう終盤

2018年04月21日 | 散文
商店街にまつりのバナーが揺れます。


今年は例年に無く早く開花しました。


例年の通りゴールデンウイークまで花が続いたら、観光客がいっぱい来るんだけど・・・。
祭りは、5月6日まで予定しています。


でも、もう花は終盤です。








東京名所の風景ではあります。










こんなに客が来ています。


もう花が終わるなんて殺生な。
5月6日まで屋台を出さなければいけないの?
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根津神社つつじまつり2018年/大盛況!

2018年04月21日 | 散文
つつじの開花が進んでいるとのニュースがありました。


天気も良いし、観光客が慌てて殺到しています。






私は先週、「近年稀にみる咲きっぷり」を観賞済みなので、ちょっと覗いただけです。




いや、凄い!
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初夏の神楽坂

2018年04月21日 | 散文
夏目坂から神楽坂に来ました。
街は初夏の粧いです。
あそこへ寄ってから帰りましょう。
光り溢れる「和可菜」のある路地です。


振り返ります。
料理屋の塀に光りが注いでいます。


路地を行きます。
涼しげな日陰です。


玄関を過ぎて、


石段を上がります。


振り返ります。


振り返りつつ石段を上がります。


さあ、坂を下ります。
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漱石山房に行き当たる。

2018年04月20日 | 散文
夏目坂から神楽坂へ向かいます。
大通りを走ってもつまらないので、例によって路地を行きます。


この道にこんな案内板がありました。


早稲田小学校前の路地です。


「明治の文豪、夏目漱石が晩年を過ごした家、通称漱石山房がこの地にあった。」との案内に行き当たりました。


ここが記念館らしいです。








隣には「漱石公園」が在りました。


漱石の銅像があります。


掲示板もあります。


「漱石の散歩道 明治の文豪夏目漱石は、現在の喜久井町で生まれて早稲田南町で亡くなりました。漱石の作品には、早稲田・神楽坂界隈が数多く登場します。漱石は、ときには一人で、ときには弟子達とこの周辺を散策し、買い物や食事を楽しみました。漱石を身近に感じながら、歩いてみてはいかがですか?」


「漱石山房の記憶 夏目漱石は、明治40年9月、この地に引っ越してきました。そして大正5年12月9日、『明暗』執筆中に49歳で亡くなるまで、多くの作品を生み出したのです。漱石が晩年住んだこの家を『漱石山房』といいます。漱石は面会者が多かったので、木曜日の午後を面会の日としました。これが『木曜会』の始まりです。『木曜会』は、漱石を囲む文化サロンとして、若い文学者の集う場となり、漱石没後の彼らの心のよりどころとなりました。」


正面の施設には投句箱が置かれています。


公園は記念館の裏を一周しています。


それにしても、今日の行き当たりばったりは凄い!
今日は好い散策をしました。


人生と散策は、道草しないとつまらない。
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夏目漱石の周辺を訪ねて。

2018年04月20日 | 散文
新緑が萌える雑司ヶ谷墓地です。






ここに夏目漱石が眠っています。
ドウダンツツジの白花が真っ盛りです。




漱石のお墓と別れて夏目坂通りに来ました。


地下鉄早稲田駅前です。


交差点の向こうには龍泉院の朱鳥居が見える場所です。


坂下に「夏目漱石誕生の地」の石碑が在りました。
呆気ないくらい簡単に行き当たりました。


周辺は学生街らしい飲食店が並んでいます。




彼と両親の写真もあります。


「夏目漱石(本名金之助)は、慶応3年(1867)1月5日に、夏目小兵衛直克と千秋夫妻の5男3女の末っ子としてこの地に生まれた。夏目家は、牛込馬場下横町周辺の11ヶ町をまとめる名主で、喜久井町の名は夏目家の家紋『細井筒に菊』に因んで名づけられ、夏目坂も夏目家に因んで命名されたという。


漱石は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家に戻り、再び内藤新宿の名主塩原昌之助の養子になった。9歳のとき塩原姓のまま実家に戻り、21歳のとき夏目家に復籍している。
この地での幼少期のことは、大正4年に書かれた随筆『硝子戸の中』に詳しく記されている。
この記念碑は昭和41年(1966)に漱石誕生100年を記念して新宿区が建立したもので、題字は漱石の弟子安倍能成の筆になる。 平成29年3月31日」

最近の物なのですね。

石碑の裏にも碑があります。
「私の家は綺麗に取り壊されて、其あとに新しい下宿屋が建てられつつあった。・・中略・・3本の松は、見る影もなく枝を刈り込まれて、ほとんど奇形児の様になっていたが、何処か見覚へのあるやうな心持ちを私には起こさせた。

昔し『影参差 松三本の 月夜かな』と詠ったのは、或いは此松の事ではなかったらうかと考えつつ、私はまた家に帰った。『硝子の中』 夏目漱石生誕150周年 云々」

周囲は初夏の光に包まれた坂下です。


漱石の句に触発されて(漱石だけでなく、つつじまつりを詠んだ根津小学校の4年生にも)、おそらく中学校卒業以来初めてです。一句詠みました。
「自転車(チャリ)下る 燕の如し 夏目坂」


才能無し・・・。
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雨の次の日の玄関先

2018年04月19日 | 散文
4人家族でしょうか?
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至上の印象派展ビュールレ・コレクションに行く。

2018年04月19日 | 散文
基本的に展覧会は開催直後の平日に行きます。
開催期日の終了が近づいて来ると鑑賞者で混雑します。
地下鉄の駅でもポスターが呼んでいます。


今回は出遅れてしまいました。



でも大丈夫!
今日は雨天です。


生憎の雨ですが、予想どおり美術館は空いています。
(人気無いのか?)


けっこう見応えのある展覧会ですが、ゆっくり鑑賞できました。
そしてこの部屋だけ「撮影可」でした。
最近そういったサービスを提供する展覧会が多くなりました。


この部屋にはこのモネの「睡蓮」1点だけです。
でも撮影させてくれるサービスが嬉しく思います。

でもね、人が映り込まないアングルを探すに夢中で、絵を見ていないのです。
絵画の印象が何にも記憶に残っていません・・・。



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崖の下の風景

2018年04月18日 | 散文
都営荒川線は、池袋4丁目駅と向原駅の間は東池袋5丁目を走っていてます。
その街に大型クレーンが立ちました。




クレーンの向こうには高層マンションが見えるように、池袋5丁目は池袋の崖の下にあって開発が遅れた地域です。
崖の上は池袋の中心地です。
こういう立地的条件も「下町」と言うんですかね?
語源的には、町の上下を指していると思います。


下町に、やっと開発が始まります。



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