金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【雑感】 自らが、自らの存在を否定する絶望感

2019-06-20 07:11:19 | 雑感

 昨日の続きです。

 周囲だけでなく、自らも「自らの存在を否定する」心理に到達すると、それは絶望感のレベルとなります。もう自分に何も期待しないし、希望は消え去ります。しかし、なぜそんな絶望的な状況となったのか、誰の責任なのかを、うつろうつろ考え続けることになります。

 自分に絶望した時に、それでも自らの責任感が残っていると、これは自殺心理になっていくのかもしれません。でも、それだけの責任感を身に着けるには、学生の頃から体育会などで大きな重荷を背負った経験とか、社会人になってから仕事人として鍛えられた経験が必要でしょう。そんな経験もないまま、絶望感に追い込まれていき、そこから逃げようと、自分以外の何かに責任を押し付ける心理になっていくのだと思います。

 もちろん、そんな心理は自分勝手で許される内容ではありませんが、その状況を何もせずに放置することはあまりに非情と言えますし、また日本社会にとって有益ではありません。むしろ、救う手立てを用意することが、社会にとってサステナブルな行動だと考えるべきです。

 彼らを救うには、彼ら自身が自らの存在を肯定できる世界・場所を用意することに尽きます。彼らが行動できる場を設営して、そして「感謝の言葉」を彼らに伝えることだと思います。

 どんな場面でも良い。見知らぬ人からの「ありがとう」という言葉は、人のハートを溶かす最良の薬だと思います。


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【雑感】 「暗黒の10年」と一連の連鎖事件 その2

2019-06-19 07:34:03 | 雑感

 1995年から2005年頃までの期間を「暗黒の10年」と呼ぶと、そんな時代に学生生活を送り、ニートとなり、引きこもりとなった人たちはどのような経験をしていたのでしょうか。

 小学校・中学校はバルブ真っ盛りの時代なので、親からは派手な贈り物をもらい、また愛情たっぷりに育てられたはず。良い中学・高校・大学を、親の期待どおりに進学した子供も多かったでしょう。しかし、暗黒の10年では親世代とは比較にならないくらい、就職の壁は高くそびえ立っていました。心ならず、正規社員ではなく、非正規として働き始めたり、あるいはコンビニでのアルバイトで何とか次のチャンスを探しているうちに、経済の状況はさらに悪化、大手銀行や大手証券すら破綻する時代に。

 この時に、親や周囲の見方が大きく変化します。「そろそろちゃんと就職したら‥」「真面目に働きなさい」という発言が出てくると、あれだけ愛情をもって接してくれた周囲が「自分を否定的に見ている」という状態へ180度変わってしまいます。自らも自信を失っているところに、一番信じていた両親や友達からも「否定」される存在に変化することは、想像を絶するほど辛い状況だと思います。そして、その心理は「自らも、自らの存在を否定する」という状況へ到達していきます。

 自分の存在は無意味、という絶望感です。(明日へ続く)


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【雑感】 「失われた20年」、特に「暗黒の10年」の負の遺産

2019-06-18 07:24:48 | 雑感

 失われた20年というと1990年~2010年あたりを指すことが多いですが、特に1995年から2005年までの10年間は「暗黒の10年」と言っても良い時代であり、この頃に就職活動を行った学生は、正社員になれるチャンスが少なく、しばらくの間「ニート」と呼ばれてアルバイト生活を余儀なくされるケースも珍しくありませんでした。

 そして、彼らの中には、今でもニート状態や、場合によっては老いた両親に家計の殆どを頼らざるを得ない状態の人も、かなりの数が残っていると報道されています。年齢も35歳から45歳くらいになるそうです。

 直近発生している川崎の事件や、元事務次官による殺人事件、さらに大阪吹田市の拳銃強奪事件などを見るに、こうした事件の連鎖の背景に、上記の暗黒の10年があるのでは?と感じるのは私だけでしょうか。

 景気の浮き沈みや、競争激化の中で、職を失ったり、居る場所を失ったりすることは資本主義の中では容認せざるを得ない事象ではありますが、景気が戻り、また拡張を狙うときに、彼らに対して、改めて居場所を用意することを優先的に考える必要性を切に感じます。

