夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

星に祈る

2011年03月25日 05時18分53秒 | その他
僕は星空が大好きです。大好きって言ってもこれが何座とかあれは○○星とかはまったく判りません。判るのは月と北斗七星と小熊座くらいです。でも、あの天空一面に広がる瞬きは何度みても飽きることがありません。大好きです。
 南の島でやる磯からの大物釣りを離れて数年の歳月が過ぎましたが、南の島や孤島で見る夜空はこちらの空とは段違いに綺麗で、釣り竿で触れるのではないか?と思えるほど低く見えます。それは重苦しいほどに迫ってくる感じです。こちらでは見られない天の川などもはっきり見えて、流れ星も数多く見られて・・・行く度に毎回しばしの時を磯の上で仰向けに寝転んで星たちを眺めて楽しんでいました。釣れなくても釣れなくても出かけていたのはあの星空を見に行っていたと言っても過言ではないほどです。
 ところで話は変わりますが、犬の散歩は僕の日課となっています。僕の担当は昼と夜です。夜は南の島とは遥かに違う星空を眺めつつ近所をふらつきます。僕が住む関東地方は空気が汚れているので南の島などからするととても粗末な夜空なのですが、その中に僕のお気に入りの星があります。願い事があったりするとこっそりその星に祈ったりして・・・。年を重ねて来ると特別な欲もないので、最近では『今日も生きています。ありがとう。』くらいしか言えないのですが、雲が無い日には毎日お話しています。
 で、その星なのですが、いつもはちょっと見え辛い星なのですが、最近、特に地震以後はなんとなく良く見えるようになりました。良く見ればその星だけではなく、総ての星が今までより鮮明に見えて来ています。ガソリン不足によって走る車の数が減った事やガソリン不足や停電で工場が停止して稼動停止する時間が長くなったことによる結果、空気が綺麗になったからでしょうか?理由はとにかく、少しだけ南の島に近づいた夜空です。そして、空を仰ぎながら、今日は不謹慎にも『もう少しこの状態が続いてくれればここからも天の川が見えるかもしれないなぁ・・・』なんて思ってしまいました。
 勿論、放射能で汚れている空気ですから実際はそれほどいい空気ではないのですが、幸い放射能は目では見えないので、それが幸いしています。
 
 ところで壊滅的破壊を受けた東北や関東の主要都市はこれからどんどん再建が始まると思います。再建にあたって是非素晴らしい街にしていただきたいと思っています。こんな事は部外者の僕より、当事者の方が強く願っている事でしょうが、素晴らしい街ってそれぞれの人がそれぞれに思い描いていて、それは同一のものではないと思います。ではどんな街が素晴らしい街なのでしょう?皆様が考える素敵な街とはお洒落な街?便利な街?・・・色々あると思いますが、まず一番大切だと思うのは自然に融和した街にする事だと思います。今回の津波でもそうですが、自然の力は人の想像を遥かに超えています。我々はそれに逆らう事なんてとてもできないことを今回学習しました。総延長2.5km、高さ10mの防潮堤を莫大な税金を使って建設し、海外からも視察が来るほど津波に対して強い街づくりを進めていた田老町でさえまったく効果を成さないものでした。それは未曾有の出来事と専門家は言いますが、良く調べれば1896年(明治29年)に明治三陸地震津波で、岩手県沿岸の綾里では38.2m、吉浜で24.4m、田老で14.6mの津波が観測されています。わずか100年ちょっと前にこういうことが起こっているのですから未曾有とは到底言えません。自然はその力に抵抗しようとすると、一旦そこで力を溜め、その限界を超えたときにはその溜めた分の力も合わせて襲いかかって来ます。よって、我々が大きく抵抗すればするほど破壊力も増してくるのです。このような経験が今後に生かされ、今回のような大惨事に至らないような街作りが基本になると思います。このような基本的なことを考えず、ただ闇雲に短絡的な考えの下で街作りが進められたとしたら、まず安心して暮らせる街にはならないでしょう。よって大規模な堤防、直線的な河川などは不要な物として考えられる街作りが必要だと思われます。我々の力は自然の前ではとても微力であることをもっと理解するべきです。

 僕の人生の師と仰いだ故人が言っていました『神様は色々な試練を与えますが、超えられない試練は絶対に与えません』って。この言葉がこの故人の言葉なのかどうかは分かりませんが、この言葉に間違いはないと思います。被災された方々は今とても大変な状態でしょうが、この言葉を信じ、国や業者の甘い言葉に騙されず、笑顔が絶えない素敵な街ができるよう遠い空から祈っています。