荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「旧近衛邸のケヤキ」のある風景

2021年06月16日 | 散文

道路の真ん中に大きなケヤキがあって、こんな説明が書かれていました。「樹齢100年を超えるケヤキの大木で、近衛家屋敷の車廻しにあったと伝えられている。地元の要望により残された。」

 

振り返る風景です。豊島区の目白から目白通りを南に越えて下落合に至る、目白の南端地区です。

 

引き換えして眺める景色です。あのケヤキです。説明書きによれば、あそこが車廻しだったようです。それならここが屋敷の一部かな?と左手のマンションを覗きます。

 

マンション名に「近衛町」の文字が見えます。

 

もう一度ケヤキに向かいます。

 

このように道路の真ん中に立っています。

 

通り過ぎて振り返ります。夜間車がぶつからないように、ライトを反射する蛍光板が設置されています。

 

近衛邸って、あの、名門貴族の五摂家の一つで、太平洋戦争時に総理大臣を務めた近衛文麿の家ですよね。戦犯に指名されて裁判に掛けられる前に服毒自殺した人ですよね。

 

少しさがります。この周辺全てが屋敷だったのでしょうね。

長身端麗にして聡明で、「聞き上手」で多くの支持者を得た反面、気力と決断力に欠け、自身は内心日中戦争の拡大には賛成ではなかったが、断固たる措置をとらず、戦争拡大を許した政治責任は重大である、と評価された人物ですよね。(コトバンク参照)

ここで振り向いたら、キリスト教目白がヶ丘教会が在りました。

流石は目白、面白そうな街です。また来ます。

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「徳川ヴィレッジ」に入ってみたら、

2021年06月16日 | 散文

こんな門柱がありました。目白の街中です。周辺は閑静な高級住宅街ですが、ここはなんか更に雰囲気が違います。二の足を踏みましたが、公道のようなので入ってみました。

 

直ぐに集合住宅が在りました。マンションだろうか?

 

更に行くと、立派な戸建てが並んでいます。

 

 

お洒落な街です。でも、ちょっと行くと塀にぶつかりました。グルリと塀に囲まれた一角です。塀の中が「徳川村」ですかね?

 

西の塀の外には煉瓦造りの大きな建物です。

 

これって、ひょとしたら、あれかな?

 

共同住宅風の建物の前を通って、

 

東口から出ました。「徳川ドーミトリー」との表示があります。これって、あの有名な女子寮です!「軽井沢に住んでいるみたい・・」なんて言っているようです。ここに行き当たったのですね。じゃあ、やっぱりあそこは・・・

 

確認に行きます。・・・やっぱり!「徳川黎明会」です。深緑に佇んでいます。

 

ということは、尾張徳川家の地所に建てた街ですね。

流石は目白、奥が深くて面白そうです。何が出るか、また行くと思います。

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深緑の自由学園明日館

2021年06月15日 | 散文

塀の支柱の濃いオレンジ色が目立っています。桜の葉がずいぶん濃くなりました。

 

深緑の明日館です。今日は訪問しません。

 

外から覗きます。気温30度超えの午後ですが、思いの外湿度が低くて木陰に入ると快適です。草原様式の明日館が涼しげです。

 

薔薇が花期を終えて緑が濃くなりました。

 

全体の景色が明日館の緑の屋根と良く合います。

 

門扉は開いています。

 

風が渡ります。

 

講堂も涼しげです。

 

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堀切駅西口の風景

2021年06月15日 | 散文

堀切駅西口広場です。駅舎前にずいぶん立派なトイレができていました。東京未来大学の影響でしょうか?

 

陸橋と水門を見上げます。

 

東京スカイツリーや浅草へ行くには陸橋を上がります。電車が風景に割り込みました。

 

スピードを落としません。普通電車しか停まらない駅です。

 

通り過ぎて行きます。

 

西口の改札とホームの風景です。

 

駅舎と線路の間に紫陽花が咲いています。今時の風景がここにもあります。

 

改札前から見る景色です。

 

駅前です。前回訪問時は、ラーメン屋でした。もう営業していないようです。ひょっとしたら、コロナ禍で閉店したのでしょうか?学生街なのに、飲食店が無い不思議な駅前です。

 

陸橋を眺めます。

 

駅舎を眺めます。

 

初めて訪問したときの西口広場の風景です。郷愁を誘う懐かしさです。

 

 