 「世間に切り捨てられた」「誰とも繋がることができない」と孤立する人間が、意を決して思い立つと、これらの悲惨な事件になるのだと思います。(明日に続く)


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【競馬】宝塚記念のコース変更について《主張》

2019-06-17 07:15:21 | 競馬

 宝塚記念の出走予定馬については、15日16日の血液検査が20日までに判明するそうなので、場合によっては有力馬の多くが出られないというケースがあるかもしれません。いやはや大変なことになりました。とは言っても、宝塚記念については主張し続けたいことがあるので、ここで申し上げたいと思います。それは、内回り2200mというコースについてです。

 以前、天皇賞(春)についても京都3200mをやめて、阪神2400mに変更すべきと主張しましたが、競馬開催日程の問題があるのなら、天皇賞(春)は京都2400m、宝塚記念は阪神1800mにしてはどうかと提案いたします。

 世界の潮流では、チャンピオンホースを決める距離は2400mから2000mへ変わりつつあります。また3000m以上のチャンピオンズレースは、日本を除くと豪州以外には見当たりません。それなのに、日本の春競馬の古馬戦線は、京都3200m⇒阪神2200mという非常に中途半端なコースが王道になっています。それを埋めるために「大阪杯」をGⅠにしたのですが、何と言っても阪神2000mは小回りのショボいレースで、チャンピオンを決めるコースとは言えません。

 一方で、京都2400mはスピードとスタミナの両方を求められるコースであり、内枠外枠の有利不利もありません。古馬春の長距離路線の新しい姿として相応しいレースになると思いますし、まず出走メンバーのレベルが上がって、天皇賞(春)のレースの格が引き上がると思います。

 そして本題の宝塚記念ですが、阪神1800mは何と言っても、ワンターンで直線が長く、本当に強い馬でないと勝てない名コースです。また、大阪杯(阪神内回り2000m)⇒天皇賞(京都外回り2400m)から流れてくる中長距離路線の馬と、安田記念(府中1600m)から流れてくるマイル路線の馬が、宝塚記念の阪神外回り1800mで激突することが、春競馬のドリームレースに相応しいと思います。さらに、次世代の種牡馬選定レースの意味からも、1600mから2000mを重視する姿勢を世界に対して示せるコース変更だと考えます。

 JRAの皆さん、ぜひご一考をお願い致します!


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【競馬】JRAの緊急時対応、まずはお見事!

2019-06-16 07:51:26 | 競馬

 土日あわせて150頭以上の出走取消というのは前代未聞の大事件でしたが、枠順決定後の金曜日からのJRAの緊急時対応はお見事でした。

 今報道されている内容だと、厩舎側には落ち度はなく、飼料メイカーあるいは原材料の供給サイドに問題がありそうですが、ここは原因究明がきちんとなされるのを待ちましょう。気になるのが、来週の宝塚記念をはじめ、今後のレースへの影響ですが、当面の間、個々に出走予定馬の全頭検査を続ける見込。したがって、有力馬が検査に引っかかれば、本命候補がレースに出られない等の影響は、これからも続くと思います。ただし、公正なレース開催の観点からはやむを得ません。

 今回の一連の経緯の中で、一番感心したのが、JRAの緊急時対応でした。金曜日朝の枠順決定時にはまだ事件の情報がなく、そのあとに事態発生があったと推測できますが、土曜競馬のための競走馬運送など、バタバタの金曜日の深夜の段階で「飼料を食べた可能性のある全頭の出走取消」を決断したことはまさに「英断」だったと思います。

 この判断があったからこそ、土日の競馬も何とか開催が成っている訳で、必要最小限の影響にとどめることができています。

 もちろん、厩舎が使っている公式の飼料・薬品などの検査体制やモニタリング体制など、課題が浮き彫りになった訳ですので、再発防止に向けた体制整備は厳格に進めていく責任をJRAは負いました。ここはしっかりお願いしたいと思います。



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