
要左衛門の調査から判明しました。
寺野地区の二つの墓石銘は赤松地区の2ヶ寺のうち龍法寺の過去帳に記載されていたことを調査員の方から知らされた。
今度は流矢地区にも住んでいたという記録をたよりに詳しい情報を探してみます。
もうひとつ判明したことは、寛政九年に処刑されたらしく45歳前後の人物らしいとのことです。
まだまだ逸話があるので今後も投稿していきたいと思います。
寺野地区の二つの墓石銘は赤松地区の2ヶ寺のうち龍法寺の過去帳に記載されていたことを調査員の方から知らされた。
今度は流矢地区にも住んでいたという記録をたよりに詳しい情報を探してみます。
もうひとつ判明したことは、寛政九年に処刑されたらしく45歳前後の人物らしいとのことです。
まだまだ逸話があるので今後も投稿していきたいと思います。
45歳で処刑された人物、
いったいどんな人なのでしょうか?
ほんとうに小さなにも歴史が刻まれていることに気づき、凄いことです。
要左衛門さんは「どげんかせんといかん」と言った、今年の新語・流行語大賞に選ばれた”東国原”宮崎県知事のような人物かもね?
それとも維新の坂本龍馬達かも知れません。
この後は県の学芸員にもお世話になるつもりです。
このシリーズは、毎回楽しく読ませてもらってます。
私も貴殿のブログ楽しく見させて頂いております。
歴史人物を調べるのも面白いですですが、難しいですね。
今後もよろしくお願い致します。