さて、陸橋を戻ります。

荒川の土手に愛車を待たせています。

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堀切駅陸橋上の風景

2021年06月14日 | 散文

堀切駅東口を出た三人全員はこの陸橋を上がりました。私は急ぐ用事も無いので線路を眺めています。

 

あれが、堀切駅西口の駅舎です。つまり、駅の中に往来する設備が無く、往来するには一旦改札を出て、この陸橋を上がり下りするしか方法がないのです。

 

すぐ近くに隅田水門です。その先は荒川です。

 

水門の背後は旧綾瀬川です。高速道路が曲がった所に隅田川が流れています。今は、隅田川と荒川を結ぶ運河です。

 

旧綾瀬川の上に東武スカイツリーラインの線路が走っており、その上には首都高速向島線が走っています。

 

反対側は、北千住方面です。ずっと広がる海抜ゼロメートル地帯です。

 

駅舎のすぐ隣には東京未来大学の校舎が建っています。

 

陸橋を下ります。右に曲がる階段と、旧綾瀬川を越えて直進する道があります。

 

あちらは鐘ヶ淵の街です。鐘ヶ淵紡績が在った頃は社員の往来で賑わったことでしょう。

 

私は右に曲がって、堀切駅西口へ向かいます。

この話、続きます。

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堀切駅東口の風景

2021年06月14日 | 散文

道路の下に電車が来て停まりました。

 

道路は荒川の土手で、電車は東武スカイツリーラインです。

 

横断歩道を渡ります。

 

土手の下に駅があります。

 

東口の改札です。

 

石段を下ります。

 

ホームに電車が停まっています。

 

電車から二人下りてきて石段を上がります。

 

電車が発車します。

 

さっきの二人は荒川土手の道を歩いています。

 

電車が去って行った改札口から覗くホームです。

 

もう一人遅れて下車していました。やっぱり土手を上がります。ついて行きます。

 

振り返る駅舎です。

 

電車を下りた三人は、全員土手上の歩道を行きます。

 

皆あの陸橋を上がりました。

私もついて行きます。

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「堀切菖蒲園通り」を行くと、

2021年06月13日 | 散文

来る途中に横切った商店街を行きます。

 

多分、堀切菖蒲園が開園しているこの時期が一番人通りが多いのだろうと思います。

 

ずいぶん民家に建て代わった商店街です。

 

 

 

「ラッキー通り商店街」と交差します。

 

この商店街も、人出はラッキーではありません。

 

七福神像がある、京成堀切菖蒲園駅へ通じる商店街です。

 

神社の裏には「十二支神」があります。

 

こちらがネズミなので、十二支の始まりですね。

こんな商店街です。まだ梅雨入りしませんねえ。

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堀切菖蒲園/2021年

2021年06月13日 | 散文

入園無料です!前回は有料だったと記憶しています。ずいぶん昔のことです。

 

けっこう広い菖蒲園です。

 

 

遊覧します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高速道路下の菖蒲園です。

 

 

 

 

 

説明板を読みます。

 

改めて捜し当てた、希少品種の「十二単衣」を見つけました。

見頃ですよ。

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「堀切菖蒲園」へ行く道は紫陽花の小路

2021年06月12日 | 散文

立て看板がありました。

 

「美人堀切遊覧図」です。こんな築山があったのですね。

 

花菖蒲の品種の説明のようです。

 

小路を行きます。紫陽花が見頃です。

 

カーブを曲がったら、ここにも紫陽花が咲いていました。

 

小路は途中「堀切菖蒲園通り商店街」を横切ります。

 

小路を行きます。

 

小路の両側に紫陽花です。

 

ここの菖蒲は途中にもある説明板だけです。

 

紫陽花の小路を行きます。

 

まるで、紫陽花園への道みたいです。

 

首都高速道路が見えて来ました。荒川と中川の間の土手を走っています。

 

目的地が近いです。

 

広い駐輪場に出ました。こんなに客があるのだろうか?

 

左側が目的地です。

 

久しぶりに訪問します。

この話、続きます。

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京成立石「呑んべ横丁」の紫陽花

2021年06月12日 | 散文

前回の景色と変わっていないようです。ここは突然景色が変わるので目が放せません。

 

紫陽花が咲いていました。季節感の無い横丁ですが、紫陽花の花がひと群れあります。

 

紫陽花の上は横丁の住居です。住んでいるのかな?

