先日、同年代のおばさんが受診された。「三十年前、先生に助けられたのですよ」と言われる。えーそんなことがあったかなあ、全く記憶がないので驚いた。三十年でかなりの変化があるにせよ、顔にも憶えがない。患者さんは「先生は、ああ、これは**ですよと外科に紹介してくだすった。先生が初めて病気を見付けて下さった」。と言葉まで憶えておられるようだ。多分二回しか診ていないようで、外科に送ってしまったので憶えていないのだろう。十年前なら憶えていたかもしれない。こうしたことは時々あり、市の会合やレストランで、見知らぬ人が寄ってきて「いつぞやはありがとうございました」とお礼を言われることがある。
最近は殆どなくなったが十年くらい前まではああすれば良かったという症例の夢を見ることがあった。よく試験の夢を今でも見ると言われる方が居るが私は試験でなく、うまくいかなかった患者さんの夢を見た。若気の至りというのがあり、どの医者も口を噤んで言わないが、若い時には天狗になって失敗する。恨んでいる患者さんも居られるはずだが、幸い恨みごとを言われたことはない。運が悪かった病気が悪かったと思っておられるのだろうか。しかし、診た医者には三振した記憶は忘れがたく、今でももう少し知識と経験があったらと思い出す。昔は何というのか、今ほど研修教育が行き届いていなかった。まあそうした秘かな経験が医者を育てる側面はあったのだが、申し訳なく思っている。
誰でもそうかどうかは分からないが、私の心はうまくいったことよりもうまくいかなかったことの方を憶えているらしい。