金融マーケットと馬に関する説法話

普段は資産運用ビジネスに身を置きながら、週末は競馬に明け暮れる老紳士の説法話であります。

【雑感】日経新聞の「私の履歴書」 歴代最高傑作は?

2019-06-15 08:05:44 | 雑感

 日経新聞の「私の履歴書」、1956年から続いている名物コーナーです。過去に掲載されたメンバーも日本の各界を代表する凄い顔ぶれで、基本的には飛びぬけた才能を輝かした人しか選ばれません。

 しかしながら、経済界や政界の「私の履歴書」は大抵面白くありません。この世界で功成り名を遂げた人というのは、自慢話が大好きな上に、失敗話は一切出てきません。また、読者が一番聞きたい「不祥事の裏側」や「スキャンダル」にも触れることがありません。過去の記憶をすべて綺麗なものに置き換えてしまうんですよね、権力者の習性として。

 その点、潔く過去を赤裸々に語ってくれるのが、昭和の名女優たちです。有馬稲子さん、佐久間良子さん、浅丘ルリ子さんら。有馬さんは市川崑監督とのドロドロ不倫地獄を赤裸々に語った上で、妊娠・堕胎というショッキングな事実を明らかにしました。佐久間さんも独身時代の、既婚者鶴田浩二さんとの愛人関係を吐露、また浅丘さんも小林旭さんとの恋愛・破局を悲しいエピソードとして明らかにされました。

 昭和の時代、経済的に自立している数少ない女性だった彼女たちが、自らの責任で、自由に人を愛し、傷ついた様を赤裸々に語ることは、今の時代を生きる女性たちに、大きな教訓と勇気を与える内容だったのではないかと感じています。彼女たちは自分の生き方に誇りをもっていて、何も後悔していませんよ、と伝えたかったのだと思います。それにしても、凄い勇気です。

 ちなみに、私が選ぶ歴代最高傑作は、何と言っても、江夏豊さんの「私の履歴書」です。高校までの母子家庭の境遇、突然のドラフト指名、村山への想い、王・長嶋との対決、野村監督とクローザー革命、そして江夏の21球。この人の凄いところは、こうした栄光に加えて、自らの覚醒剤事件を謝罪する下りや、最近になって実の父親が誰かを知ることになり、今までの葛藤と許す気持ちを語るところ。涙無くして読めません。

 ぜひ一度お読み下さい。日経電子版で、ときどき無料開放していますよ。


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【猫】 猫は、人の心の隙間に入り込み、昼寝をする。

2019-06-14 07:21:05 | 

 うちのもなか姫は、人の心に隙間ができた時、その隙間に入り込んで、ハートが癒えるまで昼寝を続ける猫です。

 人間と猫は、その昔から共生関係にあるパートナーなのだそうです。人間は農業を始めた時から、食糧庫を保有するようになったのですが、ネズミ等の小動物に荒らされる事態に悩まされていました。ところが、ある頃から荒らされる倉庫と荒らされない倉庫があることに気がつき、その違いが猫の存在だったと。つまり、人間が猫を家畜として利用したのではなく、猫が人間の倉庫には自分の食糧であるネズミがいることに気づいて、猫の方から近づいたという説が有力なのだそうです。したがって、猫は家畜と言われることは少なく、むしろ共生関係にあるパートナーとして関係づいてきたと。

 近年になって、ネズミの被害を猫が防ぐという役割が都市部では小さくなってきました。それでも「共生するパートナー関係」には変わりがありません。それは、猫が人間に対して、人間のハートが傷ついた時、心を癒す役割を担うからだと私は考えています。

 不思議な経験を一つご紹介します。普段はうちの猫は私のヒザの上には乗りませんが、今から6年前に、どうしても我慢のならない事態が仕事上で発生して、私は良い年をしながら一人ソファーに座って悔し涙を流しておりました。すると、まだ子猫だった「もなか姫」が私のヒザに乗って、自分が流した涙を優しく舐めはじめたのです。しかも、そのままヒザの上で寝てしまいました。まさに人の心に隙間が見えた時の猫の行動です。それ以来、私が彼女の僕(しもべ)となったのは言うまでもありません。

 日本の伝統風景として、「老婦人の膝の上で昼寝をする猫」がありますが、独り身となり孤独な生活を送る老婦人の心には、猫から見て、たくさんの隙間が存在しているのでしょう。だからこそ、いつも膝に乗り、昼寝を続けているのだと思います。


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【金融】 それでも、日本人には資産形成が必要です!

