写真1・写真2 1番耕起だけの田で採餌のハシボソカラス(同じ個体)。水稲ヒコバエのシイナなどを採っている
写真3 カラスのつがい、1番耕起だけの田で採餌。写真1・写真2の個体は左の個体
②は弊ブログ2015年10月30日写真3で紹介した先祖返りのジュウガツザクラ
写真4 筆者に驚き、写真3の②から①へ逃げたスズメの群(一部)、警戒の目。カラスがいてシイナを啄ばめない
逃げる際、枝にぶつかる音がした、傷つく?
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本日は正月11日
明治初期、栃木県上三川町の在村耕作地主K家は、正月11日(旧暦)の午後、鍬入れで仕事休みだった(注1)
1986年、K家世帯主に鍬入れについて伺うと次のよう
早朝、田に松枝を切って3~4本刺す
餅を2~3個袋に入れて枝に吊るす
“カラース、カラース”と呼ぶ
30年後の本年2016年
上三川町の隣なり下野市の石嶋いちご園(弊ブログ2016年01月08日)で鍬入れについて伺う
当園は正月02日(新暦)からイチゴ摘みを始めた
ご教示は石嶋いちご園の父上(78歳・1937年生まれ)と母上(76歳・1939年生まれ)
次のよう
現在、鍬入れはしない
若い頃、行なった
ダンナが主に行なう、セガレがいると2人で行なうこともある
鍬入れまで田や畑で農作業をしなかった(本年の農作業始め:弊ブログ2016年01月06日)
吉方の田や畑、各1ヵ所で夜が明けるのを待ってアラレをまいた
“カラース、カラース”と大声を出しながら米や野菜などの種の代わりにまく
したがって、鍬入れをカラスヨバリ(烏呼ばり)と云う
アラレは餅を切って煎ったもの
アラレをまく前、枝が3本出る松・サンガイマツ(三階松)を田と畑に各1本立てる
各枝にヘイ・弊をつけた松
ヘイは自家で半紙を切り、神棚に上げて祓う
松の下に敷いた半紙に赤飯と煮干しを置き供える
早稲、中稲、晩稲に想定したアラレも置く
カラスが先に食べたアラレの想定稲に“当たる”、出来が良いと占った
母上の生家(同じ集落)のアラレは次のよう
年末に餅を搗くとき、蒸し餅米の一部をとっといて干す(ヒトサモチ)
それを炒ったアラレを種の代わりにまいた
すなわち、カラスヨバリは農作業始め、農作物の豊凶占い、予祝などの儀礼である
注1 栃木県河内郡上三川町、在村耕作地主K家の1875年(明治08)~1889年(明治22)の日記に記される
引用・参考文献等:筆者著「明治初年における農家の休日-北関東平地林地域の在村耕作の日記から」『農村研究』第79号(東京農業大学農業経済学会・1994)09~20頁
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2016年01月09日 撮影地:埼玉県久喜市東大輪新田
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