昨日の続きです。
周囲だけでなく、自らも「自らの存在を否定する」心理に到達すると、それは絶望感のレベルとなります。もう自分に何も期待しないし、希望は消え去ります。しかし、なぜそんな絶望的な状況となったのか、誰の責任なのかを、うつろうつろ考え続けることになります。
自分に絶望した時に、それでも自らの責任感が残っていると、これは自殺心理になっていくのかもしれません。でも、それだけの責任感を身に着けるには、学生の頃から体育会などで大きな重荷を背負った経験とか、社会人になってから仕事人として鍛えられた経験が必要でしょう。そんな経験もないまま、絶望感に追い込まれていき、そこから逃げようと、自分以外の何かに責任を押し付ける心理になっていくのだと思います。
もちろん、そんな心理は自分勝手で許される内容ではありませんが、その状況を何もせずに放置することはあまりに非情と言えますし、また日本社会にとって有益ではありません。むしろ、救う手立てを用意することが、社会にとってサステナブルな行動だと考えるべきです。
彼らを救うには、彼ら自身が自らの存在を肯定できる世界・場所を用意することに尽きます。彼らが行動できる場を設営して、そして「感謝の言葉」を彼らに伝えることだと思います。
どんな場面でも良い。見知らぬ人からの「ありがとう」という言葉は、人のハートを溶かす最良の薬だと思います。