デキタン ドシタン

赤松の吹筒花火のはやし言葉です。こんな調子で日和佐(美波町)の出来事やマイライフを公開します。

国文祭 大道芸サンキュー手塚

2007-10-28 | 日和佐
晴天の中で日和佐総合体育館の竜宮公園で大道芸が見られました。

前夜祭にも出られたサンキュー手塚氏と話す機会が偶然あり、好青年で美波町の自然等の素晴らしさを強調して頂きましたが、彼こそ素晴らしい人物でした。

全国を渡り歩いている中で唯一徳島県と高知県が未踏の地であったそうです。

我が美波町に好印象を持って頂きありがとうございました。


屋敷跡かも?

2007-10-22 | 阿波毎々
墓石群前の平地です。

手前が炭焼き窯跡で、奥が屋敷囲いのような石垣があり、前方には屋敷に見られるような石垣があります。田畑のような石積みでは無い感じです。

平地は現在獣のヌタ場化となっています。

発見した墓石群

2007-10-21 | 阿波毎々
今朝見つけた墓石群である。

左側が先の投稿画像で、その右側に落ち葉に埋もれた墓石、右に一族の墓石とおもわれるものが連なっていた。

この辺りが米蔵があった場所か、要左ヱ門の一族に関係した場所かは、これから調査して行きたいと思います。

資料によると要左ヱ門の子孫が海陽町(旧の海南町)の相川に実在するとのことだが、その子孫の新田姓が赤松にも2軒あるので関係している可能性があります。

益々、興味が湧き面白くなってきました。

ついに要左ヱ門の墓石発見?

2007-10-21 | 今日の出来事
昨日隣のおばさんに、要左ヱ門の話を聞いてみるが浄瑠璃でのことは知っていたが詳しく知らない。

そこで、この奥の(地区)山中に人家や墓石跡があるのか聞くとあるらしい。
私も10年ほど前からその周辺は探ってはいたのだが石垣などがあり屋敷跡らしい平地が確かにあった。

先程現地に行ってきた。(自宅から1㌔㍍の距離)
何と在るのです!墓石群が山土や杉の落ち葉に埋もれていたのでした。
それも、屋敷跡らしき平地から小谷を挟みわずか10mの場所でした。
墓石は数十年まえには建っていたらしいのです。

場所を特定できたので後は探求グループを交えて行動します。


だって、墓にまつわるので気持ち悪いですよね。

赤松の義民伝説

2007-10-20 | 阿波毎々
今、美波町(旧の日和佐町赤松)の義民伝説「要左ヱ門」について調べている者がいる。

義民とは”正義のために一身を犠牲にする人々”をいうらしいが、ここ赤松の伝説なのか浄瑠璃の戯話あるいは史実なのか調査しています。

天明八年(1788年)頃に年貢米の上納に際し無理難題を押し付けられ、要左ヱ門という人物が赤松の村人を救う話である。
地元お寺の過去帳にも要左ヱ門の記載があるらしい・・?

私の地区も関係があるらしく、とても興味が湧いてきたので今後連載していきたいと思います。

秋の実

2007-10-14 | 日和佐
今日の昼、自宅前で実のついたものを集めてみました。

全部で10種以上集めましたが色づいた実だけ撮影しました。

柿やムベ・ヤマブドウ・どんぐり・フジの実・サンキライ・赤い実で幼少の頃に食べた記憶のある木の実などです。

他にもアケビや椎の実・ナンテン・バラの実なども沢山ありました。

奉納 手筒花火

2007-10-10 | 花火
豊橋の手筒花火が見えると思ったら誤報らしく見えなかったのですが、保存会のメンバーが赤松の手筒花火を披露してくれました。

とても綺麗な花火でしたので、これからも制作してほしいものです。
風車花火等もあり楽しめました。

又、奉納花火も見事な花火でした。破裂もあり大変面白かったですね!

来年も

雨中の奉納花火

2007-10-07 | 赤松
雨中の奉納花火に今夜はなりましたが、10本とも見ごたえのある花火になりました。

我がA組の花火も無難に奉納できました。3番火薬で吹き上がるのではと心配しましたが上出来でした。

雨の中で沢山のギャラリーがありました。子供連れの親子さんは大変だったと思います。

あまりの迫力に早々と退散する家族がありました。

皆さん来年も是非、見に来て下さい。


奉納花火 最後の詰込み作業

2007-10-07 | 赤松
12時前に奉納花火の制作が完了しました。

あと8時間後に始まると言うのに駆け込み作業です。

雨が途中から”しとしと”降ってきた、台風接近の影響である。

すると、手筒花火の豊橋からの参加が都合により出来なくなったと情報が入った。

こちらも、1時過ぎに奉納花火中止等の会議があるらしいのでそれまで待機しています。

中止決定の場合には、ご連絡(コメント)しますので、ご来場はもうしばらくお待ち下さい。