おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

なに なさってんですか161 草を抜いてます

2015年04月21日 00時00分00秒 | 農業

写真1 麦畑①に女性、Aさん-白円の中-


写真2 引抜いた草を後ろ手に持つAさん(仮称)。写真1・②の麦畑


写真3 引抜いた草が並ぶ、写真1・①の麦畑


写真4 2015年01月25日の麦畑。①は写真1の①、②は写真1の②


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 麦間裸地のユウガオ植付け予定地を撮っていると、隣り麦畑に女性(写真1)
 現場に着き、なに、なさってんですか、次のよう

   草を抜いている
   勤務休日に農作業する長男に少しでも役立ちたい
   “やってやんないと倅がかわいそう”
   長男は同居し、イエ・家と農業を継いでいる
   
   農家のなかには売れる田畑は売り、売れない田畑は草茫々にして迷惑かけている
   先祖が一生懸命残してくれた田畑なのに

   草を抜いている麦はビール麦
   畑の砂埃、作土嵐(弊ブログ2013年03月12日)を防ぐため
   今年は雨が多く、埃・作土嵐は少なかった
   麦は販売せず、トラクターで作土の中に混ぜ込む(弊ブログ2013年06月06日

   草抜きの女性Aさん(仮称)は1933年(昭和08)生まれ82歳
   80歳を超えたとは思えない、身も心もお元気
   当地に暮らして82年
   “こんなになるなんて夢にも思わなかった”
   まず、ヤマ・平地の開発、宅地化
   ヤマの中には、低くていつもベチャベチャの所があった
   そのヤッチャベも住宅地になった
   ヤマではキノハサライをやり、草を刈った
   草は牛の餌にもした
   次に、麦はカネにならない、手間賃も出ない
   反って赤字、収入無いのに固定資産税を払わねばならない
   さらに、働きは楽になった
   若い頃の農具は鍬と万能、犂、大変だった
   次第に耕耘機とカルチベーターが入り、今はトラクター
   

   かつて、当地の60~70戸の農家はすべてユウガオを栽培し干瓢を造っていた
   ヒゼニ・日銭が入り、その日のオカズを買えた、農家は息をつけた
   子どもがいっぱいいて、親はヒゼニ確保に、暮らしに大変だった
   天気の良い日、商売人が買いに来て、その場で現金払い
   5貫目、10貫目と小分けして売った
   まとめて大量に売る際はガンガン・ブリキ製容器に入れた
   今、ユウガオ栽培・干瓢農家は1戸だけ

   20~30年前まで、とーちゃんたちは、今80歳代の男性は、冬場、東京へ出稼ぎ
   朝1番電車に乗り、夜8時頃帰宅
   かーちゃんたちは5時起きで弁当作った
   製袋工場ができて冬の俵編み、筵造りが無くなったので出稼ぎ
   夏は干瓢造りで出稼ぎどころではなかった
   当時の作物は米、ユウガオ・干瓢、ビール麦・小麦、甘藷、サトイモなど

   当地にも開発の波が押し寄せ、出稼ぎは無くなった
   “大きい百姓”はイチゴ栽培に転換
   開発は小金井電車区開設、宇都宮大学総合農場・平地林⇒日本住宅公団等による住宅団地造成
   県蚕糸試験場・畜産試験場⇒自治医大開校など
   左官、大工、土木の仕事で働けた
   宇大農場がある頃、学生さんがカランコロン、カランコロン、下駄で実習に来た
   
   子ども世代は学校を卒業すると、多くは会社勤め、出稼ぎはない
   自分の長男・後継者(1957年生まれ)は、2~3年後に定年を迎える

 執筆・文責・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真1~写真3;2015年04月18日
 撮影地:栃木県下野市
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