 

横丁の入り口方面を眺めます。

 

他とは変わらない呑んべ横丁の紫陽花です。

 

横丁の景色は変わりません。

 

どの店も休業中です。

 

壁を塗り変えたマツコの店も休業中のようです。

 

 

横丁へ入ります。

 

先ずはここから。あれっ!? これって、「虫コナーズ」的な物でしょうか?虫コナーズを使っていないので分かりませんが、やっぱりここに住んでいるのですね。

 

奥の店も、どこも営業していません。

 

今回の休業協力金で4万円/1日(前回は6万円/1日)貰えます。これって、小さな店だったら営業しないほうが儲かります(東京都も営業させないのが目的だし、)。月25日の営業の代わりの収入です。仕入れが無いし、水道光熱費が要らないし、どの店も一人ママさんだろうし・・・、全て手取り収入です。サラリーマンの平均収入より高いです。・・・休むわな。

 

あっ、「宝来亭」って店名だったのですね。マツコ・デラックスという宝が来ているものね。

 

呑んべ横丁の紫陽花の風景です。

営業再開はいつになるのだろう?呑んべ親父は待ち望んでいます。

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東京スタジアムから南千住駅への路

2021年06月11日 | 散文

今は無き東京スタジアムから、親父たちが通った南千住駅への路を訪ねてみます。引き続き、警察署とスポーツセンター前の千住間道を行きます。

 

「南千住警察署入口」の交差点です。

 

横切る国道4号線日光街道です。南側は日本橋に向かいます。

 

北側のすぐ先は千住大橋です。

 

千住間道を行きます。

 

 

 

やがて、コツ通りを右に行くとすぐに南千住駅前です。

 

でも、多くの親父たちはこんな路地を入ったと思います。

 

すぐに寂れた商店街に出ます。

 

「南千住仲通商店街」です。

 

大毎オリオンズが有った頃は、賑わう商店街だったと思います。どこの町でも商店街が賑わっていた時代です。

 

オリオンズファンの親父たちは、勝っては祝杯で盛り上がり、負けては采配批判で盛り上がったことでしよう。

 

こんな路地にはへべれけ親父も居たでしょう。

 

商店街の終点です。

 

横断歩道を渡ったら南千住駅です。・・・間違いありません。親父たちは東京スタジアムからこの商店街を通ったに違いありません。

今は昔の話です。

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東京スタジアム跡に行ってみる。

2021年06月11日 | 散文

「東京スタジアム」って、東京府中に在る現在の多目的スタジアムのことではありません。「毎日オリオンズ」、「大映オリオンズ」、「東京オリオンズ」、「ロッテオリオンズ」がフランチャイズとした通称「東京球場」のことです。現在の「ロッテマリーンズ」の前身球団のフランチャイズ球場です。かつてオリオンズのオーナー企業だった大映の子会社、株式会社東京スタジアムが所有・管理・運営していた野球場です。建設者は竹中工務店です。

都電「荒川区役所前停留場」脇の踏み切りを渡ります。

 

荒川区の路です。再開発で拡張した路だと思います。

 

この季節は薔薇が咲く線路脇です。

 

三ノ輪橋方面にはスカイツリーが望めます。ちょっと風情のある場所です。

 

「千住間道」との表示がありました。古くからの街道のようです。「荒川総合スポーツセンター」が在りました。

 

こんなモニュメントがあります。荒川区にしてはオシャレです。

 

そして、隣が「南千住警察署」です。

 

ここが目的地ですが、説明板は見当たりません。

 

警察署の裏には、申し訳のように野球場が在ります。

 

この警察署とスポーツセンターを中心に、東京スタジアムが在ったようです。

 

子供のころに、ロッテ製菓が球団を買収したのを覚えています。四国の田舎では、巨人しかニュースになりません。パ・リーグなんて、全球団名を知らなかった時代ですが、東京下町の熱狂的なファンに支持された球団だったようです。

大毎のオーナーであった時の風雲児永田雅一が私財を投じて造りました。大リーグのボールパークのような最先端の設備を有しながら、庶民が下駄履きで気軽に通える球場を造ったそうです。当時の南千住は低い平屋や二階建ての住宅が並ぶ下町で、忽然と現れた巨大なスタジアムから、夜になるとナイター照明が放つ光が周辺に瞬く光景から、「光の球場」とも形容されていました。しかし、一方でナイター終了後に照明が消えると夜蛾が一斉に周辺の民家になだれ込んだため、一種の公害にもなっていたそうです。

