自分の思考なのか、それともエゴなのか、
判別が難しい時は
ただ、沈黙をする。
そうしても、語りかけてくるのであれば、それはエゴ。
だが、それこそが好機。
そういうエゴも自分自身。
語りかけてくる声にじっと耳を傾ける。
語りかけのとおりにすることなく、じっと聴く。
そうしていけば、エゴは勢いを失う。
それを繰り返すことで、今までとは逆の訓練を施す。
自分の澄み切った状態へと近づける。
だから、悲観することなく、ただ、ただ、流れの中で
穏やかさを感じていける。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣
そんな体験をしました。
とても気に入って購入した服にモンダイがあって(表示タグなし。
気付かなければスルー出来るんでしょうが・・・)
自分の仕事柄、周りを考えると言わずに居られず先方を正してしまって・・・
結果、その服を返品することになってしまった。
どの時点が"エゴ"なのか?黙っていれば良かったのか?
気に入っていたのに~心をどう置いてよいのか判らず終日右往左往
してました。
「ご縁がなかったんだな」ってことなんでしょうね。一晩たって少し冷静になり、
また出来ることから日々を進めています。
自分の在りようの基準に気づく、そのきっかけだったり、基準の再認識であったり・・・。といったところでしょうか。
エゴに対しては、第三者の目で見つめることが訓練になります。
私だったら、好きな色やデザインであっても、素材が綿などの天然素材
でないならそれは選びません。とかとかとか。
そういったところの再確認、再点検ですね。
『ご縁』もありますよ。手放して、次のさらなる発展した自分にあうものを、
自分らしく楽しんで、いきましょ~♪
訪問、感謝♪