駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ゴミ箱の中身

2012年10月07日 | 世の中

       

 診察室には中くらいのゴミ箱が備えてある。それが二日で満杯になる。中身は99%紙類だ。その殆どが、製薬メーカーのMRが持参した宣伝用のパンフレットや作用副作用情報などの郵便物である。それらは多くが高級紙を用いた美しく厚手の物だ。一部役所や医師会の通達や連絡もあるが、これらは薄手の廉価な紙に印刷されている。

 MRが持参した場合は説明があれば簡単に聞いて、彼等が帰ったあとで捨てる。唯、置いていくだけの時は一瞥して捨てる。郵送された物も十秒ほど読んで捨てる。八割の医師はそうしているだろう。残りの医師は全く読まないと思う。ある程度時間を掛けて読む医師が居るかも知れないが、時間に余裕のある暇医師で希だろう。

 さすがに、立派なパンフレットを捨てるのは気が引けるので、要らないと押し返す事も多い。しかし、恐らく会社を出る時に、何十枚ものパンフレットを今日はこれだけ仕事をしろと送り出されるのか、そっと机の端において帰るMRも居る。

 情報というのは要る時に欲しいので、ノンビリしたい時や書類を書いている時に訪れて、今度の製品はとか当社の**はとても何とかと聞かされても、ああそうかねと浮き世の義理で聞いてあげるだけで、成る程そうかということは少ない。唯、何回も聞くと名前と効能は頭に残るので、必要な時にそれを思い出して調べる手がかりになる。恐らくそれが彼等の目的役割なのだろう。

 いずれにしても、製薬メーカーの宣伝用のパンフレットはその運命を考えると勿体ないと思う。殆ど読まれず捨てられても、元が取れるものだろうか。経費は薬価に跳ね返りメーカーとしてはさほど負担ではないとしても、結局は消費者である患者さん延いては保険者に及んでゆくのだ。勿論、費用が掛かりそれだけの雇用を生み出すので、そうした意味の効用はあるわけだが。

 無駄とか勿体ないというのはごく狭い範囲の感覚で、大きな流れの中では又別の意味合いが出てくるようだ。それが政治経済というものだろうが、個を対象とした仕事をする技能者の町医者の私には、ゴミ箱には勿体ないが詰まっているような気がする。

コメント
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