裏の野球場へ行ってみます。

 

スポーツセンターはコロナワクチン接種会場となっていました。

 

申し訳に造ったような野球場です。旧東京スタジアムは1962年6月2日に竣工して大毎ー南海戦が行われ、球場第1号ホームランは南海の野村克也捕手だったそうです。

1970年にロッテがオリオンズとして10年ぶりにこの球場で優勝を決めたとき、観客やファンがスタンドから次々とグラウンドになだれ込み、選手より先に永田雅一を胴上げし、更に「東京音頭」の歌が夜空にこだましたそうです。これが旧東京スタジアムの最高潮の時でした。

ぐるりと廻ってみます。正面の建物が警察署とスポーツセンターです。ここに在ったのですね。 当時は圧倒的にセ・リーグのファンが多くパ・リーグの集客は低迷しました。開場当初こそ15万枚の入場券を近所に配ったりして、70万人を集客しましたが、1967年の最終戦は、近鉄バッファローズとのダブルヘッダーで、両試合とも観客が200人だったそうです。

1971年夏、日清食品は本球場でカップヌードルの試験販売を行いました。これが関東地区で初めてカップヌードルが販売された場所だそうです。また夏場には旧日本プロレスが本球場で興行を行っており、ジャイアント馬場がアブドーラ・ザ・ブッチャーとシングルマッチ初対戦を行った場所でもあります。私と同年代の方は懐かしい話だと思います。

下町の親父が応援した球場の今の姿です。ついでに、親父が観戦に通った南千住の駅へ行ってみます。

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梅雨時の池之端の井戸

2021年06月10日 | 散文

いつものようにやって来ました。梅雨時の路地の井戸です。

 

季節は静かに確実に廻っています。

 

しっとりとした風情です。

 

ポンプの台座が替わったように思います。

 

いつものように、こちら側からも眺めます。

 

最初からではなくて、いつの間にかここに有る石ですが、

 

何か何処かの礎石ですよねこれ?

 

季節と同様、いつの間にか何かが変わっている井戸の周辺です。

 

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「黄金湯」の在る風景

2021年06月10日 | 散文

銭湯の煙突が在りました。東日暮里の路地です。この界隈はまだ銭湯が残っているようです。

 

「黄金湯」です。先ほど「帝国湯」を観たばかりです。屋号が他の街の銭湯とはちょっと違います。「松竹梅」とか「ツルカメ」とか「七福神」とかのネーミングではありません。まあ、めでたい名前には違いありませんが、銭湯経営は後発組ですね。古い銭湯が辞めて行って、後発組が生き残っているのだと思います。

 

銭湯然とした造りではありません。改装したのでしょうか?初めからこうなのでしょうか?

 

 

塀沿いに行ってみます。

 

路地を出た所に小学校が在りました。

 

第三日暮里小学校です。生徒数は何人だろう?東京でも特に下町は、少子化で廃校が起こっています。

 

小学校前から戻ります。どこもそうですけど、銭湯って、表と裏の顔が違います。

 

見上げます。

 

塀沿いに行きます。

 

戻って来て交差点から眺めます。

 

 

煙突を見上げます。好いです。

 

銭湯は残したい日本の文化です。頑張って頂きたいです。

・・・銭湯の定番である富士、ツルカメ、松竹が並んだ暖簾は、「牛乳石鹸」の提供なんですね。

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「帝国湯」の在る風景

2021年06月09日 | 散文

煙突が煙を吐きました。ボイラーに着火したようです。

 

この奥にボイラーがあるようです。

 

本格的銭湯の佇まいです。

 

玄関前の路地です。

 

東日暮里の街です。初めて通る路です。

 

開店前です。

 

「帝国」なんて、銭湯らしくない屋号です。

 

玄関前に袋小路があります。内湯がありそうな住宅街です。

 

袋小路から見る帝国湯です。

 

そして、先程のボイラーに至るコインランドリーです。

 

裏に回りました。

 

広い敷地の銭湯です。銭湯はどこでも広い敷地を持っている資産家です。

固定資産税を払わなきゃならないし、客は減る一方で経営は大変だと思いますが、銭湯は残して欲しい日本の文化です。いつまでもそびえていて欲しい煙突です。「帝国湯」ですもの・・・。

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