2019-06-13 07:28:43 | 金融マーケット

 金融庁の報告書問題を取り上げるのは三回目ですが、まぁ一言で申し上げて、大変不愉快な展開になっています。本日朝の日経新聞社説のように、ようやく真っ当な意見がメディアから出てくるようになりましたが、まだ少数派です。多くのマスコミは「事件」として面白おかしく報じており、報道機関として見識の乏しさを露呈しつつあります。

 そもそも、公的年金や企業年金だけで、左ウチワで生活できると思っている人がどれだけいるのでしょうか? 真面目に老後の生活を思いめぐらす人からすると、今回の政治サイドの対応は全く納得がいきません。一般サラリーマンの間では、老後の生活について自助努力が必要なことを理解している方は相応にいらっしゃいます。しかし、どのくらいの貯えがあれば、どの程度の生活水準が保てるのかが判らないため、不要な不安が蔓延しているのが現実だと思います。例の2000万円問題は、平均的なサラリーマンにとって理解しやすい事例だっただけで、個々人からすれば個々に必要金額は異なるのは当たり前。事実、報告書には「個々には異なる」旨が再三記載されていました。そこを無視して2000万円だけを政治的に利用するやり方は、はっきり卑劣な行為だと思います。

 若い頃から時間をかけて資産形成を行うことの重要性について、政府は7年前から「所得控除」という切り札まで使って、広く国民に普及させようとしてきた事実があります。NISA創設やiDeCoの利用対象範囲の拡大は、いったい何のためだったのでしょうか?

 とにもかくにも、このテーマを選挙の材料にしようとした人たちのことは絶対に許せません。この国民的課題を浸透させるために、金融庁の総務企画局はもちろん、日銀の情報サービス局も、そして多くの金融ビジネスに関わる人々がコツコツ積み上げてきたものを、一気に破壊する行為だと受け止めています。何のための政治なのでしょうか?

 もし、このテーマを参議院選挙で本気で取り上げるのでしたら、野党も与党も、まず候補者のお一人お一人が「日本人には資産形成の習慣が必要か?否か?」という質問に YES or NO でお答え下さい

 ちなみに、「いや、そういうことではなくて‥」とゴマかす人は、まず立候補する資格すらないと判断いたしますので、悪しからず。


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【金融】中国海軍「遼寧」、沖縄本島と宮古島の間を通過

2019-06-12 07:57:46 | 金融マーケット

 6月11日朝、中国海軍の空母「遼寧」が、沖縄本島と宮古島の間を通過して、東シナ海から太平洋に展開したそうです。こうした行動は2016年と2018年に次いで三回目。

 公海上を通過するだけですから、何かこちらから抗議する内容のものではありませんが、明らかに牽制行為と言えます。前にも書きましたが、日本と中国にとって、沖縄本島と八重山諸島・宮古島の間というのは、一つ間違えれば国境ラインとされていた場所です。

 簡単に振り返ると、琉球王国はそもそも独立した海洋国家でしたが、中国との関係では明・清とは冊封関係、すなわち臣下の関係であり、また17世紀からは薩摩の直接支配を受けた国でした。つまり主筋が2つある存在であり、明治以降、その領有については日本と清国で長きにわたり協議事項となっていました。明治12年に明治政府が琉球王国を強制併合して沖縄県とした後、それに異を唱える清国との協議が続き、明治13年には日本から清国に対し、八重山諸島・宮古島は清国、沖縄本島は日本、という案を提案してほぼ合意しかけましたが、清国内部や沖縄からの反対もあり調印には至りませんでした。その後、日清戦争が勃発、結局は明治28年の日清講和条約で台湾が日本に割譲されたため、先般の協議内容はうやむやになりました。

 現在は、名実ともに日本国領土であり、日米安保の枠内ですから、バタバタと慌てる必要は全くありませんが、もし台湾の領有問題が片付いた時、中国がこの地域に対する領有権を強く主張してくることは間違いありません。今からでも、日本人として、八重山諸島(石垣島・西表島・与那国島・竹冨島など)および宮古島を真剣に守る意識を持たなければなりません。

 冒頭の中国海軍の牽制行動は、彼らが尖閣諸島の先に、八重山諸島・宮古島の領有まで見据えたものであることを忘れてはなりません。


 


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【雑感】 人は何のために生きているのか?

2019-06-11 07:14:06 | 

 世の中、哲学本や、歎異抄などの宗教本が売れているそうです。「人は何のために生きているのか?」という問いかけに、多くの人間が歩みを止め、自らの存在する意義を考え抜くことで、新たなイノベーションを生み出す力になるとのこと。

 しかし、誰もがスティーブ・ジョブズや安藤百福のようなイノベーションを引き起こせる訳ではなく、殆どの人間はむしろルーティンワークに身を埋め、黙々と働く日々を過ごします。そこに「人は何のために生きているのか?」を問うていくのは、非常に残酷な行為にも思えてきます。


 ところで、我が家で同じ問いかけを妻にしたところ、「私には迷いはございません」とのこと。「私は、うちの猫(もなか姫)に奉仕するために生きているのです。何の迷いもなく、毎日幸福感に包まれております」との返答。

 そう言えば、うちの猫は、私がクリーニングが終わったスーツをおろすと、必ずズボンの裾に自分の毛を着けに来ます。それは「自分の所有物」だという刻印なのだそうで、私は彼女の所有物(エサを持って帰ってくる奴隷のような存在)ということのようです。それはそれで大変光栄だと感じているので、私の感覚も妻のそれと殆ど同じと言って良さそうです。

 そうか。私はうちの猫のために生きているのか! 何だか、幸せな気分になってきました。



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