先日、直会のお誘いをいただき、出席した時、
以前より家の片づけをお薦めしておいた方が出席されていたので、
「片づけはすすみましたか?」と聞いたら、
全然取りかかっていないとのお返事。
同席のお友達が、火事にでもならんと片づけんわなあと、
笑っていたら、翌日の夜のこと。師匠からメールで、
「今、〇〇さんの住んでいるマンションで火事みたいよ。」
と、知らせてきた。
ちょうどニュースをみようとしていたのでテレビを点けたら、
その映像だった。
幸い、ご本人の家からの失火ではなかったが、その火事のために
しばらくは、マンションには住めないとのこと。そして、家財道具の
ほとんどは使えない。それから、各家庭の火災保険の関係で、
これからのことはまだ予定がたたないらしい。
面白いというと、ご不敬に感じられるかもしれないが、
本人はけろりとしている。
片付けに関してはこういう場合、市からの補助・援助が使えるそうだ。
助かったわ。と本人はいたって喜んでいる。
よいこともわるいことも、そこだけをみて、落ち込むこともないし、
親戚からも、片づけるよう言われていたのを放置していたが、
こうなっては、片付けるしかなくなった。強制的にではあるが、
せざるをえないこととなった。それを淡々と行っている。
病気を抱えていて、今月は手術も控えているので、家が無くとも
困らない期間だから、それまでは親戚に居候するそうだ。
起こることをどう受け止めるか。そして、それを呼び込むことの
本質もよくわかる。
どうであれ、自分の世界で認識して、すべてを行う。
それは、誰も同じなのだ。
実は、直会の前日に師匠が、ふと、火事には気をつけんとね、
とつぶやいた。どういうことですか、と聞いたら、
特別な意味はないけれど、感じたからと言う。
「うーん。
自分が気を付けることも大事だけど、(マイナスエネルギーを)
呼び込み易い因子は極力排除していないとね。
巻き込まれないことも、自分を大事にすることだなあ。と、
感じたわけさ。」
片づけとは、それまでのいろいろな思いも一緒に捨てることだ。
物にも付着している様々なエネルギーがあるのだ。
そのことに気がつく感性も持ち合わせたいと、思う。