さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴をはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。 (宮沢賢治「風の又三郎」)
山の分校に転校してきた九月一日も、再び転校して行ってしまった日も大分過ぎてからの完成になってしまいましたが転校初日の又三郎君。最後の最後で顔部分に赤みを入れようとしたら焼成に失敗してしまい、イチからやり直しでした昨年種山高原近くの、木細工分教場を訪れた際に浮かんだイメージが、1年の時を経て形になりました。
昨年の種山高原行きの記事はこちら。今年は多忙により行くことができませんでした…。
山の分校に転校してきた九月一日も、再び転校して行ってしまった日も大分過ぎてからの完成になってしまいましたが転校初日の又三郎君。最後の最後で顔部分に赤みを入れようとしたら焼成に失敗してしまい、イチからやり直しでした昨年種山高原近くの、木細工分教場を訪れた際に浮かんだイメージが、1年の時を経て形になりました。
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